「黨派政治の極難」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「黨派政治の極難」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

黨派政治の極難

左の一編は米國の雜誌ノース アメリカン レヴヰユーに掲載せるゴールドウヰン スミス氏の論文に就き其大意を譯したるものなり氏は加奈陀のトロント大學校のプロフヱツソルにして歴史家及び經世學者として歐米に有名なる人なり千八百八十六年の英國總撰擧にはグラツドストオン氏の愛蘭土自治案に反對して演説に新聞に頻りに之を攻撃し大に非自治案派の勢力を助けたり氏の著したる書籍小冊子の類は甚だ多く現に今日も尚ほ英米の諸雜誌に寄書して學者社會の注意を惹くこと少なからずと云ふ我日本國も今日は代議政初生の時にして政論殊に喧し、百千年來專制の政治を厭ひ盡したる國民が立憲政の實施に逢ふたることなれば其滿足は譬へんにものなく又實際に於ても專制の惡弊を矯るは立憲に優るものなく現に今日に於ても既に其功能著しきが如くなれば我輩は固より今の新政體に賛成して其實行を祈るものなれども政事に弊害の伴ふは人身に病あるが如くにして人身無病を期す可らざれば政も亦無弊を約束し難し要は唯平生の注意に在るのみ本編は現今歐米諸國に行はるゝ黨派政治の極弊を記したるものにして我國の今日は未だ此極に達せずと雖も世人若し霜を履むの感あらば堅氷の至らざるに先だちて用心す可きものなり

   黨派政治の極難

目下華盛頓にて開會中なる議會の有樣を見るに上下兩院ともに國の爲めに法律を議するなどの考は更になきものゝ如く幾百の議員等は何れも來る秋に擧行する大統領選擧の事に心を奪はれて他を顧るに遑あらずレパブリカンとデモクラチツクの二政黨が互に反對派の動靜を窺ひ種々の方策を運らして相傷けんことを謀る其有樣は恰も兩軍對陣して互に敵の隙を覘ふものに異ならず復た安閑として國家の利害など思ふの餘暇なきも偶然に非ざるなり例へば加奈陀に對する通商上の關係の如き政黨の爭に全く縁のなき問題にてさへ議會に於て議するを得ずして目下全く中止の姿なる其故を尋ぬれば反對の兩黨が互に猜忌の念を脱して協同協議すること能はざるが爲めに外ならず加之今年の議會にては下院はデモクラチツク黨にして上院はレパブリカン黨なるが故に假令ひ或る議案が幸にして一方の議院を通過するも他の議院に於て必ず黨爭の爲めに之を廢棄するの常なれば今日の所にては國の憲法は既に政黨機關の爲めに中止せられ之を中止したる政黨機關も亦其運動を止めて立法部の働は全く停止したるの有樣なり彼の銀貨案の如き幸にして議會以外に事理を解し國家の利害を思ふの人多くして其非を鳴らし新聞紙上に痛論したればこそ廢案に歸するを得たることなれども抑も斯の如く一般の實業社會に大害ありて寸益なき法律案が殆んど可决せられんとするに至りし所以のものは全く政黨競爭の罪なりと謂はざるを得ず何となれば合衆國の代議士とも云はるゝ人物にして銀貨法案の如き一目瞭然たる愚政策に惑はさるゝ者多からんとは如何にも信ず可らず又吾々の實際に聞く所にても該案に賛成したる議員は大概皆唯黨派の利害を思ふて同意を表したるの形跡顯然たればなり

立法部の不始末なること斯の如くなる上に行政部も亦殆んど同樣の境遇に陥り終始我失策の爲めに自黨の不利を生ぜんことを恐れ戰々競々唯自から維持に汲々たるのみにして何事をも斷行すること能はざる其趣は恰も中風症の病人に彷髴たり甚だしきに至ては外交上の談判に行政官が外國に對して自國の利益權理を保護し獨立國の體面を全ふせんとするも兎角國内の反對黨の爲めに邪魔せられて充分に運動するを得ず餘儀なく此方より一歩を讓りて事を落着せしむるの例さへ少しとせず畢竟するに米國政治家の心事は愛黨を以て愛國よりも大切なるものと認るが故に斯る不都合の生ずることゝ知る可し元來米國の如き大國にして海軍の見る可きものなく海防の用意は殆んど皆無にして一度び敵艦の砲撃を受るときは沿岸の都市は忽ち灰燼となりて消滅す可きこと鏡に對して見るが如く如何にも危險千萬の有樣なるにも拘はらず同國の政治社會に軍備の爲め金を支出す可しとの議論は甚だ稀にして却て兵士の恩給金には歐洲諸大國の軍費に劣らざる莫大の金額を支出して反對者を見ざるは何故なるかと尋ねれば軍艦砲臺には撰擧權なくして黨派の勢力を左右する能はざれども恩給金を受るものは人間なるが故に其投票の如何に由て黨派の爲めに或は利となり或は害となるを得るが爲めに外ならずレパブリカン黨にて名の聞えたる政治家某が甞て公言したる所を聞に「余は加奈陀を合衆國に合併することには反對なり何となれば加奈陀の人民は必ずデモクラチツク黨に投票す可ければなり」と云ひたることあり即ち此政治家の心中には明に政黨を以て國家よりも尚ほ大切なるものと認むるものにして盖し此考は此人一人のみに限らずして米國の政治家中には尚ほ同感の人夥多ある可し

黨派政治の弊は决して米國のみに止まらず加奈陀に於ても政治上の惡德不始末は米國に劣らざるものあり元來加奈陀人は其氣質と云ひ德義と云ひ世界に對して耻しからぬ人種にして天性、自由制度の人民たるに適するの望ありしが近來政治社會に漸く不潔の空氣を釀して漸く其影響を人民一般に及ぼさんとするの形跡あるは誠に遺憾の事どもなり盖し加奈陀にては東西諸州連合の時より俄然政黨の勢力を增し爾後政府は全く政黨の手中に落ちて醜行腐敗の中心となれり故の首相サー ジヨン マクドナルド氏の如きは世を終るまで政黨政治の爲めに力を致し政黨の利益を謀る爲めには如何なる手段をも辭することなかりしかば是れが爲め政治社會の德義を壞亂して賄賂公行の世の中と爲り現に過般の撰擧の際にも政府が大に賄賂を用て自黨の利を謀りたるは人のよく知る所なり今日の處にて官金を私するの罪は殆んど政治家の名聲を害するに足らざるの風と爲り下院の議員某が政府の金を私したるの故を以て議會の决議に由て除名せられたるとき本人は平氣にて撰擧區に歸り自から其事實を白状して扨撰擧人に向ひ「他の議員とても皆余と同じく不正の所行あらざるものなきに獨り余のみを責むるは不公平なり」との旨を述べたるに充分なる申開として再び撰擧せられたるの實例あり又彼の巨額の賄賂を取りたりとの嫌疑にて公判に附せられたる前のクヱベツクの首相メルシヱー氏の如きも若しも氏が撰擧の節に政府に反對せざりしならば必ず斯る災厄には遭はざりしことなる可し故に氏の失敗せしは賄賂を取りたるが爲めに非ずして寧ろ賂賄を取るの道を誤りたるが故なりと云ふも不可なし但しメルシヱイ氏の失行を摘發して氏の攻撃に從事したる人々は當時最も手廣く賄賂を取り不正の利を貪り居たる者共なり右の如く加奈陀政府内部の醜態は實に見るに忍びざるものなるが其原因を尋ぬれば則ち政黨の爭に在りと謂はざるを得ず    (以下次號)