「黨派政治極難 (昨十六日の續)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「黨派政治極難 (昨十六日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

然れども政黨政治の弊害は英國に於て最も明に見るを得可し世人若し黨派政治を以てあらゆる政體の中にて最良のものとなし社會に政府の續く限りは政黨も亦必ず存在す可しと信仰する者あらば宜しく眼を放て黨派政治の本元なる英國の政况を一見す可し

愛蘭土に自治を許すの利害に就ては世間に議論少なからざれども其利害論は姑く擱き兎に角に英國の爲めに重大問題たるの事實は爭ふ者なかる可し若しも愈よ自治を許すに至らば其結果として早晩英愛兩國の分離を生ずることならん、然る上は英國の權力落て愛蘭土に從ふか、然らざれば愛蘭土が再び英國に併呑せられて再び壓制を受るに至るか、二者の中孰れにか定まることなる可し何れにしても容易ならぬ大事件と謂はざる可らず又愛蘭土の自治に伴ふ直接の結果を云へば取りも直さず其全國を天主教僧侶の手に渡し隨て今日の教育制度を全廢するものにして其國中に在る新教信徒の利害禍福は全く度外視せられたりと斷言して可なり凡そ一國に政策の大なるものありと雖も今日英國の政治家として愛蘭土に自治を許すよりも尚ほ其影響する所の重大なる政策を施すことは能はざる所ならん然るに英國の政黨(自由黨を指す)は反對黨を退けて我權力を回復せんが爲めに此重大なる自治法案を賛成し輕輕之を實行するに躊躇せざるものなりジヨン ブライトの云へる如く愛蘭土議員を除けばグラツドストオンの幕下にて同氏の自治案を眞實に賛成する議員は二十人に足らざる少數にして餘は皆政黨の故を以て之に與するのみ數月前聯合自由黨の黨議に從て鎭壓案に賛成しパーネル及ひ其一類の拘留せられたるを見て拍手快と稱したる議員等が過般の總撰擧の時に至りてパーネル黨の助力を受るに非ざれば政權を回復すること能はざるを悟り遽に説を變じて自治案の賛成者となり其れよりはパーネル派の所爲を稱賛して止まず甚だしきは彼の愛蘭土の暴漢が國の法律を度外視して人を殺し家を毀つ等亂暴狼藉至らざるなき其凶状を目撃しながら之を非難せざるのみか暗に奬勵するの意味さへなきに非ず斯の如く英國の政治家が國の分裂するをも顧みず兵亂の起るをも意となさず飽まで自治案の斷行を望む所以のものは他なし是に由て以て愛蘭土人民の投票を得んとの計略にして取りも直さず黨派の爲めに國家を犧牲に供するものと云ふ可し

英國の自由黨が政權を得んが爲めに報酬として人民に約束する所のものは愛蘭土自治策のみに非ず同黨の宣言する寺院保護廢止法案、土地法案の類は皆これを餌にして人民の投票を釣らんとするの策にして殊に土地法案の如きは自由黨が頻りに之を吹聽して小作人を煽動し自黨に投票せしめんとすれば保守黨も亦種種の甘言を以て農民を招き之を誘導して我が味方にせんことを勉め兩黨共に唯投票を得んことのみに汲汲として國の經濟上に如何なる大變動を生するも更に頓着せざるの有樣なり此外に又上院を廢して議會を一院となすの説あり、投票權を益益擴張して如何なる無教育の貧人にも學者富豪者と同樣に投票せしむるの説あり、議會の年限を縮めて(現在の年限は七箇年なり)三年若しくば一年となし代議士をして全く撰擧人の奴隸たらしむるの説あり、何れも皆急激なる法案にして之を實行するときは一般社會に容易ならざる影響を及ぼす可きこと明なるにも拘はらず自由黨の人士が熱心これを主唱して憚らざるは實に驚入りたることと謂はざるを得ず然れども是等の政治家が政權を回復せんが爲めに種種樣樣の事を世間に宣言する中にて最も無謀なるものは其最近に唱へ出したる所の議員に報酬を給與し及び政府にて撰擧の入費を悉皆支辨す可しとの議案なる可し抑も英政に於て保守黨の精神は近來に至り大概皆有名無實のものとなり目下帝室と貴族院とは殆んど何等の權力もなく國の政風は唯民主の一方に進行しつつある其中にて今日まで終始社會の大勢に逆ひ民主主義をして一時に勢力を逞ふして社會に大變動を起すことなからしめたるものは即ち議員の無報酬なると各候補者が各自に撰擧費を支辨することと此二箇條に外ならず蓋し議會の開會中倫敦に滯在するには費用固より少なからざる其上に地方の代議士は滯在中家業を執ること能はざるの不便あり之に加ふるに撰擧競爭の入費も亦輕からざるを以て今日代議士に撰擧せらるる者は大概皆相應の財産ある者に限り無職無産にして唯衣食の爲めに政治社會に奔走する者の如きは議會に列席するを得ずして之が爲めに自然に議會の品位を高くするの効あるは事實に爭ふ可らず然るに今グラツドストオン派の政治家は人民に向て政府より議員に報酬を給し剩へ其撰擧費までをも支辨することにす可しとの約束をなせり思ふに自由黨の中にも製造地方より撰出せられたる代議士にして財産豊なる者少からず是等の人人に於ては若しも議員に報酬給與と决するときは自分等は政治を專業とする無産の貧生の爲めに現在の議席を奪はるること明なれば此法案に賛成するは如何にも心苦しき次第なれども是れも黨議とあれが詮方なし唯謹んで服從するの外ある可らず試に自から省みて自分等は目下政黨の利を謀るが爲めに國家の大權を擧て如何なる種類の人に授けんとしつつあるかを熟慮したらんには竊に痛歎に堪へず又汗顏に堪へざるものある可し抑も英國の農民は能く其業を勉めて國の利益を増進する者には相違なけれども政治の問題を解すること能はざるの一段に至ては牛馬に異ならず政黨の如何に論なく主義の云云を問はず一錢にても唯餘計の錢を得せしむ可しと云ふ者あれば其方に投票せんと思ふの外更に餘念なき者共なり又製造所の職工は農民に比すれば智識遙に勝れりと雖も其見る所狹小にして國家の利害などを考ふるの暇なく唯自分の賃錢を増さんことを願ふのみ加之近來は社會黨の説に惑はされて富豪者を嫌ふこと蛇蝎の如く苟も資本を有する者は社會の公敵なりなどと無法の考を懷く者少からず次に又愛蘭人は悉皆英國を敵視する者にして現に下院に八十名の代議士を有せり然るに今自由黨の主張する如く議員に報酬を給し政府の筋にて撰擧費を支辨するの法律をしていよいよ實行に至らしめなば英政の權柄は右の如き愚民の手中に落ち英の本國は勿論印度及び他の殖民地に住する二億五千萬の人民の支配を擧て之に一任せざるを得ず政黨員の狂暴も是に至て極れりと謂ふ可し (以下次號)