「黨派政治の極難」
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時事新報に掲載された「黨派政治の極難」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
扨右の事情に就き茲に一考を要す可きものあり即ち合衆國創立の際同國の政治家が英國の
政體を模範として憲法を編成したるとき其人々は皆英國の下院を以て人民の撰擧に由て成
れるものと認め其下院に種々稱賛す可き美質多きは全く人民の之を撰擧するが爲めなりと
想像したるが如くなれども畢竟事實を誤りたるものに非ざるや否やの一問題なり當時英國
の下院は名義上撰擧的のものなりしこと疑ふ可らずと雖も事の實際に就て見るときは議員
の中眞に人民の爲めに撰擧せられたるものは甚だ少數にして餘は或は國王に勅任せられた
る者あり或は有名無實の撰擧區を代表する者あり或は唯撰擧せられたりと云ふ名のみにし
て極めて少數の撰擧人を代表する者あり或は大地主等の權勢に依て議席を得たる者あり議
員の總數五百五十八人の中九十人は撰擧人の總數五十名以下の撰擧區四十六箇處より撰出
され、卅七人は撰擧人の總數百名以下の撰擧區十九ケ處より撰出され、五十二人は撰擧人
の總數二百名以下の撰擧區二十六ケ處より撰出されたる者にして議員五百五十八人の過半
數は僅に一萬五千人の撰擧者即ち英國に住ずる成年男子の總數二百分の一にも足らざる少
人數を代表する者なり但し眞實人民に撰擧されたる議員は國民の感情を代表する者として
其人數の割合には勢力ありしに相違なしと雖も是等の代議士は决して下院にて他の代議士
を壓倒するの勢なかりしこと疑ふ可らず當時の政治家として知られたるエルスキーンの言
に下院は王室の權力を抑制するの具に非ずして却て其爲めに運動する最強の機關にこそあ
れと云ひしを見ても知るに足る可し又當時有名なる政治家は大概皆撰擧に依らずして下院
に入るの例にして人民の投票を受けて議員となれる者は甚だ少しとす例へば千八百十八年
ロードリヴアプールの内閣員は十四人なりしが内八人は貴族にして殘り六人の中眞實人民
に撰擧されて下院に席を得たるものは唯一人なり斯の如き事實なるにも拘はらず當時の人
の考に英國にては下院も政府も共に人民の撰擧に係り眞實に國民全體の代表者なりと認め
たるよりして歐米諸國皆爭て其制に傚はんとし英政の特に美にして他に勝れたるは即ち撰
擧なる原素の存するが爲めなりと確信して疑ふ者なく而して彼の王室の指名に依り又は大
地主の勢力に依ョし事實の撰擧に由らずして議員と爲るの習慣をば之を目して撰擧政治の
惡弊と視做し此惡弊を除き去るときは則ちu々撰擧政治の美を表す可しと想像したるこそ
甚だ不思議の事どもなれ吾々の見る所を以てすれば當時英國の代議制度をして差支なく其
働を逞ふせしめたる所以は他なし唯偶然にも世人の云ふ惡弊なる者ありて撰擧政治の不始
末を制限したるが爲めならんと竊に臆測せざるを得ず合衆國にて憲法編成者の一人たるア
レキザンダー ハミルトンは常に謂らく英國の撰擧政治は世人の見て以て其惡弊なりと認
むる所の種々の制限あるが爲に始めて能く實際に行はるゝには非ずやと竊に疑を存したり
と云ふ實に卓見なりと稱す可し若しもハミルトンの所見にして果して誤なしとすれば世界
各國の政治社會は英政の眞似せんと欲して實に非常なる大失策を行ふたる者なれども人智
の淺薄これを如何ともす可らず啻に他國人の無智のみならず本來英政の性質如何は英人さ
へも之を知らずして今日尚ほ夢中の者こそ多かる可し
以上開陳したる通りの有樣にて黨派政治の今日正に危急の塲合に陷りたりとの事實は具眼
者の漸く心に悟る所なれども吾々は尚ほ一歩を進めて獨り黨派政治のみならず一般の撰擧
政治も亦同樣の危機に差迫りたるに非ざるかを疑ふ者なり否な、危機に迫りたりと云はず
して更に語を改め抑も撰擧政治なるものは撰擧人の數多き地方若しくは一國を通じて古來
今に至るまで曾て一度たりとも實際に行はれたることありや否や又今後行はる可き見込あ
りや否やを疑ふ者なり(完)