「國民協會.」
このページについて
時事新報に掲載された「國民協會.」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
國民協會.
國民協會と名づくる一種の團體の組織に就ては西郷品川の二氏は愈よ辭職して之に從事するよし其决心は甚だ佳なれども寧ろ一歩を進めて其族爵をも辭し公然政黨の首領として議院に出席するの覺悟もあらば更に妙なる可し其覺悟は兎も角もとして扨今の政海の風習を見るに政治上に温和の意見を抱き政府の政案に就ても甚しき反對を試みざるものは忽ち吏黨叉は御味方などの名を附して何となく之を輕蔑するの意味あるが如し盖し其中には輕蔑を價する輕薄兒もなきに非ざる可しと雖も實際に温和の主義を是として獨立するものが謂れもなく冷評せらるゝは决して政海の美事に非ず畢竟その人々が三々五々統一するを得ずして恰も身を寄するの塲所なきが爲めに端なく反對黨に犯されて自家の本色を傷けらるゝ次第なれば其人々が一致團結して他の反對に當り其本色を全ふせんとするは止むを得ざるの處置なりと云ふ可し若しも今回の計畫にして右の精神に出でたるものならんには我輩は政海目下の必要として其擧を賛成せざるを得ず如何となれば黨派の競爭は立憲政治に止むを得ざるものにして既に一方に過激の主義を主張する反對の黨派ある以上は温和着實の人々が一致團結して之と對立するは政治上自然の結果に外ならざればなり或は其首領として所謂藩閥の老政客を戴くは甚だ不都合なり政黨たるの本色に於て如何ある可きやなどとの邪推もなきに非ざる可けれども目下の事情に於ては是れ亦止むを得ざるの必要なる可し本來團結の目的は同主義に在り眼中他を見ず唯主義を以て相會することなれども其相會するの方便として老政客の地位名望を利するは今日の流行にして強ち咎む可らず即ち彼の民黨と稱する自由黨改進黨の如きも其一例にして實際の事情に必要ありとすれば獨り今回の團結に於て之を怪しむの理由はある可らず左れば我輩は其團結に就ては毫も異議なきのみならず寧ろ賛成を表するものなれども唯こゝに注意す可きは現政府と同會との關係にして政府の當局者なり同會の發企人なり今日より其成行を推算して豫め覺悟するに非ざれば後日に至りて雙方共に失望の塲合なきを期す可らず同會の精神は今の民黨の過激論に反對するものなれば此一點に於ては現政府と利害を同ふするに相違なく叉實際に於ても或は政府を助けて大に運動するの覺悟なるやも知る可らずと雖も是れは一時行掛りの内情にして永久に恃む可きものに非ず我輩の所見を以てすれば若しも其運動にして終始政府の方向と一致し恰も官邊の鼻息を仰て進退するが如きものならんには其勢力は甚だ微弱にして迚も反對の黨派に當るに足らず即ち今の吏黨もしくは御味方黨の名を付せられて暗々の間に周旋するものと異なることなく斯くては一種の團結として世に立つの甲斐もなかる可し或は會の運動果して其目的に違はず實際に働を逞ふして政治上に勢力を占むるに至らんか其曉に至り政府との關係は如何なる可きやと云ふに終始方向を共にして相戻らざるが如きは迚も覺束なく歳月の間には多少の衝突を免れざるのみか遂には第二の民黨と爲りて政府に反對するか然らざれば會の首領たるものが自から進んで事に當るの外はある可らず數の最も睹易き所にして苟も政治の經驗あるものならんには此成行を疑はざる可し思ふに現政府の當局者及び同會の發企者に於ては果して此邊の見解ありや否や最初より其然るを期しての企なりとあれば夫までの事なれども若しも當局者は會の發企を以て巳れの味方を得たるものとして陰に之に依頼する所あり叉その發企人も一致團結の力を以て外より政府を助くなどの下心あるに於ては我輩は後日に至り双方共に必ず失望の時ある可しと聊か爰に豫言を試る者なり