「决して安んず可らず.」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「决して安んず可らず.」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

决して安んず可らず.

去月十五日朝鮮の京城に於ける大院君の邸宅爆裂の變報は一時世間の耳目を驚かしたるにも拘はらず其後の報道を見るに變の事實は相違なきも其顚末は頗る曖昧にして事の眞相を知るに由なきが如しと雖も竊に朝鮮の近狀を察するに假令ひ今回の事變は左までの事に非ずして驚くに足らずとするも内外の禍機既に眼前に迫りて早晩破裂を免れざる可きは我輩の屢ば豫言したる所にして一般の世人に於ても其然るを疑はざることならん日本政府は東洋の政略上に於て朝鮮國の關係に大利害あるにも拘はらず明治十七年の變亂後は其政略を一變して引込思案の一方に凝り彼國との關係に就ては利害ともに全く預り知らざるものゝ如く京城駐在公使の如き其更迭は一ならざれども必ずしも多年の局面に當る可きものとして機敏活潑の人物を推すにも非ず叉山陽鐵道の三原より馬關までの線路の如き一旦緩急の塲合には我兵略上最も必要の塲所にして東洋目下の形勢に於ては一日も等閑に付すること能はざるものなるに之を私設會社の自由に一任して其竣工を十年の後に期するとは如何にも緩慢至極にして正に破裂せんとする東洋問題を眼前に控へたる軍國の政略とは見る可らず若しも不幸にして明日にも禍機急發して延て東洋間の交渉となることもあらば其急變に處して果して我國の名譽利益を損せざるの成算ありや否や立國の大計上に於て容易ならざるは申す迄もなく單に明治政府の爲めに謀るも我輩は從來の政略を以て甚だ不得策なりと信ずるものなり抑も今の民黨が政府に反對して其不信用を喋々し軍國に必要なる軍艦製造費の如きものさへ否决して顧みざる其一點より見れば民黨の攻撃點は全く内政の不始末に在るものゝ如く叉その平生の言論に徴するも兎角、外事を後にするが如き趣もなきに非ざれども是れは皮相の見にして决して實際の論に非ず若しも一旦東洋問題の交渉を生ずるに當り政府の政略その當を得ずして機を誤ることもあらんか彼等は决して之を黙々に付せざるのみか大に論鋒を鋭くして政府に迫ることならん其時に至りて當局の人が細々事情を陳述し是れは自分等の落度に非ず畢竟民黨の輩が平素軍國の事を忽にして費用を愛しみ政府の運動自由ならずして斯る失體に立至りしものなりとて道理を分けて辨解するも其辨解は何の役にも立つ可らず如何となれば苟も國權の伸縮に關係することゝあれば一般の民心も必ず激昻して政府の處置を咎む可きが故に民黨の人々は之を好機會と爲し平生の言行などには頓着せず其民心を後楯として大擧して反對を試みること必然なればなり世界各國の事例を見るに政府の當局者が外國に對する處置を誤りたる爲め失敗したるの談は一にして足らず佛國のフエリー内閣が彼の東京事件の爲めに失敗したるが如きは最近の適例にして盖し外國との關係は内の人心を動すこと最も大なるものなるが故に其政略に一着を誤るときは如何なる大政治家と雖も民心の反動激昻に對して技倆を逞ふすること能はざるものと知る可し今や朝鮮の形勢は甚だ危急にして朝、夕を圖られざること彼の如く而して我政府の之に對する政略は因循緩慢なること斯の如し我輩の不安心に堪へざる所なり明治政府は内に不人望を極めて非難の點も少なからざれども創立以來日尚ほ淺くして當局の心身は何れも屈強なるが故に其基礎は案外に固く民黨と稱する一部分の反對などは深く恐るゝに足らざる可しと雖も若しも一旦對外の政略を誤りて不慮の不覺を取り全國民心の激昻を招くときは其基礎も頼む可らずして意外の失敗なしと云ふ可らず單に政府の利害の爲めに謀るも我國の東洋政略即ち朝鮮に對するの方略は决して今日の儘に安んず可らざるなり