「避暑旅行.」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「避暑旅行.」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

避暑旅行.

昨今暑氣も盛にして追ひ追ひ避暑旅行の節となりたるに就ては凾根伊香保大磯興津等の温泉幷に海水浴は例年の通り繁昌を極むることならん近來の流行は上流の官吏を始め所謂紳士紳商と稱する輩の餘風に傳染して一般に奢侈贅澤に流れ其弊習も少なからざれども元來避暑の目的は都下の紅塵炎熱を避けて山間海濱の地に清凉の空氣を呼吸し以て平生の勞を慰するものなれば常に繁雜なる事に鞅掌する人々に於ては數周間の遊浴、大に心身を休息して健康を養ふの利益少なからず避暑の事敢て非難なきのみか社會の人事次第に繁忙に赴き人の心身を勞すること多きに隨ひ之を休息するの方便として寧ろ必要を感ずることならんなれども我輩は其旅行者が從來の如く比隣啻ならざる山海の邊に逍遙して數周間の閑静を偸む其閑日月を利用して大に壯遊を試み心身を爽快にすると同時に更に利益を收めんことを希望するものなり近來鐵道の便利開けて往來甚だ自由なれども暑中の休暇に遠方の旅行を企る者なく例へば東京の人なれば西は凾根を限り東北は日光に止まり夫れより以外舞子の景色、松嶋の眺めの如きは未だ一般に都人士の談に上らず况んや九州北海道の如きに於てをや容易に思ひ至らざる所にして遊跡僅に數十里恰も箱庭の眺めに滿足して窮屈至極なりと云はざるを得ず西洋人が常に遠遊を好むの風あるは今更ら云ふまでもなけれども彼の瑞西國は山水の明媚なる空氣の清凉なる歐洲中に其類を見ざる所なりとて夏期に至れば避暑の遊人諸國より集り中には遠く大西洋を渡りて米國より來るものも少なからずと云ふ叉上海香港その他東洋に居留する外客が年々避暑の爲め日本に來遊するもの多きは現に世人の知る所にして所謂箱庭的の旅行と同日の談に非ざるを知る可し今我國人も既に暑中旅行の必要を知る以上は少しく其遊跡を廣くして遠きに出づるの工風こそ肝要なれ心身の愉快は無論これが爲めに間接に益する所も决して尠少ならざる可し目下國内の交通は甚だ便利にして遊意一たび動けば南端北邊意の到る處即ち足の到る處なれども更に眼界を外に轉ずれば上海なり香港なり其他支那朝鮮の諸港なり叉は浦鹽斯徳なり何れも我定期航海線路の通ずる所にして往復の度數も少なからず尚ほ少しく遠きを望めば大平洋對岸の北米大陸その航程僅々十數日に過ぎざれば往復滞在に二個月を費して壯遊を試るが如き最も妙なる可し或は遠遊の企、妙ならざるに非ざれども内國の旅行と違ひ費用の多きを如何せんとの掛念もある可しと雖も今の避暑旅行の有様を見るに一般に贅澤虚飾を裝ひ旅中尚ほ紳士風の邊幅を張りて錢を貪らるゝ由なれば海外壯快の遠遊は温泉海水浴の留連に比して却て手輕に濟むの奇談もある可し或は叉避暑の旅行は多くは家族を同伴して其樂を共にするものなれども日本の婦人は遠遊を好まざるが故に海外の旅行などは到底行はる可らずとの故障もある可し尤もなる説にして止むことなくんば家族は家族にて國内の近遊を爲し男子は男子にて海外の遠遊を試みるも其樂を共にするの點に於ては變る所ある可らず况んや歸來一室の内に團欒して互に其見聞を談ずるときは談緒百出して其愉快いふ可らざるものあるに於てをや遠遊の企は家族云々の故障を以て抹殺す可きに非ざるなり思ふに此種の遠遊は眞の漫遊にして且その時日も短しと雖も見聞する所は一々新奇にして自から人々の知識を廣むる其利益は必ず少小ならざるものある可し苟も避暑旅行の閑と金とを有するものは奮て遠遊の企あらんこと我輩の敢て勸告する所なり