「 老政客は尚ほ未だ政治上に死せず 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 老政客は尚ほ未だ政治上に死せず 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 老政客は尚ほ未だ政治上に死せず 

黑幕會議も存外手軽に相濟み先づ今日の處にては松方内閣の運命を長ふして兎に角に來期の國會に至るまでは其安全疑ふ可らず來春國會後の形勢は如何なる可きや是れは又その時の成行に任するとして目下の政略は紛れもなく現内閣獨立の政略にして内務に河野大臣の轉任したる上は白根次官は多分他に轉ずることならんと云ふ間もなく既に辭表を呈して一咋日宮中顧問官に轉し或は次官の轉任に伴ふて二三白首の地方官にも進退する者ある可きか、我輩が過日來風聞に聞き得て紙上にも一寸記したる事にして若しも近々の中に此風聞を實にすることもあらんには大凡そ政略の方向をも卜するに足る可し扨現内閣はいよいよ獨立の内閣として幾年も其獨立を維持して安全なる可きやと云ふに此事は我輩の確に保証すること能はざる所なり本月十三日の時事新報にも記したる如く黑幕の老政客と現政府と其關係斷絶したるに似たれども其表面の斷絶は裏面に關係深き徴にして時節到來すれば頓に黑幕を撤して老客の出現するは復た疑ふ可きに非ず畢竟明治政府は維新強藩の功臣を以て組織したるものにして其功臣等が時として朝に立ち時として野に在りと雖も其朝野の地位の殊なるは以て政治上の勢力を輕重するに足らず一朝政府に重大事件の生ずるに當れば功臣等は其時の官職如何に拘はらず期せずして之に會する其趣は會社の一大事と聞き案内をも待たずして大株主の集るものに異らず平生は會社の役員等が株主を疎外し株主も亦役員を攻撃し甚だしきは水火相容れざるの苦情さへなきに非ざれども萬一の時に至りては何等の苦情なきのみか時としては役員と株主と主客處を易へ役員が株主の差圖に從て運動するの例さへ珍らしからず故に功臣等の心身共に屈強なる間は今の所謂黑幕に勢力ある可きは萬々疑を容れざるのみか尚ほ一歩を進れば目下政府と相對時して讎敵も啻ならざる彼の改進黨自由黨の首領の如きも亦政府部内に入て力を盡すの望なきに非ず今年今日の事態を見ればこそ大隈板垣が現政府と和睦など思ひも寄らずと云ふことならんなれども政治上の變化は實に測る可らざるものにして徹頭徹尾和睦難しと斷言す可らず試に明治初年以來の事例に徴するに一度官軍に抗して降參したる榎本も大臣と爲り國事犯に刑せられたる陸奥も亦然り近くは河野大臣は改進黨中鏘々の士にして大に民論を主張したれども大臣と爲れば民論の正反對に立つ可し又後藤大臣の如きは前年最も政府の注目する所と為りて有名なる保安條例急發の時に或は退去の名簿中に載せられたりなど風聞したる程なりしに今は内閣中に頗る勢力を得て賢き邊の御覺えも特に渥しと云ふ左れば板垣伯なり大隈伯なり政治上の行掛りよりして今は在野の身と爲り又その在野の行掛りよりして民論に賛成して民黨の首領に推され遂に政府と反對の地位に立つと雖も數年前に溯りて其身の由來を尋れば純然たる政府部内の人のみか維新の前後粉骨碎身以て明治政府を創造し整理して撥亂反正の偉業を成したる其の勲功は今の黑幕の人々に比して毫も輕重あることなく正しく同胞の政友にこそあれば目下政海の天氣尚ほ穩なる間は或は互に自家の意見を確執して相近つく可らざるの内情もあらんと雖も海上の風浪漸く高くして民論漸く勢力を逞ふし政府の全權を擧けて局外者の手に奪ひ去られんとするの塲合には復た部内の細事情を言ふに遑あらず黑幕の老客も政黨の首領も又現政府の當局者も一處に相會し自分等の辛苦經營したる維新政府の維持保存を謀りて餘念なかる可し即ち一種の聯立政府を見るの時節なり聯立とあれば各自多少の不如意はあるべ可けれども之を忍はざるを得ず如何となれば政府を擧けて局外者の手に授るは取りも直さず維新の功を空ふして功臣等は生きなから政治上に死するものなればなり方今世間の政論に時勢の變遷、政治社會の故老は次第に身を引て政權は第二流の人に移り遂には民黨の政客をも部内に容れて見事に政務を理し老政客は此儘に世に忘れらるゝならんなど云ふ者あれども我輩は信ずるを得ず老客の心身の屈強なる限りは决して政府を棄る者に非ず假令ひ第二流の人に任し又は民黨の士を容るゝことあるも唯これを一時の方便に利用するのみにして維新政府の實權は終に功臣の手を離る可らず來期の國會に對し政府の政略は何れの方針を取りて如何なる成蹟を得べきや幸に平和の局を結へば妙なれども之を現内閣の既往に徴するに初度は解散して次は停會したり孰れも議會の上首尾にあらず或は當年末の會に於て第三回の不幸に遭ふて政局のいよいよ困難を極むるが如きあらんには黒幕も最早これを餘處に見ずして明に局面に當ることある可し尚ほ之にても自から支ふるを得ずしていよいよ維新政府の一大事とも云ふ可き塲合には政黨首領の來會も必要を感するに至る可し然るときは政府は舊時の姿に復し第一流の老客を以て組織することゝ爲り假りに利用されたる第二流の人々は暫く席を避ることならん假令ひ或は對議會の難局にあらざるも無限の政變は朝に夕を計る可らず何れにしても維新功労の老客は其年齢の如何に拘はらず今日尚ほ政治上の生力に富む者と云ふ可し