「政治家の德義」
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時事新報に掲載された「政治家の德義」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
政治家の德義
凡そ人間に德義の大切なるは故さらに云ふまでもなきことにして殊に政治家の如く其一擧一動、社會に對して重大なる責任を負ふ者は最も愼む所なかる可らずと雖も左ればとて唯一偏に德義を守り不正の事を行はざるのみを以て能事終れりとは謂ふ可らず此繁雜なる人間世界の實地問題に接し臨機應變の處置を施して誤なからんとするには自から亦活〓頴敏の伎倆なかる可らず即ち才德兼備は政治家に缺く可らざる資格なりと知る可し然るに不幸なるは我國人の氣風として德義に感覺は頗る鋭敏なれども才智の點に就ては動もすれば之を無頓着に附するのみならず甚だしきは其才の活動變通を見て狡猾なり卑劣なりと評して却て之を擯斥するの情なきに非ず例へば過般の政變に際しても大臣以下の官吏に任免の沙汰多かる可しとて一時世上の談柄となり思ひ思ひの候補者を持出して人物の適否を論ずる其論評を聞くに彼れは廉直用ふ可し此れは狡猾近つく可らずなど専ら德義を標準として判斷を下し其才力伎倆の如何に至りては唯表面に云々するのみにして眞實は之に重きを置くもの少なきが如し畢竟封建士族風の今尚ほ存して斯る思想の輕重を成すことならんなれども今日は封建時代とは事變り仁義と共に利を重んずるの世の中なれば漫に古流の德論に偏して才能を卑むが如きは時勢を知らざるものと謂はざるを得ず盖し世人が政治家に向て德義の完備を求る所以のものは若しも其人にして不德ならんには自から一身の私利を謀りて國家に損害を蒙らしむることある可しとの懸念に基くものならんと雖も今の文明の程度に於て人間に自利の慾心なからしめんとするは到底望む可き所に非ざれば假令ひ政府の當局者が無慾淡泊の君子にても視察の明なきに於ては周圍の群小に欺かるゝこともあらん又は自から利害の在る處を誤りて公衆の損害を致すこともあらん既に損害とあれば其自から利すると利せざるとに論なく之を目して國家の不幸と謂はざるを得ず淡泊の君子往々國家の不幸を醸したるの事例少なからず是等の點に於ては我輩は君子に與みせざるものなり商人の家にても律儀一偏の番頭には事を托するに足らず自から金を私せざるも人に私せられ人に欺かるゝときは家の禍は却て番頭に私せらるゝよりも大なるものある可ければなり古人の言に盗心あるに非ざれば盗を防ぐに足らずとは其言穩ならざれども亦以て人事の實相を表し出したるものと云ふ可し燃かのみならず人の才智は時として其德義を掩ふの媒介となり唯才あるが爲めに世に不德の名を成す者あり十目の視る所十指の指す所必ずしも正確ならざるを證す可し亦或は正義廉潔の士人にても時と塲合とに從て其德を二三にすること甚だ多し例へば黨派の政客が自黨の利害に關するときは言ふ可らざる不德を犯して自から愧ぢざるが如き德心の常ならざるを見るに足る可し西洋の學者社會に黨派政治の原則は一切の政治家を敗德者として視るものなりとの説あるも謂れなきに非ず方今文明の立憲國に於て會計〓査の法律規則を特に嚴にしたるも多年の經驗に據り政治家の德義心に信用を置くに足らざるの事實を發明したるが故なる可し左れば立憲の政治社會には君子もなく小人もなく一切の男子を薄德薄行の者と視做し唯法を以て之を束縛するのみ德義論は諭して益なきことゝ觀念す可きのみ我國に於ても黨派政治の漸く將さに行はれんとする今日に當り政客一身の德義に依頼して爲政の基にせんとするが如きは事實に益なきのみならず却て不安心なる次第なれば我輩敢て德を卑んずるには非ざれども更に眼界を廣くして才智の區域に重きを置き不正を防くには法律規則を以てせんことを斷るものなり