「内地雜居怖るゝに足らず」
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時事新報に掲載された「内地雜居怖るゝに足らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
内地雜居怖るゝに足らず
條約改正に熱心なる論者の言を聞くに所謂對等條約を主張して法權税權共に一時に回復す可しと云ふ其精神は我輩に於ても異議なき所なれども獨り内地雜居を嫌ふて恰も外人を怖るゝの情あるは如何にも解す可らず對等條約とは彼我の國力を同等のものと見て双方の權利を均一にするの趣意なるに然るに彼國人の實力を怖れて一目を置きながら條約面の上にのみ對等を云々するは辻褄の合はぬ談のみならず法權税權をば全く自由にして内地雜居を許さずとの條約は即ち對等以上のものにして世界各國の交際に果して其例ありや否や我輩の曾て知らざる所なり抑も論者が外人を怖れて其雜居を嫌ふ所以の理由は第一は商賣の競爭、第二には不動産等の占有にして若しも雜居を許して彼國の商人資本家が續々内地に入込む曉には日本の商工業は悉く彼等の爲に壓倒占有せられて國の富源を空ふするに至る可しとて漫に杞憂を憂ふることならんなれども畢竟するに政治上の想像論より判斷を下すのみにして今の日本の實業家は却て外人を怖れざるの事實あるを知らざるものなり開港の當初に於ては彼我共に事情不案内にして例へば日本人が洋酒の空瓶を珍重して床の間に飾物にすれば外國人は我天保錢の楕圓にして異樣なるを悦び價一弗に買ふて珍藏するなどの奇談さへありたる程の次第にして隨て商賣取引の上にも不都合少なからず大判小判の賣買には彼に非常の利を占められたる其代りに我は生絲の取引に彼を欺く等雙方共に不案内の間に相利する其中にも外國貿易の無經驗は如何ともす可らず平均して我に損失の多きを見たることなれども今日は則ち然らず外國の事情次第に明白なるに隨て實際の有樣を察すれば日本に居留する外商の如き必ずしも大資本家にあらずして日本の貿易を左右するに足らざるは勿論、我商人の信用は次第に外國の市塲に重を成し内外相對して物を賣るにも買ふにも其本國と直達の取引漸く便利を致したるに付ては今後日本の商人が漸く此點に着眼するときは從前恰も仲買の利益に衣食したる居留地の外商等も遂には業を失ふて手を束ぬるに至る可しとて左まで之を意に介せず假令ひ我より進で殊更に彼等の業を妨げざるも商賣上に其與みし易きを知らざるものなし左れば雜居を許すの曉に内地に入込む者も矢張り今日の居留外商か然らざるも之と同一の人種なる可きに然るに其雜居を怖れて特に之を云々するは實際の事情を知らずして政論の夢中に空瓶天保錢の舊時代を想像するものに外ならず元來今の政客は常に商人を蔑視して無氣力なり無神經なりと嘲りながら其商人の怖れざる外國人を論者自身は恐怖して共に内地に居るを憚るとは如何にも不似合ひの沙汰にして我輩の竊に氣の毒に思ふ所なり然らば商賣は心配なしとして土地は如何にと云ふに元來日本の農業は千百年來經驗に經驗を積み今日に至りては殆んど極度の發達を爲したるものなれば如何なる新工風を施すも此上の収利は到底覺束なきのみか土地の所有は古昔より一種の習慣ありて容易なる業に非ず現に今日都會の富豪が田舎の田畑山林を所有せんとするも先づ其監督の困難を思ふて斷念する者多きの常なり况して其邊の事情は全く不案内なる外人が日本の内地に土地を所有して如何す可きや農業の利を目的にして資本を土地に投ずるなどは思ひも寄らざる所なる可し鑛山とても同樣にして銀山なり銅山なり石炭山なり相應に利益あるものは既に夫れ夫れ着手して遺す所なきのみならず近年來我國學術の進歩は非常にして鑛山の事に堪能なる學士技師も少なからず外國の招きに應するものさへもある程の次第なれば内國の鑛山に就ては最早や遺利の拾ふ可きものはある可らず故に外人にして日本の鑛業に着手せんとするものもあらば即ち山師の輩にして投機を試みるか然らざれば他に欺かれて看す看す金を損するの愚者に外ならざるを得ず左れば今日の有樣に於ては土地なり鑛山なり苟も利に敏き外國人が資本を投ずるの筈なければ假令ひ雜居を許せばとて此點に就ては論者も安心して差支なかる可き其反對に外人の雜居は直接間接に我國に利する所少なからず此事に就ては我輩の屡ば論じたる所なれども尚ほ其緒に就て餘論を述ぶることある可し