「地方官の更迭行はざる可らず」
このページについて
時事新報に掲載された「地方官の更迭行はざる可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
地方官の更迭行はざる可らず
政府にては今度地方官を招集して總理大臣より訓示の次第あり次で内務大臣より諮問する所ありたるよし其實際は我輩の知ることを得ざる所なれども内閣に變動ありて當局の大臣更迭する度ごとに地方官を招集して施政の心得を訓示し又その意見を諮問するは從來慣行の例なるが故に今回の招集も矢張り前例同樣と見て間違なきことならん新内閣の施政の方針は兎も角もとして從來の經驗に據れば内閣更迭して施政の方針變化するは毎度の事なれども地方官の人民に對する趣は其變化にも拘はらずして常に一新を見ざるが如し抑も廢藩置縣の當初に於ては政府の方針は務めて封建の餘習を一洗するに在りて地方の施政の如き専ら威厳を主として苟も假借せず或は兵隊引連れて赴任する長官もあれば又は維新の戰爭に一方面を引受け其後民心鎮撫の爲めとて地方に在勤したるものを其儘採用したるもあり其有樣は恰も敵國を征服して之を治むるものに異ならず我輩の竊に奇異の思を爲したる所なれども當時に於ては亦自から止むを得ざるの必要に出でたることならん然るに郡縣の新政も既に緒に就きて地方の制度には度々の改正あり或は府縣會を設け又は自治制を發布するなど時勢の變化にも拘はらず地方官の人物を見れば舊時の老輩少なからずして隨て其思想も古く今の地方の治務を處するに恰も維新當初の手心を以てするものさへなきに非ず其治下に在る人民の迷惑思ひ知る可きのみ彼の有名なる福嶋の國事犯事件の如き又加波山の暴動の如き其本を尋ぬれば敢て中央政府の施政に怨を懐くが爲めに非ず唯その眼前なる地方官の處置を憤りて斯る擧動に及びたるものなるは世人の認むる所なれども數年前の事は姑く擱き現に本年の臨時撰擧に地方官が干渉して民心を激せしめたるが如き又所謂ヤツキ組と稱する知事の輩が大政府の方針に關して運動したるが如き或は時の内閣の政略に於て自から斯る不始末を招きたるの事情あるにもせよ畢竟は平素の不心得を現はしたるものにして實際は銘々得意と爲りて周旋奔走したることなる可し世間にて今の地方官を目するに舊幕の代官又は唐代の藩鎮を以てするも強ち不當の言に非ざるが如し今日の有樣にては地方の制度は如何に改良するも其趣は日本船の船頭に蒸汽船を運轉せしむると同樣にして民心の日和に乗じて文明の風潮に進退することは到底望む可らず然かのみならず中央政府の方針は地方官の手を經て始めて一般の人民に達するの常なれば其中間に立つ者の精神如何に由りて大に相違なきを得ず或は其輩の心に於ては一意中央政府の命令を遵奉して敢て違背せざることならんと雖も本來の精神既に固着して變通に容易ならざるは恰も中年まで習込みたる書風の遽に變ずること能はざると一般にして文明治風の神髄を得ることは到底難かる可し即ち施政の方針は時々變化あるにも拘はらず地方の民心は常に不折合を感じ益々政府の不人望を來す由縁なり過般政府が數人の知事を更迭せしめたるは老輩を淘汰して是種の弊を矯むるの精神ならんと雖も我輩の見る所にて舊思想の老輩は決して數人に止まらず此上尚ほ多數の更迭を行ふに非ざれば不可なりと信ずるものにして政府が如何なる方針を定め如何なる訓示を爲すも今の老輩にして其地位に在る限りは地方の治務を改良して民心を調和するが如きは先づ以て覺束なかる可し然りと雖も今の地方官の任免に情實を免れざるは尚ほ中央政府の部内に於けると同樣にして假令ひ人を更迭するも其地位に伴ふ所の情實は容易に一新すること能はずして尾大掉はざるの掛念もあらんには茲處一大英斷を施し我輩の曾て述べたる如く知事の職を廢し地方の治勢を擧て中央政府の直轄に歸せしむるの工風（昨年九月二十九日の社説）は如何ある可きや兎に角我輩は今の地方官の所為に滿足すること能はずして一大改革を切望するものなり