「勞働組の壓制」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「勞働組の壓制」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

左の一編は頃日米國發兌の雜誌ネーションの文を意譯したるものなり近來は我國の勞働社會にも時として同盟罷工に類する擧動ありと云へば經濟家の参考にもと思ひ記して社説に代ふ

勞働組の壓制

勞働社會の首領輩は近年頻りに資本の壓制を説て止まざれども吾々の考にては今日は却て是れ勞働壓制の世の中なりと斷言せざるを得ず新來の暴君を名づけて勞働の聯合又は團結したる勞働と云ふ凡そ國中何處の如何なる種類の工塲に用ひられ居る職工にても自他の共益を計るとの殊勝なる口實に托して組合を作り其組合の面々は啻に己れの組合の爲めに規則を設るのみならず又組合外に在る國中一切の職工をも此規則の中に網羅せんとし尚ほも進んで雇主さへ己れの權内に置かんとせり今この勞働組の爲す所を觀るに例へば賃銀の割合は何程、勞働の時間は幾何を以て至當とする抔の議を決して之に利害を感ずる者共へ決議の次第を報告し其干渉する所は單に賃銀、時間等の經濟談のみに止まらず漸く歩を進めて道コの區域に侵入し組合員の行状を監督する嚴律を設けて之に違背する者は少しも其罪を借さず凡そ正直とは如何なるものを指して云ふや勉強とは如何なる次第なりや雇主の命に隨ふは何れの邊までして然る可きやなど一々、訓令を嚴達し苟も勞働組が之を有罪と認むるに非ざれば假令ひ雇主が組合員を目して不正直なり、懶惰なりと云ふも之に承服することなく工塲より放逐せんとするも之を肯ぜず又この組合は勞働の市塲を専有し無所屬の職工をして組合が拒絶したる所の仕事に服するを得せしめず又組合が其權勢を張らんが爲めには或は同盟罷賣買又は腕力暴行、甚だしきは殺害の毒手段さへ之を施すに憚らざるもの多し

むかし合衆國南部の奴隷持主は監督の手を借りて規則を強行したり然るに此新形の奴隷制度即ち勞働組合に於て監督の代りと成る者は「巡廻委員」なり巡廻委員とは雇主と職工との間に葛藤を生ぜしむる外、何一ツさへ爲さゞるが爲めに日々四五弗の金を取りて得々なる所の果報者を云ふなり然るに彼等は唯金を取るも其外面不體裁なるにや常に蚤取眼にて葛藤の種を探るに忙し既に近日のヘラルド新聞にも巡廻委員のことを記して云く

彼等は平々凡々たる職工にして其經驗は彼等の商賣道具を使用するの一點に止まるのみ各巡廻委員は集會の夜に至るまでは己れの部下の大將なれども當夜は四方八方より辨難攻撃の起るありて疲れ果つるなり然れども集會と集會との間に於ては彼れの言葉即ち法律なり己れの部下の何人をして何時にも同盟罷工せしむ可く之を命ぜられたる人は無言に命を奉ぜざる可らず巡廻委員は幾多の建築最中の家屋を巡廻し若しも其蚤取眼が何か不都合を見出し例へば其塲に無所屬職工の働き居るか但しは同盟罷買したる材料を用ひ居る等の事あれば直に之を責め咎るを猶豫せず

斯る堪へ難き壓制を説明するに屈強なる一例こそは茲年の夏に起りたりボストン府の或るホテルの主人チツリー ヘーンズなる者が近頃紐育府ブロードウエーに在る所有のグランド センツラル ホテルを人に貸渡すに就き新に装飾を加へんが爲め紐育府へ來りて十萬弗を費さんとしたるが總額の四分の三は職工の賃銀に拂ふ可き豫算にしてヘーンズ氏は職工と談判を遂げ雙方に滿足なる約條を取結びたり然るに仕事の未だ始まるや始まらざるに彼の巡廻委員が其塲に出張して勞働九時間とあれ共八時間に改む可しと云ふにヘーンズ氏は之を承諾したり夫れより二週間の後に又候巡廻し來りて當仕事塲の大工の中には一日、三弗二十五錢の給料を受くる者ありこは三弗五十錢にせざる可らずと云ふに氏は此要求も容れたり然るに未だ數日を出でず巡廻委員は再び來りてヘーンズ氏に云ふやう氏はボストン府より二人の階子段を造る職人を雇ひ居れり此兩人は勞働組の者には相違なしと雖も其が所持の免状を代えて當市に仕事を爲すを得可き免状料を拂ふに非ざれば當處に働くこと罷成らずとて此葛藤は彼の犯則者兩人がボストン府へ歸りて漸く落着を告げたり

之に次で起りたる出來事の次第は左の如し

職工の働き居る最中に巡廻委員は傍若無人にも仕事塲へ踏込み來りて塲内を勝手に歩行き職工の姓名を手帳に記して其勞働組に屬するや如何を問質したり其とき大工の一人は「足下の知る所に非ず」と云放ちけるが翌日、巡廻委員は職工を仕事塲へ來る途中に要し同盟罷工の命令下りたる旨を告げたり職工の中には涙を流してこは情なき命令かな家には妻子の飢渇に苦み居るさへあるものをと打悄れたる者もありけるが兎にも角にも一詞は唯謹で命を奉じたり彼の巡廻委員は尚ほ之にても立腹の癒えずやありけん軈てヘーンズ氏の許へ勞働組本部より一人の使者の來りて云ふやう職工は都て巡廻委員に對して無禮の擧動ある可らずとの旨を傳へ置き扨本部にては種々協議の上、彼の巡廻委員に無禮を加へたる男は他の職工と共に仕事を爲すを得可し但し土曜日までに純然たる勞働組の組合員と成らざる可らずと決議したり然るに此決議ありたるにも拘らず翌朝に至て職工が仕事塲に集りたるとき巡廻委員の宣告して云ふ樣は彼の無禮者の解雇せらるゝに非ざれば一人たりとも仕事に取掛る可らずと此一塲の葛藤は終に彼の不幸なる男をして直に定めの金を拂ふて組合員たらしむるが爲め之に給金を前貸したるに由て事濟みと成りたり然れども彼れが組合員たる充分の資格を備ふる迄は三日を費し此三日の間は滿塲の職工何れも仕事するを許されざりしなり

然れどもヘーンズ氏が巡廻委員との葛藤は決して爰に止まらず氏はボストン府の或る會社より大理石を持込む可き約條を取結びたり巡廻委員は之を聞付けて又もや職工をして三度目の休業を爲さしめたり其後、職工が復業を許されたるは氏が大理石は未だ實際に置かれて在るには非ずと云ひたるを以てなり然るにヘーンズ氏は其後巡廻委員が職工の間を廻りて一旦差止めたる仕事に復業するを許す代として一人前一弗づゝを取立て居ることを知りたり扨ボストン府より大理石の到着したる時に巡廻委員は其荷卸しを拒みたればヘーンズ氏は巡査の保護を乞ひたる所、巡廻委員は一切の大工と塗師とを呼び出したり又蒸氣機械方の代表人のヘーンズ氏に云へらく機關手をボストン府へ歸さゞる可らずと氏は之を拒みたるを以て勞働組より出でたる蒸氣機械方は一切仕事を禁ぜられたり

是に於てヘーンズ氏も最早や充分に巡廻委員の壓制を受けて充分に苦みたる者と自ら信じ今後斯る委員の奴隷と成り居る所の職工は一人たりとも之を用ひずと決斷し勞働組に屬せざる所の職工を充分に呼び集めたり是等の職工は勞働組の者よりも上等の職人にして彼の自ら稱して巡廻委員と云ふ所のゴロツキの爲めに左右しられず至極、好都合なりしが是等のゴロツキの八人乃至十二人は毎日、仕事塲の裏表に立番して中なる職工へ種々樣々の無禮を加へて之を苦めたり各巡廻委員は是等の事を爲すが爲めの報酬として勞働組より費用の外に一日四弗五十仙づゝを申受けて居れり

吾々が煩を顧みずして此談の委細を陳べたる所以のものは一には屈強なる手本なればなり又一には斯の如く事の委細を擧るに非ざれば終に公衆をして此壓制の堪ふ可らざる次第を知らしむ能はずと信ずればなりヘーンズ氏が斯る壓制を厭惡する手段の第一着を示して國の爲めに致したるは盖し小少に非ざるなり既に氏が先例に習はんとする建築家並びに請負人も續々出で來る可き徴候あることなるが之を斷行し能はざる者は世論の憐み助くるに當らざる可し