「英國の黨派政治」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「英國の黨派政治」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

英國の黨派政治

前號にも述べたる如く此度び英國の自由黨が保守黨に代りて政權を握るに至りし所以のものは全く愛蘭派議員の補助を受けたるが爲めなれば其報酬には是非とも自治案を決行して以て愛人の歡心を買はざる可らず然らざれば今日政府が杖柱として頼む所の八十の愛蘭議員は忽ち去て反對の群に加はり頓に政府方の人を減少して政權再び保守黨の手に歸するは必然なる可し如何となれば愛蘭議員の自由黨に加勢して共に運動を與にするは別に深き仔細ありて然るに非ず結局該黨に政權を握らしめて以て一日も速に彼の自治案の實行を見んと欲するものに外ならざれば若しも自由黨にして其注文通りに自治案を賛成することなからんには最早我味方として之を助るの必要あらざればなり思ふに今日愛蘭の自治黨員を除くの外、英國の政治家にして眞實熱心に自治案を賛成して其實行を希望する者を尋ねたらば必ず寥々指を屈するにも足らざる少數なる可し自由黨の政客は近來頻りに自治案を主唱するが如くなれども畢竟するに唯是れ愛蘭議員の投票を得んが爲めに一時の方便として心ならずも其説に賛成するものゝみ内面の實情を糺せば黨員の十中八九は愛蘭人民の利害禍福などに關しては其感情極めて冷淡にして今日己むを得ざるの行掛よりグラツドストーンの後に附て表面にこそ頻に自治の必要を喋々すれ共其心に思ふ所と口に言ふ所と相同じからざるもの多きは事實に爭ふ可らず自由黨員にして尚且然り况や保守黨若しくは聯合黨の政客に於てをや其人々の眼を以て見れば自治とは即ち謀反の異名にして一旦これを許す以上は愛蘭人は最早女皇陛下の臣民に非ずして取りも直さず英國の領分内に一の〓國を造るものに異ならずと確信して疑はず其憾慨〓憤の情如何にも禁ず可らざるものゝ如し斯の如き次第にて自治案に對しては英國人中に極端の反對者甚だ多きのみならず其賛成者と云はるゝ人も大概は唯公然これに反對せざるまでに止り眞實本心より愛人の説に同意して之を主張する者とては甚だ稀なるを知る可し要するに目下の形勢に據れば自治案は決して英人一般の希望する所の政案にあらざるに然るに其不人望なる自治案が近來議會に於て大に勢力を加へ或は遠からず下院を通過して法律ともならんとするの有樣に立至りしは抑も何故なるかと尋れば他なし愛蘭の議員が數年來固く相結んで一個の團體を成し國會に於る權力の平均を制して恣に他の大政黨を自家の用に使役するの手段を工風したるが爲めのみ盖し英國には古より自由保守の二大政黨ありて政府の權は必ず兩黨の中孰れか一方に落るの例にして二者の競爭は常に絶ることなく互に有らゆる手段を盡して政權の取合に餘念なく凡そ政黨員たる者は自黨の爲めとあれば如何なる所行をも爲さゞるなき程の次第にして黨派の爭は隨分劇しき點にまで達したる其中に獨り彼の愛蘭自治黨の一派は此二政黨の中間に獨立して孰れにも加名せず其目的とする所は唯一の自治あるのみにして自由黨にても保守黨にても苟も自治を賛成する者は友となし自治に反對する者は敵となす其趣は恰も自治案を代價として自家の投票權を賣るものに異ならず英國下院に於る愛蘭派の投票數は凡そ八十なれば之を味方にすると敵にするとにては百六十票の差を生ずる譯にして總數六百七十の投票中百六十の得失とありては決して輕視す可らず現にグラツドストーン氏は今回の新議會に四十の多數を制して保守黨の政府を倒したりと雖も若しも愛蘭の議員が氏を助けずしてソールズベリー侯に與したらんには保守黨は自由黨に對して却て百二十餘の多數を制し勝敗、處を變てグラツドストーン派の大失敗となりしに相違ある可らず愛蘭自治黨の英國の政治社會に勢力あるも亦謂れなきに非ざるなり凡そ何れの立憲國にても二個の政黨互に相爭ひ双方の勢力略ぼ相平均するときに當り局外中立の小黨派が其隙に乗じて漁夫の利を占るは古今其例に乏しからず亦是れ黨派政治に免かる可らざる一の弊害にして英國にては此弊害近來に至て益々甚だしく僅々八十名の愛蘭議員の爲めに國會議塲を蹂躙され政府の存廢をも其欲する儘にせらるゝに至りしは大勢の然らしむる所とは云へ英人の心を以て考ふれば必ず憂慮に堪へざることならん我國の政治家も宜しく英國に於る近來の政況を見て以て大に自から注意する所あらんこと我輩の竊に願ふ所なり