「民黨の擧動」
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時事新報に掲載された「民黨の擧動」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
民黨の擧動
新内閣の施政に對する所謂民黨の所論如何を見るに此程五六の知事警部長等に非免轉任の沙汰ありしに付ては政府は民黨の意見を容れて撰擧干渉に盡力したるものを罰したり今後の施政も必ず此方向にして民黨の前途萬々歳なりとて恰も得意を催ほすものゝ如し如何にも解し難き擧動なりと云ふ可し抑も今回の内閣は所謂黑幕老政客の總出にして維新功臣の列席したるものに外ならず即ち明治政府にして世に所謂藩閥政府の實あらんには取りも直さず其藩閥の本色を新にしたるものにこそあれば民黨の目的なる政權取合ひの點より見るときは寧ろ前途の困難を增したるものと云はざるを得ず彼の知事以下の處分の如きは畢竟部下の民心折合を得ざるが爲め止むを得ざるの處置にして假令ひ内閣の更迭なきも又その主義政略に變化なきも臨機善後の處分として是非とも行はざる可らず敢て新内閣の新方針として見る可きものに非ざるに然るに之を目して民黨の意見を容れたるものと爲し漫に得色を催ほすとは實に淺墓なる見解にして視察の明に乏しきものと云はざるを得ず或は實際には其然らざるを知りながらも故らに外面を粧ふて壮語を吐くものか、若しも然らんには誠に小兒の戯にして識者の笑を免れざるのみか反對の人にまで其心の淋しきを見透かされざるを得ず民黨の爲めに取らざる所なり思ふに前内閣の對議會策は所謂強硬主義にして第二回の議會には解散を命じ引續き撰擧の競争にも力を致したる所少なからず斯くて第三回の議會に至りても又々停會を命じたるなど民黨に對する手段に就ては政府の全力を盡して勉めたるが如くなれども其當局者は所謂第二流の政客にして實際の技倆は兎も角も名望經歴の點に於て何分にも部内の權衡を得ざるより政權の統一も自から圓滿を欠きたるものか黑幕白幕等の名稱さへ生じて當局者必ずしも實權者ならざるの奇觀を呈し政府としては何か物足らぬ心地したるにも拘はらず其内閣と民黨と相對すれば自から好敵手にして一方がヤツキとなりて攻立つれば一方も亦ヤツキとなりて之に應ずる等双方共に全力を注て爭ふたるが故に民黨の人々に於ては心竊に期する所もありたることならんなれども今度の内閣は兎に角に第一流の列座にして假令ひ其技倆に於ては特に前内閣の當局者に優るものなしとするも部内を統一して外に當るの一點は自から機敏活溌ならざるを得ず殊に政權維持の事に就ては第二流の人々よりも身に切にして其利害を思ふこと自から周密なれば民黨より之を觀て其一擧一動の偶ま自家の素論に合ふものあるも之を臆測して新内閣は民論を容れ民黨に近つくものなりなど輕卒に合點することもあらば遠からずして其誤解を發見するの日あらんこと我輩の今より斷言する所なり左れば民黨の爲めに謀れば些々たる眼前の事に喜憂せずして心を決し全力を盡して政府に對するの覺悟こそ専一なれ即ち今の内閣は當の敵として大に爭ふ可き對手なればなり從來民黨が政府を攻撃するの論點を聞くに財政の不始末と云ひ政府の不信用と云ひ何れも過去の失策にして今の政弊に的中せざるが故に前内閣の當局者の如きは繼續者の義務として之に應答はしたるものゝ恰も前代の非を數へらるゝと同樣にして流石に愉快にはあらざれども左りとて甚だしき苦痛は感ぜざりしことならんに然るに今回の當局者は其失策の張本にして再び現はれたるものなれば若しも民黨の論鋒細微に入り當局者當時の失策は云々にして其成行は云々その結果は云々とて之を當人の面前に並立てたらんには假令ひ法律上には責任なしと云ふも徳義上に免かる可らずして其感ずる所は一層深からざるを得ず即ち民黨も始めて當の敵に逢ふて大に氣焔を吐く可き塲合にこそあれば茲を専途と覺悟を定めて當局者を徳義上に強迫し年來の失策に對して其責に任ぜしめ其回復を求るは民黨の目的として當を得たるものならんと我輩の竊に信ずる所なり