「病素實檢」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「病素實檢」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

北里柴三郎

傳染病を眞個に學術的に研究することは最近の創始に係り即ち佛國のパスチユール、獨國のロベルト、古弗の兩氏が諸多の傳染病の原因を發見せしより始めて傳染病を學術的に研究するの道を啓けり則ち傳染病の豫防は從來如何なる方法を用ひしか、近來は如何なる方法を以て之を豫防するか、又一個人の身體に就て之を防禦することを得べきや、獨り之を防禦するのみならず之を治療し得べきや如何と云ふに在り而して此點は今日醫學〓會に於ける一般の疑問にして其道の開けたるは極めて最近の事なるを以て之が研究の現況を陳述すべし

傳染病の原因は種々あり然れども今日まで發見せられたる所に就て大別すれば二種に過ぎず其一は最下等植物性のもの所謂バクテリヤ是なり其一は最下等動物性のものにして極めて近時の發見に係る所謂プロトツオン是なり其バクテリヤの檢索法はプロトツオンに比すれば實に著しき進歩を爲し今やバクテリオロギー即ち細菌學と云う一種の學科となるに至れり人類に於ける結核病、亞細亞虎列刺、腸窒扶私、實布〓里亞の原因及び動物に於ける鶏虎列刺、皮〓〓の原因等は皆此バクテリヤに属するものなり而して其バクテリヤが人體若しくは動物體中に侵入し病を作す所の作用に二種の別あり甲は體中に於て充分なる蕃殖を遂げ血管其他の組織内に充填して血液の運行を杜絶し終に人若くは動物を斃すに至るもの即ち皮〓〓の如きもの是なり乙は體中の或る局部に留り其バクテリヤ自ら一種の毒物を〓出し其毒は體中殊に血液内に廻りて病を〓さしむるものにして即ち實布〓里亞、破傷風、虎列刺、腸窒扶私の如き是なり

種痘を施して〓〓を豫防する其方法は今より百年前の發見に〓れり然れども其發見や全く偶然に出で學理上の研究に基けるものにあらず故に何か故に種痘を爲せば痘〓を免がれ得べきやと云ふ學理に至ては未だ之を知ること能はず凡そ物あれば必ず其理なかるべからず近時醫學の進歩と共に傳染病學も大に進歩し其研究に從事するものも少なからざるに其理を探求する能はざりしは研究未だ〓ならざりしの罪にして百年後の今日種痘法の發見者たるゼンテル氏に對し深く耻ざるを得ざるなり幸にパスチユール、古〓〓氏の輩出するありて漸く其理の一端を啓發し聊か學者の〓を開くことゝはなれり

今日實布〓里亞、破傷風の如きは動物體に之を豫防し又た治療し得ることは〓に〓密なる研究を遂げたり其方法は他の同樣なる傳染病に對して適用し得べきものたることを學者間に是認せしむるに至れり之を説明するに先ち一言すべきことあり即ち傳染病は其種類甚だ多きも其原因の近今日までに明かなるものは亞細亞虎列刺、腸窒扶私、實布〓里亞、破傷風、肺結核、インフルエンザ、丹毒、痳病等のバクテリア及び動物を侵す所の皮〓〓、鶏虎列刺、豚のロートラーフ、馬鼻〓等の原因なりとす又下等動物即ちプロトツオンが其原因となるものにして確認するに足るべきものは〓刺利亞の原因マラリヤブラスモノヂエン、赤痢のアンヨーベン杯に過ぎざるなり痘〓は種痘法あるにも拘はらず其原因は未だ知ること能はず〓疹、〓紅熱亦皆之を知るを得ず總て人の皮膚に現はるゝ傳染病の原因は未だ全く不明に属すと云ふも可ならん又狂犬病の如き其傳染病たること明かにして其治療及び豫防の方法は佛國のパスチユール氏〓に之を發見せるも其原因は亦未だ不明に属せり此の如く傳染病の種類は甚だ多きも其原因の明かなるものは僅々小數に過ぎざれば先づ其原因の發見を力めて然る後に之を治療し之を豫防する方法の研究に着手すべきかと云ふに一々に原因の發見を待たんも幾多の歳月を要すべきや固より測り知るべからざれば宜しく其〓に明かなるものに對して治療豫防の方法を研究せざる〓からず

古弗氏は一昨年を以て肺結核の治療法を發見したり即ち其ツベルクリンなるものは結核パチルゝスの〓生物にして治療の目的は則ち毒を以て毒を制すると云ふに在り古弗氏の此發見以來傳染病の研究に一新面目を開き傳染病中其原因の〓に明かなるものは皆此方針に向て研究の目的を置き今日の醫學〓會に於て傳染病研究所を設けて一身を其研究に委することとはなれり

凡そ一回或る傳染病に感染する時は終身若くは一定時間其再感を免るゝことは從來の經驗上確實なることにして痘〓の如き一回之に罹るときは終身之に罹ることなく又一回種痘を爲し善感するときは四五十年間は激烈なる流行に過ふも其災を免るゝことを得べし腸窒扶私も一たび之を患ふれば生涯再患することなく〓疹の如き亦然り其間一二の取〓ありて間々再感する者なきに非ざるも一回之に罹りて再び罹ることなく良し再感するも其輕症なる等は之を傳染病の通則と云ふも可ならん然らば何か故に再感せざるかと云ふ學理上の問題に對しては其説種々ありて未だ確然動かす可らざるの定説なきも一回罹りたれば再感せずと云ふに就ては何處かに之を禦ぐべき物の存するなるべしとは最も穿鑿し易き道なるか之に就ても近頃まで種々の説あり就中巴里のメテニコツフ氏の説に據れば一旦皮〓〓に罹り癒えたる動物には再び皮〓〓を接種するも其病源たるバクテリヤは細胞に取り圍まれ全く働を爲すこと能はざるに至り其細胞は何程多くのバクテリヤの侵入し來るも悉く之を取り圍み且之を喰ふが故に〓て侵入すれば〓て喰ひバクテリヤをして其蕃殖を自由にし體中に病機の基因を爲すの遑なからしむと云ふに在り此説たる皮〓〓の如き傳染病に就ては亦一理あるの説にして現に同氏の製したるプレパラートを檢し彼の〓〓バクテリヤは白血球の爲めに喰はれて其形を縮小せることを實見せり確乎たる實驗あるが故に或る傳染病に對しては此説は實に動かすべからざるものなれども然れども體中に於て他の毒物を産生し此毒物が全體に廻りて發病する傳染病則ち實布〓里亞、破傷風、虎列刺、腸窒扶私等に就ては氏の説も頗る薄弱なるものにして終に其證據を擧ぐること能はざるなり

然るに動物をして一たび人工に免疫せしめたるものには血液中に一種彼のバクテリヤの産生したる毒物を減殺すべき物質を製造す此物質に逢ふときは病毒も動物體中に其悪性を逞ふすること能はずして消滅するに至る此血中の物質は一種の蛋白質にして之を名けてアンチトキシテと云ふ又バクテリヤの産出する所の毒物も一種の蛋白質にして之をトキシアルブシテと名く左れば毒も蛋白質又之を撲滅する所のものも同じく蛋白質なり種痘法の痘〓を豫防する其理亦た之と同じ(以下次號)