「後進の方向」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「後進の方向」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

後進の方向

明治の〓年は奉ね政治法律の學を脩め治國〓天下の理を講じて或は官〓に出で或は議院に入り以て所謂宿昔〓雲の志を〓せんとしたりしが其官〓も〓々充滿して且つ登庸規則等の關門もあり又議院とても三百の椅子を毎四年に改むる定めにして之を一生一度の物數寄にす可きも之を本業とはなす可からず官〓に〓ざかり議院を斷念して扨その身を如何に處す可きやと云うに或は教授に從い或は文筆を賣る者もあれども是さえ中々容易ならずして學者の用〓ますます狭少なると共に天下の形勢は漸く〓文を厭いて實業を重んずるに至りしより彼の方向を得ざる學者の徒も爰に一轉して實業に投ぜんことを期望せしが實際に就て見れば其範圍も案外に狭くして銀行なり會〓なり何れも此身を容るゝ餘地なきが如し處世難し後〓の〓年殆んど其往く所に苦み學の成らざるを憂へずして學の成れるを憂いするは正に今日の實〓なり秋風燈火獨り沈思熟考して坐ろに當惑することなる可ければ我輩も亦その〓を共にして一言せんに處世の年を〓いてますます難きは如何にも事實に相〓なければ徃年一介の書生にして忽ち〓位に上り又は市井の小人にして一攫千金の好〓得たるが如きは復た之を今の實業〓會に望む可からず然るに〓年學者の所謂實業とは何を意味するものなるや唯〓中の楼閣を實地に築き階子なくして屋根に登り古人の僥倖を今日に再びせんとする心底ならん歟なれども其心底こそ實業に投ぜんと欲するも範圍の狭きを憂する所以なれば〓に一旦身の方向を〓したる上は同時に斷然覺悟を定めて敢て微賤を辭せず漸次に立身する工風をなさざる可からず想うに芸窓幾年の苦學を回顧し又同學の政事等に奔走するを傍觀すれば假にも微賤に堪えざる感ある可き歟なれども是は學問及び政事の價を〓解する痴心尚未だ去らざるものにして有爲の男子の取らざる所なれば〓斷に次ぐに〓耐を以てし守る可きを守りて漫に動揺することなくんば其成功は蓋し疑なきのみか右の〓心を以て實業界を見渡したらば身を容るゝ餘地猶ほ〓々然るを見る可し且つ夫れ今日は實業振わず〓〓徒に〓々として〓論跋扈すと雖も窃に形勢を察するに〓して久きに堪ふ可からず例えば今の議員の如きも其始め自由民權の〓唱えて國會開設の曉には一擧に政府を破らんと期したる人々なれば開會〓々〓論の聲獨り〓々たりしことなれども漸く民間に厭忌せられて勢、實着ならざる可からざることゝなり又國内の軋轢を調和して海外に經營計畫せざる可からずとのことは殆んど之を天下の與論と認めて不可なきに至れり是れ皆識者の數年前より切言したる所なれども果して與論となる迄には常に幾多の年月を要することにして〓來の風潮は正して此〓に向いたるものゝ如くなれば一兩年の間には彼の議會に喧しき三條例改正云々等の代りに内外の事業を發〓せしむる方案は各黨の黨議となり政府の提案となりて實業の面目を一新する日あるや必然なる可し此時に當り〓に實地の經驗を積み又海外の事〓を詳にする人々は大に其才學を伸ぶる好機會に投ずるを得て名利兩ながら博するに足る可し前〓の望み〓しからざるを知る可し今此政界の變〓を喩えれば恰も學者の身の上の如くにして始めは理に走り後には實に就くものなり學者果して實に就き政事亦果して實に就くとすれば後〓の〓年は一日も早く右の方向に〓み立身の便路を求るこそ智者の事なれ又何ぞ一時の微賤を〓ぶに難からんや之に反して躊躇〓疑する者は人事の競爭に後れて永く迂〓の〓を免れざる可し後〓今日の事は夫れ唯〓斷と〓耐とに在らんか猶ほ今後の就學者の心得及び政府の教育法等に就ては重ねて機を以て論ずる所ある可し