「富豪と學問/實業學校」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「富豪と學問/實業學校」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

富豪と學問/實業學校

文明の風潮に〓れて學問の流行を催ほせし以來貴賤貧富を問わず先を爭いて學に就き學問の修業は猶ほ商業に資本を投ずるが如しとて之によりて他日獨立の生を營む可き基礎を成さんとは一般人の期望なりしに其當初新學問の珍しかりし時代には間々左樣の事實もありしなれども〓來に至りては學問以て金を〓る能わざるのみか知字却て憂患の始めなるを見る事實さえ少なからざるよりして世間にても漸く之を厭う〓を生じ殊に富豪の身として考れば必ずしも學問の必要を覺えず子弟が學問上の智識を伸ばして特に金を〓らざるも可なり唯例によりて家を守るべきのみとて成る可く之を抑えつゝ子弟の切願に是非なく〓學せしむる有樣なりと云う蓋し學問の力を以て直に金を〓る可からざるは今の世〓の實際に於て相〓なきが如くなれども至當の學識なくしては家を守ること能わざる事實も亦これを忘る可からず子弟を教育して金を〓らしめんと云うも〓なり左ればとて之を無用〓するも亦〓と云う可し抑も文明の〓歩するに從い奸計〓智も亦〓歩して世路ますます険しく愚を凌ぐこと至らざるな假令い富豪が子孫をして〓に家を守らしめんと欲するも人事の風雨は繁く且つ寒く苟も間隙を窺い來りて城壁も破る可し門戸も恃むに足らず唯主人の用意如何に在ることなれば無學にして家産の無事を〓るは〓生の法を知らずして無病を願うが如し無理なる所望と云う可きのみ名ある富豪大家にして詐僞者の爲めに欺かれ容易ならざる〓惑を〓りたる談は毎度新聞紙にも見えて實に苦々しき次第なれども若しも其主人に學問の嗜みありて法律の概略にても心得たらんには左る悪策に陷るを免れ得可き上に小人輩も其學識ありて油斷なきを聞くときは〓めより之に向て罠を設る念を〓さざりしことならんと我輩の竊に堪え難き思う所なり左れば富豪が家の無事を重んでじ子弟の教育を控目にせんとするは却て事變を招く原因にこそあれば假令い學問教育を以て家を興す念慮なしとするも單に守成の爲めに之をも等閑に付す可からず猶ほ其教育法の得失に就ては別に〓ぶる所ある可し

〓來實業學校設立の議頻り當局に行われて國會議員の或部分にても右の目的を賛成し或は經費多端の際善事も擧げ易からざる今日なれば寧ろ中等教育を癈して其費用を實業學校に充つ可しとの議論もあるよし蓋し時勢の〓く所自から是れ一〓にして彼の歴史地理等の如き殆んど無効の稽古を科せんよりは農業なり工業なり實用に〓する業を修めしむる方〓に得策なる可しと雖も我輩が爰に論者の一考を煩さんとするは教師に其人あるや否やの問題なり抑も實業の練〓は理を講ずるに在らずして實を示すに在り大工左官の弟子は終日唯〓れ叱らるゝのみにして曾て講義を授けられたることなけれどもイツしか一人前の技術に〓するは何故なりやと云うに唯親方の腕前の慥なるが故なり教師に慥なる腕前なくして而して實業教育の實効を望むは頗る無理と云わざる可からず從來の實業學校出身の生徒に就て之を見るも其結果の大概は知るに足る可し學生の不能なるに非ず教授の怠慢なるに非ず主として其實を示す可き腕前の手本を欠くに外なきのみ左れば今假に武藝學校を設るとせば一刀流にても二刀流にても封建時代の老武者を呼〓して教師甚だ多く〓て人を驚かす結果ある可き其反對に實業の教師たる可き學者は世間に甚だ少なくして豫期の成績を見ること易からざる可し世の實業學校設立論者は一たび思を爰に致して尚ほ工風する所あらんこと希望に堪えず我輩固より大工左官の教授法に甘んずる者にあらざれども實業學のいよいよ實ならんことを欲し敢て一言を呈して參考に供するのみ