「教育の説」
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時事新報に掲載された「教育の説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
學問は人の家に居り世に處する爲めの方便なり學問を外にして居家處世の道あらば必ずし
も書を讀み理を講するの要用なけれども人間萬事學問の道理に外るゝものなきゆゑにヘ育
を大切にすることなり左ればヘ育は人生に缺く可らざるものとして其ヘ育法に二樣の別あ
れば其區別を明にせざる可らず即ち一は單に之を身の嗜みとして勉るものと又一には其學
び得たる學問を以て立身の資にするものと趣を異にするが故に凡そ世間の父母たる者は子
の爲めに謀りて豫めヘ育の方向を定むること肝要なる可し例へば農工商の家産既に豐にし
て其子に家業を讓らんとするものか左なくも之を實業社會に入れて身を立てしめんとする
者は必ずしも深く專門の學業を得せしむるに及ばず唯一通りのヘ育を授け學問の大體を心
得るのみにて事足る可し之に反して家道の都合もあり又その子の性質もあることなれば到
底學問を本職にして身を立てしむるの外なしと認るときは專門を脩めて高尚の處にまで達
せしめざる可らず醫師法律家その他諸科の技師ヘ師等にして是等は皆その學び得たる學問
を利用して私の生計を營み又公衆を利する者なり之を喩へば宗ヘは人生に缺く可らざるも
のとして專門に之を脩め之を説き以て身を立る者を僧侶と名け其ヘを身の嗜みとして之を
信じ大體の〓旨を心得て朝夕忘れざる者を信者と名け双方の間に明なる區別あるが如し子
をして學問の僧侶たらしむるか又は其信者たらしむるか父母の熟考を要する所にして子の
爲めには生涯の一大事なりと知る可し世間は或は千金の子にして法律等の專門に入り學業
未だ成らずして早く既に家道を忘れ遂に小吏と爲り又小政客と爲り却て家を亡ぼしたるの
事例なきにあらず畢竟父母たる者が子の爲めにヘ育の法を誤りたるの罪なり右に陳る所大
に違ふことなしとして社會の全體を見るに生涯學者を以て身を立て所謂學問の本職僧侶た
らん者は是非とも專門の業を研究して深きに達せざる可らず其人に在ては一身の名譽、公
けの爲めに謀れば國の光にして萬々等閑に附す可き事にあらざれども廣き全國中には學問
を本職にせずして唯その大體の知見を要する者こそ多ければ都鄙諸學校の組織も勉めて之
に應ずるの工風なかる可らず就中小學校の如き小學中學大學とあれば俗間の考にて其名義
の順序に從ひ小より中に進み中より大に達するやうに思ふ者もなきにあらざれども其實は
互に縁なく小學は小學にて終りて妨ある可らず故に毎校のヘ育法も其學校限りに終るもの
と定め小學は小學ながらに人生に必要なる居家處世の知見を授るこそ學問の本意なれ即ち
手習双露盤より手紙の文言を知るが如き小民の家にも缺ぐ可らざることなり或はヘ師が書
を以てヘえ又は口に語りてヘるにも小民の日常に縁ある事ネを以てし百姓なれば種を蒔き
苗を植ゆる季節方法又は肥料の良否、収穫の多寡等都て其生徒が家に歸り父母に語りて耳
に入り易く又父母に聞て翌日學校に行けばヘ師の試問に答ふることも易しと云ふが如く一
切のヘ授を實地に差向け學校のヘと民間の日用と相離るゝことなからしめ始めて學問信心
の道を開くに足る可し多年來學制の變革一再ならず當局者の心を用ること厚しと雖も曾て
意の如くならず辛苦養成し得たるものは常に人事に迂濶にして實用に適せず學業いよいよ
進んでいよいよ立身成家の道に遠ざかり時としては社會の邪魔ものとまで評せらるる者あ
るに至りしは畢竟學の字に誤られ學問ヘ育とは少年をヘえて學者にすることなりと心得そ
の方針を高尚に向けたるの罪なり宗ヘ貴しと雖も天下の人民は悉皆僧侶にす可らず然らば
則ち學問必要なりと云ふも一切の生徒は學者にす可らざるなり