「震災地方工事の風聞に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「震災地方工事の風聞に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

震災地方工事の風聞に就て

昨年十月岐阜縣下の大震災に際し政府は救濟補助の爲め前後兩國の緊急勅令を以て合計三

百五十餘萬圓の國庫金を支出したり抑も彼の震災は今更ら云ふまでもなく非常の出來事な

れば政府に於ても非常の處分なかる可らず臨時勅令の急發は誠に至當の處分にして我輩の

異議なき所なれども三百五十餘萬圓の金額は殆んど我國歳入の二十分一にして少なからざ

るのみか當時の有樣を云へば政府は恰も岐阜縣に對する全國人民の同情を代表して支出し

たることなれば之を消費するに當り其局に當るものは最も謹愼して同胞人民の至情に答ふ

る所なかる可らず故に我輩は一片の婆心自から已む能はずして屡ば忠言を試みたるは讀者

の知る所なる可し(就中本年一月廿二日の社説)然るに近頃に至り同地方の工事に就きて

面白からぬ風聞頻りにして我輩の耳に觸れたるものも一にして足らず固より取り留めぬ風

説にして容易に信を置く可きに非ざれども既に斯る風説のある上は之を等閑に付す可らず

即ち其風説の儘を記載せんに震災地方の人も當時の恐怖次第に去るに隨ひ人生に免る可ら

ざる好利の心おひおひに萌したるものか、金の支拂に關して種々怪しむ可き談もある中に

最も著しきは工事請負の始末にして其不體裁いふ可らず例へば甲某が一萬圓の工事を請負

ひ八千圓にて之を乙に賣渡せば乙は六千圓にて丙に讓り甲乙共に二千圓づゝを利して丙は

更に最後の請負人に渡すに五千圓の低價を以てし數人の間に請負の權利を轉賣して扨その

出來上りたる結果を見れば最初の命價と最後の工費とは半額の差を現はすが如き不始末さ

へありと云ふ右は全くの風聞に屬するのみならず一地方一時何百萬圓の大工事にして時に

或は監督に不行屆もある可し又その請負に付て所謂口錢手數料を利したる者もある可し人

事に免かる可らざる所なれども如何せん其風聞の餘り甚だしきが爲めに廣き世間の中には

竊に疑を起す者なきにあらざれば工事の當局者は勿論震災地方の人々も天下公衆に對して

其事實を明にし以て疑を解くの責任なきを得ず如何となれば斯る風聞の行はるゝは單に會

計當局者の不始末として見る可きのみならず岐阜縣民全體の不名譽なればなり或は今日に

於て事實を取調ぶるも果して之を明にすること難かる可しとの説もあらんなれども其事た

る决して難からず曾て德川政府にて外國に軍艦を注文して之を請取りしとき其代價不相當

に高しとの議論を生じたることあり代價の不相當なるは明白なれども左りとて之を取調ぶ

るの方便なきが故に不問に付するの外なしと衆議の最中或る外國人の説に其取調、决して

六ケしからず無形の事ならば致方なけれども凡そ有形の物を製造して又これを販賣するに

は材料の買入れ職工の賃錢より運送の費用、賣買の手數料に至るまで一として帳簿に上ら

ざるはなし故に其帳簿に就て次第次第に調査するときは如何なる細目と雖も又幾年を經過

したる跡と雖も明白ならざるものはある可らずとて代價取調の方法を論じたりと云ふ其結

局は如何なりしや知らざれども震災地の工事と雖も此方法の如くにして調査に着手し木石

等の材料は若干を要し工夫は幾百名にて賃錢は何程を拂ひ而して何十日間に成功したるや

等を一々帳簿に就て調べたらば其事實を得ること甚だ容易なる可し斯くて愈々不都合なき

の事實明白ならば之を天下に廣告して世人の疑を解く可し目下不祥の風間行はるゝに際し

其當局者及び縣民全體の面目を保つの工風は此方法に外ある可らず我輩は疑似の間に事を

論ぜずして只速に其事實の明白ならんことを待つものなり