「軍艦の製造と將士の養成」
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本文
軍艦の製造と將士の養成
近來我國にて海軍の事を論ずるものは何れも軍艦製造の急務なるを説かざるはなし軍艦の
製造素より忽にす可らずと雖も單に多數の軍艦を備へたりとて之を以て海軍の發達を致し
たるものとは云ふ可らず如何となれば之を運用す可き海軍の技術に精通熟練なる將校士官
に乏しきときは如何なる巨艦艨艟も其用を爲さゞればなり試に佛清福州戰爭の例に徴する
に當時清國には軍艦水雷の備なきに非ず又砲臺の設なきに非ず然るに佛將クルベー提督の
一撃に遇ふて脆くも破壞せられたるは他なし其將士に技術の精練を欠ぎたるが爲めに外な
らず歐洲に於ても土耳其の如きは軍艦を備ふること少なからずして甲鐵艦のみにても十八
艘を有すれども未だ海軍國の一として數へられざるは其經理の不整頓にして將校士官その
人に乏しきが爲めなりと云ふ又伊太利の如きも二十年來專ら軍艦の改造に從事し甲鐵艦を
備ふること二十二艘の多きに及び殆んど隣國なる佛蘭西を凌駕せんとするの勢なれども識
者の説に據れば其將校士官の技倆實力に至りては佛國に及ばざること尚ほ〓〔卓+シンニ
ョウ・とお〕しと云ふ精錬なる將士を得るの容易ならざるを知る可し聞く所に據れば當初
我海軍の將校は舊幕府及び各藩の軍艦に從事したる將校を其まゝ任用せしものにて其後艦
數の增すに隨て其人員も增したれども實際の技倆如何を問へば何れも變則に由て修業せし
ものなるが故に一技に長するも一術に短なるあり實地の熟練に富むも學力に足らざる所あ
る等とかく適當の人に乏しかりしと云ふ幼稚なる時代に免れざる所なる可し而して日本海
軍が始めて歐洲普通の正式を採用して士官の養成に着手したるは實に明治六年のことにし
て之より先き(明治二年)政府は海軍兵學校を創立して少年の子弟に技術を修めしめたれ
ども其敎師は何れも前述の變則家流にして結果の見る可きものなかりしかば此時に至り英
國政府に依賴し同國海軍大佐ドウガラス氏以下數名を雇聘して士官養成の事を委任したり
是に於て氏は大に舊慣を改良して海軍學科の程度を高め學術の修業終れば練習艦に乘組み
て實地演習を爲さしむる等の方法を定め且從來の學生を淘汰する爲め壯年速成生と少年正
則生との區別を設けて前者は變則を以て速成を期したれども後者は專ら正式に養成して永
く海軍士官養成の摸範たらしめんとて最も意を用ひたり而して時の當局者も其計畫に同意
して大に力を添へたるが故に士官養成の基礎こゝに始めて確定し其後氏の方案を繼ぎ次第
に改良を加へて終に完全なる今の兵學校を見るに至りたるものなりと云ふ斯くてドウガラ
ス氏の計畫に出でたる第一期の正則生が豫期の科程を終りて始めて卒業したるは明治十一
年にして我國に於て正式の方法に養成せられ相當の學術技倆を備へて今後海軍の重任を托
す可きものは實に十一年後の卒業生に在りと云はざるを得ず而して最初に卒業したる士官
輩は今は重に大尉にして或は少佐に進みたるものもあれども今後の必要の研究實驗を經て
將官の地位に至るまでには前途尚ほ遠きが故に我國の海軍が上は將官より下は少尉まで正
式の腕揃を見るに至るは幾多の歳月を要することゝ知る可し抑も將校士官の精練を養ふに
數十年の歳月を要するは歐洲先進國の例にして今英國と日本との比較を示せば左の如し
英 國 日 本
少尉 在職年限 三年 少尉 在職年限 三年
大尉 同 十二三年 大尉 同 七八年
少佐 同 七八年 少佐 同 四年
大佐 同 十五六年 大佐 同 七八年
右は平均を取りて算したるものにして或は其年限中と雖も抜擢に依りて速に昇進するもの
もあらん又は不幸にして永く進まざるものもあらんなれども先づ大抵は斯る割合のものと
して間違なかる可し之に由て見れば英の在職年限は日本よりも長き其上に實際には海外に
軍艦を派遣すること多きが故に隨て實地の熟練に乏しからず又佐官尉官には陸上の職務を
執らしむることなく只武官に非ざれば所理すること能はざるの塲合に限りて之を命ずるに
過ぎず故に軍艦に乘組まざるものは悉く非職として必ず海軍大學校に入らしむを例とし出
ては實地の熟練に從事し入ては學術の發達に勉強せしむるの仕組なりと云ふ其將士の養成
法に於ける至れりと云ふ可し我海軍の當局者は曾て議會に於て日本の軍艦は十二萬噸を要
する旨を明言せり盖し東洋形勢の平均上より算出したるものならんなれば今後一定の造艦
方針に從ひ目下現在する三十餘艘の軍艦に加へて次第に其噸數を充すの計畫は素より必要
なれども將校士官の技倆實力を發達せしむるの一事も前記の理由の如く海軍進歩の爲めに
一日も等閑に付す可らざるものなれば先進國の例に鑑みて大に其方法を改進し將士の養成
と軍艦の製造と双々相待て釣合を失はず以て日本海軍の隆盛完備を期せんこと我輩の當局
者に希望する所なり
因に記す此程の外國電報に英國軍艦ハウは淺瀬に乘上げて救助するに困難なりとの報あ
り詳報に接せざれ事實を確むること能はずと雖も此ハウ號(Howeをハウと訓む昔時有
名なりし英國海軍將校の名なり)は一等甲鐵艦にして噸數一萬三百噸、馬力一萬一千五百
馬力、千八百八十九年に落成したるものなり右の軍艦にして破壞に至らば英國海軍の損害
は少小ならざる可しと云ふ既に當春も英國艦隊の旗艦ヴヰクトリヤ(千八百九十年落成し
たる一等甲鐵艦にて一萬四百七十噸、一萬四千馬力の者なり)が地中海に於て暗礁に乘上
げ艦底を破損し幸にして引卸したることあり數百年來熟練を積みたる英の海軍が自國の近
海又は地中海の邊に於て屡ば失策を演するは不審に似たれども近時歐洲に行はるゝ一萬噸
以上の大甲鐵艦は運轉の技術なかなか容易ならずして彼國將校の熟練を以てするも時とし
て過を免れざるが爲めなるべしと云ふ我國の如きも世界の大勢に於て今後十數年の内には
是種の大艦を備へざるを得ざることなれば海軍の當局者は今より茲(玄+玄)に注意して
將校の技倆熟練を奬勵すること肝要なる可し