「修身書採定の標準」
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本文
修身書採定の標準
小學校修身敎科用圖書に供せんとて從來幾多の著述者が心を勞し身を役して編輯したるも
の少なからざりしに過般文部省が「小學校修身敎科用圖書は可成多數の圖書中に就き最も
善良なるものを撰擇すべき儀に付検〔手偏〕定濟の圖書多く出るを俟ち明治二十七年四月
以後に於て之を審査採定すべし」と訓令せしより此等の編輯者は迷惑一方ならず盖し修身
書の材料たる概ね類似のものにして唯これを結構するの鑑別方法を異にする迄のことなれ
ば今既成の同書類を集め之を折衷取捨して別に一册となす者あるも法律上版權侵害を以て
論ず可らず結局從來の修身用書は假令ひ採定を得たるものにても實利をば他に奪ひ去ら
るゝの姿と爲り編者の辛苦水泡に屬すると同樣なりとて一旦かの訓令ば發布はしたれども
猶ほ此邊の事情に付て種々の議論ありといふ洵に左もある可きことなれども其議論の如何
は姑く擱き抑も斯る困難の出來する其源を尋ぬれば文部省が修身の用書として最も善良な
るものを審査採定せんと欲するが故なりと我輩は敢て斷言して憚らざる者なり道德の書を
見て其孰れか最も善良なるや否やを識別せんとするが如きは實に至大の問題にして文部二
三の官吏が果して之を决定するの見識あるや又その權利あるやは頗る疑ふ可きのみか之を
决定せんと欲するこそ却て錯誤を來すの本なれと云はざるを得ず試に看よ同じく是れ道德
の敎にして儒佛あり耶蘇、回々敎ありて各所見を一にせず又その儒書にても孔安國これを
註し朱熹これを註し徂徠の註あり仁齋の説ありて和に漢に所説紛々として分れ古より今に
至るまで其是非未だ知る可らざるに非ずや法律制度は政權を以て左右す可しと雖も文部省
が道德の標準を决定せんとするに至ては唯驚くの外なし我輩は斷じて其不可を言ふ者なり
然らず修身用書は世間人々の出版に任せ一切不問に看過す可きかと云ふに是亦然らず苟め
にも小學校の敎科書として德育の一端に用ひらるゝ上は素より大に愼重を加へて吟味せざ
る可らざるは勿論殊に近來忠孝と云へば親を殺し子を殺す等の事例を引き又少しく平易の
ものと云へば動もすれば猥褻に流るゝ等實際敎科に用ふ可らざるものもなきにあらざれば
此の如きは斷じて小學校の採用を禁止す可しと雖も其禁止は唯有害のものに限りて他は都
て之を許可し各地方各小學校の適宜に任せて敢て問ふ可き限りに非ず一籠の菓實の中より
有毒のものを除き去れば採定の能事終ると心得て可なり幾百千の中にて是れこそ最も熟し
て最も甘しなど定めんとするが如きは老婆の痴心にして實際に無益のみか鑑定者の舌に適
するものを以て他人に強ゆるに異ならず多辨を俟たずして其不可を知る可し左れば文部省
も敎科書を撰ぶには最良採定の舊筆法を止め單に害あるや否やを検〔手偏〕査する迄の趣
向にす可しとは我輩の夙に唱道して當局の注意を促したる所なりしが言未だ容れられざる
に却て困難を出現せしむるに至りたるは窃に遺憾とする所なり且つ夫れ文部省が最良を撰
定せんとするが爲めに隨て用書の數を減少するより出版者は何れも自家の書の採用せられ
んことを競ひ、競爭の餘云ふ可らざるの醜聞を洩らすことさへ珍しからず人或は之を聞て
官吏の貪を責め商人の惡を憎み神聖なる敎育界を汚濁する者なりとて只管その所行を咎む
ることなれども我輩は寧ろ其人を罪せずして其こゝに到らしむるの仕組を悲まざるを得ず
酷評すれば右の仕組こそ罪人を造るの陥穽なれと云ふも可ならん知らず明治二十七年四月
以後に於て如何なる風評を聞くべきや之を要するに從來文部省が小學校修身敎科用圖書に
對する心得及び彼の訓令第八號の如き偶々弊害困難を惹起するの原因なれば検〔手偏〕定
の標準は唯有害のものを禁ずるに止む可く更に進んで自から道德の標準を立つるなどゝは
古今の一奇談思ひも寄らぬことゝ知る可きものなり