「 施政の方針 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 施政の方針 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 施政の方針 

臨時内閣總理大臣代理井上伯が施政の方針として昨日衆議院に於て朗讀したる趣意書

の筆記は頗る長文なれども其要點は軍艦製造、條約改正、地價修正、河川堤防修繕の四項に過ぎざるが如し左に之を概評せんに

第一 軍艦製造に就ては世界の大勢より論及して日本の國防は海軍の擴張を急にす可しと云へり全體の國防上に海陸軍何れを急にす可きやは重要の問題にして急と云へば海陸共に急にして其間に輕重なきを信ずるものなれども軍艦の製造に至りては素より賛成する所なり例へば彼の伊太利の如き歐州強國の一に位すれども實際の國力に於ては英佛等の諸國と匹敵す可きに非ず然れども近來大に海軍の擴張を謀り堅牢無比の軍艦を備ふるの一事は諸國の重きを置く所以なりと云ふ我國の如きも今の列國競爭の間に立たんとするには固より軍艦の備を欠く可らず故に其製造の一事は我輩の大に賛成する所なり

第二 條約改正は多年の希望にして其成功を期するは勿論なれども其事たる重大にして愼重を要し又國民の意向を一にするの必要あり而して條約改正とは國として有す可き權利を全ふするに在り云々との一言は淡泊無味にして儀式一偏の詞に聞ゆれども外交の事は虚々實々にして其駈引は言辭の中に顯はすを得ざるのみならず今の當局者には年來外交に熟練の政客もあれば實際に於ては自から人の意表に出づるの妙略もあることならん我輩は其言に重きを置かずして其人の技倆に望を屬するものなり

第三 世論の喧しき地價修正は不公平の甚だしきものに限り實行す可しとの明言に至りては我輩の大に驚く所なり抑も其甚だしきものとは何を標準として定む可きや本來地價云々の不平は人民銘々の利害に關する談にして他人の容易に窺ひ知る可きものに非ず然るに今公共の眼を以て甚だしきものと認め之を低減するも銘々の利害に於ては更に甚だしきものあるや疑ふ可らず故に一たび低減を斷行するときは更に又甚だしきものを生じて低減又低減際限ある可らず迚も實際に行ひ難きことなれば低減の一事は詰り全國に不平の種を蒔て後日の患を遺すに過ぎざるのみ又低減を行ふて收入を減ずるも他の税源に於て増す可きものあるが故に國庫の經濟には損する所なしと云へども苟も國庫の收入を減ずることなく又事情に從ひ漸く増すこともあらんとの覺悟ならば必ずしも辛苦して他に税源を求るに及ばず當局者は既に地價の不公平にして修正の必要なるを認めたり其事果して必要にして果して實際に行はる可きものならば其不公平にして最も低きものを引上げて可なり是れぞ至當の經濟法なる可きに事こゝに出でずして唯一方の高きものゝみを減じて其償をば新に他に求めんとす、之を評して事を好むものと云はざるを得ず凡そ税源を求るに國の古俗習慣に依るの大切なるは當局者の飽くまでも知る所ならん左れば今の地租にして維新以來増したるの實もあらんには之を減ずるも敢て差支なけれども徳川政府の時に比すれば其輕重同日の談に非ざるに尚ほ其上にも負擔を輕ふせんとするは毫も理由の見る可きものなくして畢竟現政府の政權鞏固ならずして世論の囂々に堪へざるの徴候と認むるの外なし我輩の飽までも服せざる所なり

第四 河身改良堤防修築に費用を要するは勿論にして從來の方法は只僅に其舊を保つに過ぎざるのみか或は年を逐ふて破壊に赴くの實もなきに非ざれば其改良修築は最も

急にせざる可らざること勿論なり詳細の計畫に至りては何れ主務者の説明あることならんと雖も我輩の希望する所は從來の如く地方に由り其方法を異にし一方の利は一方の害と爲りて却て破壊を促す等の患なく其計畫を一定し日本國の河川堤防の工事として其功を全ふするの一事のみ

其他國民の精神、國力の発達云々に至りては何れも儀式一偏の立言にして我輩に於ても別に評論を費すの要なければ省略に付するものなり