「施政の方針と政海の變化.」
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時事新報に掲載された「施政の方針と政海の變化.」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
施政の方針と政海の變化.
一昨日衆議院に於て井上伯が施政の方針を發表し次で大藏大臣の演説は如何にも突然の事にして世人の等しく驚く所なる可し政府の政略は其發表前に秘密を守る可きこと勿論なれども從來に於ては秘密々々と云ふ中にも兎角事の漏れ易くして民間に之を窺ひ知るものなきに非ざりしに今回は固く守りて愈々發表に至るまで何人も臆測することを得ざりしは政略の宜しきを得たるものと云はざるを得ず其手際は我輩の賞賛に憚からざる所なり扨その方針に就て注意す可きものは地價修正と酒、烟草、所得三税法の改正にして修正の説は修正の説は本來反對黨の人々が政府に對する唯一の利器として主張したるものを今回は突然政府より提出して之を行はんとすることなれば主客一朝に地を換へたるの姿にして從來の政論黨議は為めに一變せざるを得ず政海の混雜思ひ見る可し何を云ふにも一昨日以來突然の出來事にして當局の政客中にも急激の際、意見去就の定まらざるものも多かる可し其變態の結果に就ては容易に斷言するを得ずと雖も試に我輩の推測を以てすれば案外なる事も多かる可しと想像せざるを得ず抑も今の地價修正を唱ふるものは一概に修正論と稱すれども細に其性質を吟味するときは同じ修正論の中にも自から精神を異にして大凡そ之を三類に區別す可きが如し即ち第一は眞實に今の地租を以て負擔の重きものと爲し其輕减を望むものにして徳川政府の時に比すれば今日の地價は决して重からず實際に堪へ難きに非ざれども兎に角に全國の割合を平均して獨り自家の地方に偏重なるを覺え之を負擔に堪へずと云ふは自然の人情にして誠意誠心より修正を唱ふるものと第二は政費節减の爲めに修正を主張するものにして本來の目的は政費を節して政府を苦しめんとするに外ならざれども節减の論亦自から口實なきを得ず是に於てか地價修正論に一時の人氣盛なるを利して其目的を達せんとするものと第三も亦その目的は修正に非ざれども自家の便利の爲めに姑く之に賛成するものにして即ち地租輕减の如き監獄費國庫支辨の如き叉輸出税全廢の如き銘々主張する所の本領はあれども何分にも同意の人數少なくして議會に過半數を得るの見込なきより修正に賛成する其代りに叉他の賛成を得んとするの輩にして恰も爲替の方法の如く自他の賛成を交換せんとするものとに外ならず凡そ今の修正論は以上の三類に區別して實際に間違なかる可し然るに今や事態一變して修正の本城は政府に移り政府自から民論の先鋒を勵るの塲合となりて扨その論者の去就向背は如何なる可きや眞實修正を希望して他意なき第一類のものは恰も年來の希望を一朝に達したるの心地して歡喜雀躍啻ならざることならんと雖も他の種類の輩は如何と云ふにその情自から異ならざるを得ず即ち第二の論者は政費節减の爲めに修正に賛成するものなれば政府が絶對的に修正の斷行とあれば兎も角もなれども之が爲めに酒、煙草、所得三税の増加を見るとありては何の效能もなきのみか一方に與へて一方に取るは暴を以て暴に代ゆるに非ざれば朝三暮四の戯なりとて大に反對することあるやも圖る可らず叉第三の論者も今度の政案に從ひ唯修正の熱心家のみを滿足せしめて自家に得る所なしとありては恰も片爲替の姿と爲りて之に甘んずる者はなかる可し脩正論者三種類の大體を吟味しても斯の如くなる上に同じ黨派中の人々とても此一事に就ては本來利害を異にすること猶ほ其面の如きことなれば去就向背は容易に知る可らず而して實際の論勢如何と問へば第一の眞實修正を希望するものは割合に少なくして第二第三の論者こそ寧ろ多數なる可しと云へば今後の成行は愈々不分明ならざるを得ず我輩とても昨今の塲合、聊か一塲の推測談のみにして確説を得べきに非ず唯政海變化の次第を一言して世人と共に今後の成行に注意せんとするものなり