「傳染病の豫防を如何せん」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「傳染病の豫防を如何せん」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

右の論理に據り漢法醫道は傳染病の豫防に害あること果して事實なりとせば斷然之を廢止

せざる可らず我輩固より漢法醫師に恨もなく又其人の如きは或は能く漢文を解し品格鄙し

からずして一種の文人とし相見るに足る者往々之なきに非ざれども如何せん其執る所の主

義は漠然たる空理に在るが故に共に文明の學理を談ずるに足らず誠に氣の毒千萬なりと雖

も國家衛生の爲めこゝに之が廢止論を發するの已むを得ざるに至れり

凡そ傳染病豫防消毒の方法を實施するや擧て之を警察官の一手に委托するは甚だ不都合な

り我輩は之を該病豫防の不完全なる第二の原因なりと信ずるを以て今此不都合なる所以に

就て一言せんに警察官殊に巡査其人の如きは固より傳染病の病理如何を學び得たる者に非

らざるが故に法律規則を讀で字の如く一直線に之を行はんとす是れ决して無理ならぬ次第

なれども之が爲め寛巖其度を誤り取捨其宜しきを得ず常に世人をして傳染病の屆出を嫌忌

せしむるの原因となりu々以て隱蔽の弊習を養成するに至れり加之ならず警官と醫師とは

常に相反目するの状態あるを以て醫師も亦故意に非ざるも自から屆出を怠慢に付するの傾

なきに非ず現に東京府内に於る膓窒扶斯の如き毎年多少の流行あるも多くは之を隱蔽し公

然報告に出る者は患者十中の二三に過ぎずと云ふ斯る現况を以て推すときは若しも明年に

於て赤痢病の東京府内に侵入し來ることあるも全く之を撲滅するの功績を収ること能はず

赤痢病も亦必ず膓窒扶斯に於るが如く一種の風土病となるに至るや殆んど疑を容れざる所

なり左れば此不都合なる所以を究明し速に之を改るの工風を講ずるは目下衛生上の一大要

務なる可し抑も警官と醫師と意氣相投せざる所以は固より惡意ありて然るに非ず警官の目

を以て醫師の全體を視れば未だ以て傳染病の豫防消毒を委托するに足らざる者往々之ある

が故に自家の職權を以て之を斷行し時ありて醫師の權内に立入るの傾あるに歸因するのみ

事實果して然るとせば此不都合を改むること難事に非ず宜しく平時に於て醫師と警官とを

して協議會を開かしむるの方法を定むべし盖し醫師たる者は傳染病豫防消毒の大部分を負

擔すべき筈なるが故に醫師より屆出るも巡査は直に病家に就て或は巖に豫防法を諭示し或

は又日々消毒法を施行するに及ばず病者の治癒又は死亡の後に至り始めて病家に臨み若し

必要あるに於ては各病應當の消毒法を行ふ可きのみされば病中の豫防消毒法は悉皆醫師の

負擔に歸し以て其責任を實にすべし之を要するに豫防消毒法は總べて醫師と警官と協議上

之を施行し務めて病家の嫌忌せざる樣に注意し以て蔽隱の弊を除き去るに在るのみ(但し

虎列剌病の如きは此限に非ざれば別に其法を定むべし)右の如く醫師は警官との協議會を

開き豫め豫防消毒の手續を一定し取捨寛巖適度に之を行ふときは虎列剌病を除くの外傳染

病の豫防消毒に於て殆んど遺憾なきを期すべしと雖も漢法醫流の人々をして此協議會に加

入せしめて之に豫防消毒法の取扱を任ずるが如きは固より叶ふべき事に非ざれば只此一點

に就てのみ觀察を下すも漢法醫道を廢止するの必要を發見するに足る可し今試に我國内に

於る古流の醫師を全廢し之に代るに日進醫學を修めたる醫師を以てし之と警官との協議を

以て一意傳染病の豫防消毒に從事するものと假定せば其結果は如何あるべきや我輩の想像

を以てすれば必ずや衛生法規の金科玉條は本來の光明を放て猛惡なる病毒を撲滅し盡して

遺す所なく健康萬歳とも稱すべき一新天地を開くに至るや盖し疑を容れざる所なり(以下

次號)