「 朝鮮國紙幣の發行 」
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時事新報に掲載された「 朝鮮國紙幣の發行 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
朝鮮國紙幣の發行
に付き其由來を尋れば明治十五年京城變亂の後、日本支那兩國よりおのおの兵隊を送りて城中に屯在せしむるに當り支那兵營の支出は都て馬蹄銀を以てして常に韓錢と交換するの例なりしが故に一兩年にして朝鮮の國庫に馬蹄銀の堆きを爲し其使用に不便なるが爲め典=(ルビくわん)局なるものを設け馬蹄を改鑄して新銀貨を作りたることあり盖し當時韓廷に雇はれたる獨逸人モルレンドルフ等の立案に由るものにして之が爲め外國より造幣器械をも買入れたれども新貨の製造極めて拙劣にして萬般の取締なく贋造盛に行はれて通用を紊だり一兩年を出でずして眞貨は跡を收めて往く處を知らず爾來韓廷の財政は日に困難を極め一昨年に至りて安=(ルビけい)壽等が官員の資格を以て日本に渡來し種々周旋したれども之を顧みる者なく唯二三の投機者が之を奇貨として何か試んとしたるまでのことなりき、一年を超えて昨年の秋安=壽、李崔奎の徒は某氏の紹介を以て大坂某銀行の頭取大三輪長兵衞氏と交り遂に之を朝鮮政府に禮聘することに定まりたる其目的は氏に財政整理の事を任じて先づ第一着に大に外債を募り典=局の器械を以て銅貨又は銀貨等を作り之を基本として紙幣を發行するの計畫なりと云ふ一説に我政府の筋よりも其事業を成行せしめんとて先年韓使朴泳孝金玉均の一行に貸附したる元金十七萬圓の利息取除の分二萬餘圓を大三輪氏に渡したりとのことなれば氏が朝鮮政府に對する體面は自から重きを増したらんと雖も扨大體の事業は中々以て意の如くならず或は云ふ大三輪氏は大坂の製銅會社に謀り其社銅を順次に典=局に送りて盛に當五錢を鑄造し之を紙幣發行の準備金にするの工風もあるよしなれども是れとても何か捗々しからずして既に年餘を經過したるに近日聞く所に據れば朝鮮政府は東京の或る石版師に紙幣を注文して目下その印刷最中のよし左れば遠からざる中に朝鮮國京城には古來未曾有の巧妙且つ輕便なる紙幣の發行を見る事ならん曾て計畫したる典=局を仁川港へ移築の事は今日尚ほ未だ工事にも着手せざる其中に百餘萬圓の紙幣は早く既に石版師の手を脱して朝鮮國の市上に出現す可しと云ふ
以上は我輩が近日聞き得たる所にして眞僞知る可らずと雖も若しも似寄りの事實あらんには朝鮮の貿易に關係する我商人は大に覺悟する所なかる可らず一國の政府にて紙幣を發行するは國權に存することにして他より喙を容る可きにあらず唯これを傍觀するのみなれども貿易の利害上より考へて目下朝鮮國財政の眞面目を視察するときは掛念す可きもの甚だ大なり抑も紙幣を發行するには先づ其準備金を用意して然る後に發行す可き筈なるに今回の發行は或は準備未だ備はらずして紙幣先づ發し發行の紙幣を以て準備金を買ふの趣向にはあらずや果して然るときは其紙幣の通用は决して圓滑なるを得べからず然るに政府發行の通貨は國民に於て其通用を拒む可らず之を授けられて物を賣らざる者あれば刑に處して假す所なし即ち朝鮮政府古來の慣手段なれば新紙幣を信せずして其禍を免かれんとする者は品物を隱して深く自から守るの外に方便ある可らず是に於てか政府の官吏又は其筋の奸商等は良民の隱匿を發かんとして所在に無數の罪人を作り國中一時に騒然たることならん昔年大院君が當五錢の通用を強ひたるときの事情に照らしても想像するに足る可し扨この塲合に至り朝鮮自國の人民は專制の治下に居る因果にして如何ともす可らざる次第なれども我日本の商人にして年來同國の貿易に從事し又は今より其事を企てんとする者は彼の開港塲に於て恰も貿易禁止に等しき非運に陷ることなる可し我國の産物を輸入して代價を受取らんとすれば通用難澁の紙幣あるのみ紙幣に依らずして物と物と交易せんとするも其物は竊に國民の家に潜伏して市上に出るを得ず誠に困り果てたる次第なりと云ふ可し左れば今回紙幣發行の一事は彼國内治の政策にして他人の干渉す可き限りにあらざれども其影響する所は國と國との貿易に關して利害の容易ならざるものなれば我商人等も今より覺悟して仔細に事實を取調べ果して掛念の筋あらば斷然朝鮮の貿易を思ひ止まるか然らざれば他に至當の方法を講ずること肝要なる可し