「富豪の要用」
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時事新報に掲載された「富豪の要用」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
富豪の家を治るは專制獨裁の君主が國を治るよりも尚ほ嚴なる可しと云へり此言果して是なりとして其君
主なる家の主人は家道の行政上にこそ獨裁果斷なれ内部の私に於ては優しき仁君たらんこと我輩の飽くまで
も勸告して止まざる所なり今更ら云ふまでもなく人情の浮世には道理の行はれざる處甚だ廣く貧富相對し
て苦樂の異なるを見れば其由て來る所の原因をば問はずして先づ之を羨むこそ人情の常なれば富者の身を
以て其間に處すること決して易からず貧者の情を慰めて不平なからしめんとするには唯惠與の一法あるのみ
なれども有限の財産を以て無限の貧困を救ふは數に於て許さゞる所なり之を救はんとして救ふ可らず救は
ざれば則ち怨む古人の云ふ富をすれば仁ならず仁をすれば富まずとは此邊の意味にして誠に困り果て
たる次第なれども我輩の見る所を以てすれば此困難なる事情に迫りても富豪の爲めに謀りて自から安心の
法あるを信ずるものなり即ち其安心法とは假りに富豪の家を一政府と視做し其政府の部分と私家の部分と
の間に境界を明にして國に所謂宮中府中を分つが如く富家の奥と表とを混同せしめず其表面に現はれたる
專制獨裁の商賣政府は一毫の微も人に許さずして錙銖の利を爭ひ其冷なること水の如くにして私家の奥は
則ち全く之に反し和氣藹然たる慈善の極樂世界唯下界の貧困を救ふて日も亦足らざるか如くするの一事なり
例へば爰に水火の大災害に逢ふて地方人民の災に罹ることあらんに災後には必ず商況の變動あれば商賣人と
して之を傍觀す可きに非ず商機一刻千金を爭ふて災害地に奇利を求ると同時に他の一方に於ては罹災民を憐
みて錢を與へ衣食を給することある可し即ち其地方の災害を奇貨として利を營むは富豪政府の公務にして他
の一方に罹災民を救助するは其家の奥より出る所の私惠なり兩者兩立して相戻らざるを知る可し
右の如く家事の公私に境界を定め其運動相反して相戻らずとあれば又隨て私に費す所の分限なかる可らず
是亦一案を要する所なり試に我輩の所見を云はんに前節に富豪の資産は私有にてありながら其國家に益する
所の一點より見れば自から公共國有の性質ありと云へり既に公けの性質あれば其事業に任ずる者即ち家の
主人は假りに之を公務の人としても至當の報酬なかる可らず其趣は政府の官員が大小の官務に任じて大小の
俸給を収領するが如くにして家の大小に從ひ主人が自から奉ずる所にも自から分限ある可し之を一家の私計
と云ふ其資産の厚薄家族の多少家風の新古等に由りて或は所得の大半を費す者もあらん或は三分の一
を以て足り或は五分の一十分の一にて不足なき者もある可し即ち其人の勞に酬ゆる所のものなれば大家
の主人が常に衣食住を豐にして交際を悦び時に或は榮華を耀して快樂を取るも是れぞ私有の效力にして道
理に於ては一言の間然す可きものなしと雖も人情世界理外の困難は正に此邊にこそ在ることなれば人情と共
に浮沈して周圍の空氣を調和せんとするには自から節して其快樂を圓滿の點に至らしめず興を催ほして興に
乘ずることなく割愛して慈善に盡す所なかる可らず之を富豪の一大安心法と云ふ商賣政府たる家の表より
見れば眼中唯利益あるのみ法律あるのみ慈善惠與の何ものたるを知らずと雖も一方の私より家人の衣食
住を節し快樂を割愛して無縁の貧困を救ふとあれば其救助に預かる者の感ずる所は特に深くして而して救助
者に於ては恰も俸給の幾分を分つことなれば慈善法の分限も自から定まり事に當りて進退取捨の心配少なき
を得べし竊に世間の事情を視察するに甚だしき守錢奴にてありながら不意に大に散財して車馬邸宅別
荘庭園等の外觀を装ひ是れは不思議なりとて人の耳目を驚かすに從て貧乏社會に羨望嫉妬の念を起さしめ
不理窟の事情漸く切迫するに及んで乃ち始めて慈善の事を學ばんとして意外の錢を失ふの事例なきに非ず
畢竟この種の金穴は自家の家道に公私あるを知らず一切の財産を獨裁の下に處理し吝なるときは奥も表も共
に吝にして奢るときは全體の資力を標準にして奮發するが故に其鄙吝も驕奢も共に世間を驚かして詰る處
は自から進退に窮するのみ左れば慈善の事は稀に狹くして大ならんよりも屡々淺くして廣からんことこそ施
主の利益なれば前記の如く直に貧者の貧を救ふの外に或は宮寺に寄附して教化を助け或は學校病院等を維
持して無數の學生患者に功德を施すが如き最も有力なる可し唯事の要は家道の内外を區別し外部の貨殖政
略を内部にまで及ぼして其慈善法を害することなく内に仁心の渥なるあるも其心を以て商賣上の運動を優柔
ならしむることなく兩者相互に妨げずして中庸の邊に家の安寧を保つ可きのみ大小の相違こそあれ古來專
制政治の國に於て法を嚴にし租税を厚ふし時としては収斂の事實さへなきに非ざれども人民より見れば其
君主は則ち仁君にして曾て親愛の情を失はざるは何ぞや其政體に宮中府中を區別し宮中の私は常に仁慈の泉
源なればなり我輩が富豪の主人をして仁君たらしめんとは蓋し此邊の意味なり
以上全編の立言は今の開國の時節に當り貧富不平均の苦情は斷じて云ふ可らず國家商戰の衝に當る者は
富豪の外に求む可らざれば其富のますます結合して其數のますます多からんことを祈るとの趣意にして苟も
經世の士人に於ては異議なかる可しと我輩の敢て信ずる所なり世間或は有財無識の金穴なきに非ず其人の
氣品賤くして共に語るに足らず斯る人物に大資産を所有せしむるも國家の爲めに益することなしなど説を
作す者あれども我輩は之に服するを得ず富豪の要は資力を一處に集めて其運動を一にするに在り既に一處
に集め得たる上は其用法は他より教えざるも資産固有の働を逞ふして直接にあらざれば間接に國家の勢力を
助るに足る可し況んや資産は世襲にして主人は萬歳の身にあらざるに於てをや假令ひ今の主人が云々にても
第二世には自から有爲活溌の人を出すことある可し唯大切なるは一度び結合したる資産を散ずることなく其
結合をますます固くますます大にして國の軍隊と共に對外の備に供せんとするの一事のみ即ち我輩の主眼と
する所のものなり 〔十二月十八日〕