「先づ内に注意す可し.」
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時事新報に掲載された「先づ内に注意す可し.」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
先づ内に注意す可し.
昨今議會の形勢は民黨の氣焔頗る盛にして政府提出の議案は大抵通過の見込なく豫算も亦前年の如く不成立に終る可しとの説、多數なるが如し政海の機變は容易に測量す可らず閉會までには尚ほ時日もあることなれば其中には局面頓に一變して或は案外平穩の成行を見ることあるやも知る可らず今日に於て兎角の説を爲すは速了の見を免れざれども兎に角に議會の反對は年々歳々同一の觀を改めずして事業は擧らず政務は澁滯し當局者の政案は一として首尾よく行はれたるものなし政府の困難想ひ見る可し顧ふに官民の間に不調和を催ほして互に相容れざるは一朝一夕の故に非ず自から因縁のあることなれども其因縁談は姑く攔き今政府と民黨とを相對せしめて其力を計るときは民黨は自から反對黨と稱すれども其黨員たるものは一二の先輩を除くの外は多くは年齢も若く經驗にも乏しく隨て一般の信用も厚からざる其反對に政府の當局者は何れも維新の元老にして功勞の高き其上に政治上の技倆經驗は年來世人の認むる所なれば實際の力に於ては迚も比較の限りに非ず且政府に在る老政客の輩も今は宛然たる雲上の人にして其擧動とかく活潑ならざれども維新の前に於ては何れも一個の壯士にして人の殺され家の燒かるゝが如き小事には曾て心を動かさゞりし人々なれば一旦身構を改めて元の心に立返るときは天下畏るゝに足るものなし今の民論の反對の如き之に處するは容易の事ならんのみ例へば對議會の策にしても愈々度胸を定めて一歩も退かずと决心すれば豫算不成立の如き毫も意とするに足らず議會の求むる所その當を得ずして豫算成立の望なきときは政府は唯前年度に由りて事を行ふ可きのみ若しも年々歳々同樣の次第にして新起の事業を見る能はず國運次第に退縮するとも其罪は我に在らずして彼に在り唯一般の人心をして益す益す議會を厭はしむるのみの事なれば政府に於ては毫も痛痒を感ずることなかる可し或は退て守るを以て妙ならずとせんか更に積極の方針を取り議會の論勢いよいよ堪へ難きに至れば進んで解散を斷行す可し一回の解散尚ほ功を奏せざれば更に再度の斷行に及ぶ可し解散叉解散飽くまでも其執る所を變せざるの覺悟あるに於ては民黨も自から屈せざるを得ず何も畏るゝに足らざる筈なるに然るに實際に於ては力の十分なるにも拘はらず政府の擧動は兎角遠慮勝にして何か畏るゝ所のものあるが如く動もすれば民黨の輩に苦められて之を防ぐの手段にさへ窮するとは更に解し難き處なれども竊に我輩の推測を以てすれば其畏る所のものは外の反對に非ずして内の折合に在り即ち内に顧みるの患あるが故に外に向て活潑なること能はざるものと認めざるを得ず前内閣の失敗の如き民黨の言に隨へば議會の反對に遇ふて敗れたるものなりと稱すれども其原因は矢張り内の折合を得ざりしが爲めに外ならず現内閣は老政客の顔揃ひにして今日迄の形跡にては頗る一致の實あるが如くなれども世間の風説に據れば昨今内閣にては對議會の始末に就て異説を生じたりとの沙汰あり風説素より信を置くに足らずと雖も今後の事態いよいよ切迫を告ぐるに至れば或は此風説を實にするが如きことなしと云ふ可らず内の不折合は政府年來の持病にして一旦外氣の烈しきに遇ふときは端なく其病を發するの虞なきを保證すること能はざればなり政府目下の患は内に在ること明白なれば今日の如く外に反對を受けて其運動の活潑を要するの時機に際しては何は兎もあれ部内の一致を固くして内顧の患を絶つの用意最も肝要なる可し世間の言を聞くに今の政府の部内には兼てより文權武治の二派ありて對議會の策に就ても自から意見を異にするの傾ありと云へり我輩は何人が文派にして何人が武派なるやを知らず叉その双方の意見如何をも知らざれども果して斯る事情ありとすれば畢竟政府を共有物と見て其政權の維持を心に關するよりして意見を異にするものならんなれば其目的に於ては自から一致せざるを得ず左れば今の當局者も能く能く此邊の事情に注意し先づ第一に政權維持の目的を明にして部内の一致を固くするの工風肝要なる可し若しも然らず單に自家の技倆を頼んで一方にのみ進むこともあらば外患未だ除かずして内憂先づ起り案外の不覺を取ることなしと云ふ可らず我輩の豫め忠告する所なり