「休會中に手段なきか」
このページについて
時事新報に掲載された「休會中に手段なきか」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
休會中に手段なきか
議會は年末歳首に際して去る二十四日より來る八日まで凡そ十餘日間休會することゝなれり開會以來の成行を見るに政府の議案は大抵否決の運命に遇ひ豫算は委員の査定案通り異議なく通過するの有樣にして大勢は既に定まりたるものゝ如し即ち議會は今日までの方針を變せず飽くまでも一方に進まんとして政府も亦大に讓るの決心なきに於ては雙方の撞着は遂に免れずして或は停會もしくは解散の不幸を見るか然らざるも豫算の不成立に終る可きは世人の疑はざる所なれども又一方より見るときは熱したるものは案外に冷め易きの常にして例へば毛髪逆立鐵拳亂下の喧嘩爭論も風としたる機に一時中止するときは忽ち氣を轉じて相和することあり俗に稱して氣を抜くと云ふ、十數日間の休會は議會の爲めに氣を抜くものにして議員の中にも或は家事の忙しきが爲めに姑く政海の念を去るものもあらん或は世間の評を聞き自から省みて其擧動の穩ならざりしを悟るものもあらん或は徐ろに今後の成行を考へて事の容易ならざるを察し悚然として自から怖るゝものもあらん人心一轉の機會なるのみならず今の黨派はおのおの其黨議を主張するが如くなれども内部の結合は案外固からずして既に地價修正の一事に就ても黨内に異論を生じて之を防ぐの手段に吸々たる程の内情さへありとのことなれば若しも昨今の休會中を好機會として政府より云々の條件を申出すか或は内密に手段を運らして銘々に説く所もあらば必ずしも一時を彌縫して目下の安を偸むの效能なきに非ず斯る手段は我輩の敢て望む所に非ざれども政府の政案既に一着を誤りたる今日に於ては他に工風もある可らず目下の成行に相應の處置として深く咎むるに足らず現内閣が唯一の對議會策として提出したる地價修正の案の如き其發表に至るまで部内に於てさへ知るものなく政略の秘密を守りたるは賞す可きが如しと雖も斯る小策略を以て今日の難局に當らんと擬したるは自から政略家を氣取りて議會を侮りたるか然らざれば幕僚輩の言を輕卒に信じて政案の必中を期したるものならん何れにしても不智不明の責は免る可らず診察を誤りて病勢の進むは固より其處にして昨今に至りては自から思ひ當ることも多かる可しと雖も又一方より政府の事情を察すれば其發案者とも認む可き總理大臣は議會開會の前に差迫り不幸にも思掛けなき負傷の爲めに自から事の衝に當る能はず恰も戰に臨んで主將を失ふたると同樣の次第なれば代理者その人を得たりとするも百事手筈の狂ひを生じて駈引も自から違算なきを得ざる可し總理の不幸に就ては閣員に於ても實際當惑の事情もあらんなれば昨今の休會中所謂氣を抜くの好機會を利し裡面に種々の手段を運らし兎に角に一時の安を偸むの工風に從事して彼れ是れする中に主將の全快出陣の時節を期するも亦姑息の一法なる可し今日と爲りては流石の發案者も定めて當惑至極ならんと竊に察する所なれども内々の手段にて議會の氣を抜きたる其上に當局者の顔も變れば自から人氣を轉じて局面を新にするの機會なしとも云ふ可らず思ふに最初より一定の成算を定めて終始これを貫くが如き決斷は固より現内閣に向て望む可き注文にあらざれども臨機應變周旋彌縫の手段に於ては從來得意の輩も少なからずして時としては案外に效を奏したる例もなきに非ざれば今日の機會は正に其技倆を試みるの時なる可しと信ずるなり