「新聞紙條例と新聞紙」
このページについて
時事新報に掲載された「新聞紙條例と新聞紙」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
新聞紙條例と新聞紙
現行の新聞紙條例は甚だ嚴に過ぎて立憲政治に必要なる言論の自由を妨害するの恐少なからざれば速に之を改正して以て時勢に伴ふを得せしむ可しとは都鄙の新聞事業者は申すに及ばす苟も言論の自由を重んずる者の異口同音に主張する所にして既に議會に於ても同條例改正案の議塲に上りたるは毎度のことなれども折惡く種々の事情に妨げられて未だ兩院を通過するの運に至らざりし處今回の議會に又々其法案の提出あり衆議院の方は既に大多數を以て通過したれば貴族院にても無下に之を否決して衆院の勞を水泡に歸するが如きことはなかる可しと云へり我輩は固より此度の新法案を以て完全無欠と認る者には非ざれども之を以て現行条例の究窟千萬なるに比すれば遙に優れる所ありと信ずるが故に何は扨置き只管該案の貴院を通過して法律とならんことを希望せざるを得ず扨現行の新聞紙條例にして愈よ世人の望む通りに改正さるゝことともならば我輩は又一方の新聞紙に向て大に望む所なきを得ず元來國に法律を設るは之を犯す罪人あるを思へばなり若しも法を犯す者なきときは之を罰する法律も亦必要なかる可し左れば今日民間の論者が現行の条例を究窟なり壓制なりと稱して其改正を主張するに就ては先づ自から省みて言論を愼み政府をして現条例の不用なるを悟らしむるの心掛けこそ肝要なれ自由の筆、自由の〓、自から粗〓無責任の言論を恣にしながら漫に法律の究窟なるを訴へて不平を唱ふるは自由に非ずして我儘なり我儘を支配するに壓制を以てするは荒馬を御するに轡を以てするに異ならず當然の處置なりと云はるゝも〓ふるに辭なかる可し之を要するに新聞紙が好んで粗〓〓〓の文字を弄するは〓政府をして益々法を〓にするの口實を得せしめ自から好んで羈絆に罹るものなるに不幸にも今日世間普通の新聞紙は兎角自重の心に乏くして動もすれば粗暴野卑に流れ立論上に必要もなき醜文字を併列して殊更に紙面を汚し以て一時の快を貪るの傾あるこそ遺憾なれ殊に近來政治社會の賑しき折柄大概皆政熱に感染して或は民黨となり或は官黨となり互に相敵視して罵詈惡口を極る其爭の下品なるは恰も車夫人足の喧嘩するものに異ならず政論の熱度愈よ上騰するに從て新聞記者の品格愈よ下落するものと云ふ可し社會の問題に付て意見を異にする者が新聞紙上に議論を闘はすは固より怪むに足らず又咎む可きにも非ざれども其爭ふに當り正々堂々の議論を以て爭はずして下郎社會喧嘩の句調を學び甚だしきに至ては卑劣なる人身攻撃の記事を公にするが如き其事實の如何に論なく唯徒に新聞紙なるものゝ品格信用を損するに足る可きのみ又彼の小新聞と稱するものゝ一種に至ては我輩は同業として伍を爲すを耻る者なり此種の新聞紙は往々世人の隱事秘密を詮索し成る丈け卑猥の醜聞を集めて之を公にするを以て本務とするものゝ如く其記事の一半は見るに忍ひざる鄙陋の文字より成立の常にして遠慮なく酷評すれば各社互に醜を競ふと云ふも不可なきが如し或は小新聞の記事の斯くまでに下品なるは依て以て世間多數の人の好嗜に投じ其發賣紙數を多くせんとするの利心に外ならずと言ふ者あれども我輩の所見を以てすれば遽に然りと答ふるを得ず小新聞の記事醜なりと雖も其記者は必ずしも醜なるに非ず其人物亦小なるに非ず胸中自から經綸の志を懐き唯凡俗を導くには其好む所に從て徐々に方向を改めしむるに若かずとて恰も小兒に苦藥を服せしむるに砂糖を和すの法に傚ひ扨こそ醜記事をも憚らずして凡俗の歡心に投せんとすることならん我輩の飽くまでも恕する所なれども筆勢の走る所留めて留む可らず調剤中砂糖のみ多くして遂に藥効を見ざるに至りしこそ遺憾なれば此處は只管記者の反省を求るのみ新聞紙法案の可否は今正に半空に在り幸に貴院を通過するにも至らば同時に新聞紙の品格を高尚にして上々際限なく遂に我新聞紙條例をして徒法に屬せしめんこと我輩の冀望する所なり