「今日と爲りては致方なし」
このページについて
時事新報に掲載された「今日と爲りては致方なし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
今日と爲りては致方なし
第四議會の成行は果して我輩の豫想の通り目下の始末を見るに至れり今日と爲りては千言萬語も無用にして自から之に處する臨機の手段なきを得ず止むを得ざるの處置なれども事をして爰に至らしめたる其原因を尋ぬれば之を當局者の見込違ひに歸するの外なきが故に聊か其事情より説て今後の手段に及ぶは事を論ずるに止むを得ざるの順序なりと知る可し抑も現内閣は所謂老政客の顔揃ひにして明治政府の粹を蒐めたるものなれば其施政も從來に比して自から新なる可しとは一般の待設けたる處なりしに組織以來の政略は其待設けに反して何一つとして見るに足るものなし先づ其對議會策に就て見れば立憲の政を行ふ今の時代に政府の主義として所謂無為超然の旨を唱へたるは如何なる次第なりやと云ふに必ずしも古流の政風を學び無為にして治めんとの手段に非ず又物外に超然として萬事自然の成行に任ずるの趣旨にも非ず當局者の考を以てすれば今の民黨は政府に向て飽までも反對の情あるに非ず本來の性質は寧ろおとなしきものなれども從來の政略は恰も之を敵として我より種々に挑みたればこそ其怒を買ふて遂に相反目するに至りしことなれ喩へば犬をあしらふが如く人の方よりからかへばこそ吠付もし噛付もすることなれども初より手出せずして無意に過ぐるときは其怒を醸すこともなかる可し今の對議會策は犬に對すると同樣にして兎に角に手出せざるを以て上策とす自から好んで其怒を買ふの愚を爲さゞれば民黨の反對も次第に軟いで議塲の論勢自から静穩に歸す可しとて扨こそ無為超然の主義を執りたる尚ほ其上に單に反對熱の軟ぎたるのみにては未だ妙ならざれば其好む所の餌を與へて之を手なづけ置くに如かずとの下心より更に一歩を進めて地價修正案の提出に及びたることならん盖し當局者の初一念は先づ無為超然の政略以て反對の氣を抜きたる其上に修正案の餌にて次第に之を手なづけ遂には操縦意の如くにして來期の議塲などには充分の技倆を現はし着々政歩を進めて世間の喝采を博せんとの心算なりしならん頗る妙にして巧なるが如くなれどもいよいよの實際に至りて之を見れば超然の政略毫も民論を軟ぐるの効なく彼等は却て其無為に付入りてますます跳梁を逞ふし人の枕邊を踏あらして憚らざるのみか、餌の爲めとて與へたる修正案は恰も之を只取りにしながら其報酬と見る可き三税の改正案には自由勝手の理由を付して否決又は修正したる尚ほ其上に政府の豫算案には非常の削減を加へ其骨髓とも云ふ可き軍艦製造費さへも遠慮なく廢除する等、寧ろますます反對の氣焔を增長せしめて流石の政府も忍ぶこと能はざるに至り遂に目下の成行を見たり何故に斯る不始末を致したるやと云ふに之を喩へば醫者が察病の術に疎にして病の徴候を見違へ隨て治療法を誤りて反對の結果を招きたるものに等しく當局者が社會の察病を誤りて治療法を間違へたるより外ならざれども我輩の所見を以てすれば其失策は單に他の察病を誤りたるに止まらずして夫子自から察せざるの過も亦多きに居るが如し今の當局者が未だ局に當らずして隱然重きを持するに當り世間の評判は一方ならず元老、元勲、又は老政客など唱へて暗に尊重の意を寓し甚だしきは安石出でざれば蒼生を如何せんなどとて只管その出現を希望するの聲さへも聞えたりき、何れも其人々に望を屬する明證にして我輩の如きも老政客の名聲と技倆とには平素より重きを置き眞實これを推して今日も尚ほ望を絶たざるものなれども又一方より察するときは浮世の人の根性は存外に意地惡き者にして彼の元老、元勲云々とて之を尊重するが如き其中には暗に反對の意味を以てするものもなきに非ず喩へば相撲に横綱と云ひ芝居に千兩役者と云ひ又郷黨にて隱居と云ふが如き何れも尊稱に外ならざれども實際は其技倆に服するに非ず既に時候おくれの老物たるを知りながら人の失策を傍觀して樂まんとする一種奇態の人情より頻りに之をおだてゝ事の局に當らしめ竊に嘲笑するの塲合も少なからず元老云々の評判も或は之を同樣の意味なしとも保證し難し即ち眞實これを慕ふものと假りに其名聲を發揚しながら竊に反對に居るものと眞假相半する其評判を眞面目に承知して自信に引受け政海の横綱たり千兩役者たり隱居たる乃公にして一たび出づるときは唯その出現の一事のみにて舞臺は肅然、幕下は畏縮し、郷黨の喧嘩は手を下さずして自から和解に至る可しとて大に自から恃みて得々たりしの内情はあらざるか若しも然らば其失敗は身躬から輕重を察すること能はずして自から招きたるものと云はざるを得ず即ち第一の誤診なり第二は元老の人々が心事の律義正直なると共に社會の聞見狹きが爲めに他に誤られたることにして其事情を語らんに今の民黨の言を聞けば畢生の希望は民力の休養と政費の節減とにして此希望さへ達すれば滿足す可きが如くなれども實際は決して然らず所謂民力の休養即ち地價の修正とは取も直さず年貢を減ずることにして納税者の身として希望せざるものはある可らず即ち普通の情なれども民黨の政客は地價修正を以て最終の目的とする者に非ず修正は唯現政府に難きを責むるの論柄にして事柄こそ違へ舊幕府の末年に攘夷論を以て政府を苦しめたるの情に異ならず當時徳川政府は窮迫の餘り遂に鎖港の令を下したりしかども毫も物論を和するに足らざりしは故老の尚ほ記臆する所ならん左れば今日の地價修正論も假令ひ政府の容るる所と爲りて實際に施行し再三再四修正して遂に無年貢の世の中と爲るも之が爲めに民論の滿足することはある可らず如何となれば其口に論ずる所と心に思ふ所とは本來別のものなればなり又彼の政費節減の如きも一昨年の議會にて既に六百萬圓を減じて尚ほ滿足せず本年は又九百萬圓を減ぜんとするを見ても所謂民黨の希望なるものは何れの邊に在るや大抵推知するに難からざる可きに地價修正の一事にて其希望を滿足せしめ以て他の歡心を得るに足る可しと信じたるは即ち愚直律義に過ぎて寧ろ誤られたるには非ざるか、愚直律義は人生の徳義にして敢て咎む可らずと雖も老練なる老政客の擧動としては我輩の感服せざる所なり兎にも角にも右の通りの次第にして現内閣の政略は一として見るに足るものなく遂に今日の成行を招きたり當局の老政客は自から顧みて果して如何なる感覺ありや、地價修正と三税改正との交換策の如き局外者なる我輩の眼より見ても其成行の斯くある可きは最初より分り切つたる所なるに恰も獨呑込を以て唯一の手段と爲し今が今までも其非を悟らざりしは畢竟當局者が平素の交際狭く見聞知識の足らざるより社會の察病を誤りたるものにして今日と爲りては始めて其交る所の方角を違へて一方にのみ偏したるを後悔することならん、自家の見聞の足らざるより單に左右に近親する幕僚輩の報告のみを信じて之に誤られたるの事實を發見したることならん即ち當初の目算は全く齟齬して自から工風に窮することならんと我輩の餘處ながら遙に診斷する所なり然りと雖も今日の塲合と爲りては最早や致方なし所謂査定案の如き急激なる費目の廢除削減には政府の面目に於ても又事の實際に於ても到底同意すること能はざるは勿論なれば政府は飽までも決心を固くして一歩も讓る可らず彼の休會に續くに停會を以てしたるも事實止むを得ざるの臨時處分なる可し斯くなる上は議會は更に一層の熱度を增して現政府の信任有無を決議し一切の議事を中止することもあらんか若しも然らば是れぞ自から國法の機關を壊るものにして國家全體の利害に於て斯る議會は一日も存立を許す可らざる所のものなれば此極に及んでは政府の義務として解散の斷行も亦止むを得ざるの處置なる可し要するに以上の決斷は何れも變則の手段にして我輩の固より好まざる所なれども之を治病の法に喩ふれば激痛の塲合にモルヒネを注入し熱病に解熱剤を投ずるが如しモルヒネ解熱剤は多少人身に害あること疑なけれども多少の害は生命の存亡に換へ難し醫者の決斷する所以なり我輩も目下の政痛政熱に對し止むを得ざるの手段としてモルヒネ解熱剤の處法を勸告するのみ然り而して熟ら熟ら事の常態に立返りて考ふるときは本來立憲の政治は官民上下よく調和して其進む所を一にし所謂和衷協同の實を致すこそ其本旨にして斯の如くにして始めて國民年來の希望も達す可き筈なるに今日の有樣は全く正反對にして政府は憲法の保障に由りて自から守らんとし議會は其權利を用ひて自から逞ふせんとし双方共に憲法を以て自家攻防の具に供するものに異ならず和衷協同の實果して何くに在るや今の立憲の政治は恰も官民間に爭の種を蒔きたるのみにして國の安寧の爲めには毫も益する所を見ずと云ふも可なり今日目下の處にては對症の療法を施して正しく其反應を見たることにて外に致方もなき次第なれども扨その結果は如何と云ふに種々の餘症圖る可らざる中にも差當り地方の政務は最も困難を感ずることならんと想像せざるを得ず左なきだに是れまでも収税又は警察等の事に就て苦情の少なからざりしに官民間の不調和更に一層の甚だしきに至れば恰も器械に油の切れたると同樣にして其運轉ますます圓滑を失ひ針小の事柄をも棒大に喋々して際限あることなく地方官の如きは其煩しきに堪へずして何人も職に就くことを嫌ふのみか從來在職のものと雖も自から解任を希望するに至るが如き結果なしとも云ふ可らず其成行に就ては當局者の最も注意す可き處なれども今は事急にして後の始末を顧みるの時機に非ず我輩は臨機の處分に就て聊か一言を呈し今後の手段に至りては更に篇を改めて大方の教を乞はんとするものなり