「政治家の町人根性」
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時事新報に掲載された「政治家の町人根性」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
我國古來の〓慣として政府の大權は武家の手に握りて百姓町人の容喙を許さざると同時に商賣工業の事をば各々その專問の實業者に一任して武家の知らざる所と爲り政治家と實業者との間を區別して互に相侵さざりし其〓慣は遂に世人をして双方互に無〓のものなりと認め政治家は必ずしも商賣工業に關するの知識を具ふるに及ばずとの考を生ぜしめ甚だしきは實業經濟の道には何等の知識經驗もなく僅に加減乗除の十露盤さへ覺束なき空學者にして天下國家の大計を談じ數理外の理を論じて得々たる者少なからざるに至れり彼の儒者の政治論の如きは即ち此類に属するものにして其迂僻の爲めに實業の發達を妨げたるは蓋し僅少ならざる可し然るに近來外交開けて西洋文明の思想次第に流行するに從ひ漢儒者流の輩は漸く勢を失ふて早晩其跡を絶つ可きは自然の數なるに今尚ほ武家政治の舊思想を脱却すること能はずして政治家に殖産經濟の知識は無用なりと口に公言せざるも心に之を信ずる者の少なからざるこそ遺憾なれ例へば帝國議會府縣會等の議員などは何れも當世の政治家なりと自から信じ又世間一般に許す所の人物なれども其言語擧動を以て察するに法律上の權限論は至極頴敏にして論理も〓蜜なるが如くなれども商賣工業の談に至りては之を重んずるの念に乏しく時としては議論に日を暮らして實を忘るゝの觀なきに非ず例へば今期の國會に於ても議論至極騒々しくして官民の言ふ所双方共に道理あるが如くなれども其道理論の最中に航海の事も鐡道の事も又は取引所の法案も遂に半空に懸りて決することなく實業〓會は徒に日月を消〓して利を失ふのみ苟も朝野の政客をして町人の根性を抱かしめなば斯る迂闊の談はなかる可き筈なるに〓流の君子錢に淡泊にして〓貧に安んじ遂に國家の〓貧を憂ざるに至るとは唯驚入るのみ抑も政府の一擧一動は其關係する所甚だ容易ならず殊に我國の如く政權の非常に強大なる其割合に諸般の實業尚ほ幼稚なる國柄に在ては政略の如何に由りて國民の利害に影響する所も亦いよいよ大なるを知る可し我輩は利を與すの政略を求めず唯これを妨げされば以て滿足する者なり封建尚武の時代に政治の眼目は武家の利害〓〓を第一位に置き町人百姓の如きは恰も武家を養ふの器械として〓るのみ素より之に依頼するの要用とてはなかりしが故に經濟の思想に乏しき武家の一類が自家の利害の爲めに政を談論し又親から政局に當りて實際に左したる不都合をも感ぜざりしなれ共時勢の變遷、今日は則ち然るを得ず立國施政の基礎は武に在らずして錢に在り世界萬國と對峙して國の權力榮譽を維持せんことを思ひ種々樣々に工風を運して其最終に至れば何は扨置き唯錢の必要を感ずるのみ即ち實業〓會の便uを謀り商賣工業を盛にして國富を〓加するは世界に對する國の價値を高くするの手段にして政府の須〓も忘る可らざる所なるに尚ほ武家政治の昔に戀々して政治家に町人根性は無用など稱し國家の實利を等〓に附して政務を料理せんとするは〓貧の〓雅に耽りて家人の爲めに衣食の計を忘るゝに異ならず啻に迂闊のみならず實際に危險なりと云ふ可し左れば今の世に政客を以て自から任ずる人々は目下の政論に熱して所謂政技者の名を成すよりも更に眼を轉じて國家經濟の方向に眼界を廣くし人民の實利實uを重んじて眞の經世家と爲り最上等の町人根性を養はんこと我輩の敢て勸告する所なり