「政費節減」
このページについて
時事新報に掲載された「政費節減」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
政費節減
民黨議員が政府を攻撃するに最も屈強なる口實は政費節減の一事にして毎期の議會に必ずその議論を喋々して當局者を苦しむるの常なるが今年も亦相變らず豫算問題に附き政府議會の大衝突を惹起し紛々擾々の極、遂に畏くも詔勅を煩はすまでに立至りしは如何にも恐多きことながら大詔の渙發と共に政界の状勢は頓に一變し政府も議会も兩ながら調子を改めて温和退譲の色を現はし殊に政府は數日前に最早この上、厘毫も減ずるを得ずとまで斷言せし既定の歳出に自から多分の削減を加へ且また次期の議會までには部内の改革にも着手して勉めて政費を減ずるの工風を爲す可き旨を約束し以て民黨の滿足を買ひたれば節減論者も復た強て之を爭はず幸にして今年の豫算は首尾よく成立することゝはなれり即ち當局者は明に眠黨の節減論に同意を表して其力の及ぶ限りこれを實行せんことを約したるものにして今後政府の方針は専ら質素儉約の一點に向ひ百般の經費に大節減を見ることゝ豫想して間違なかる可し人間萬事儉約とは老人の警にして今更喋々するにも及ばず殊に政府の如き大組織の機關に在ては聊かの不注意にて忽ち莫大の冗費を生ず可し現に今の政府もこの弊に苦しみつゝあるは事實に明白なれば今後百事の節減は甚だ妙なれども之を節し得たる處にて其金の處分に就ては自から一考なきを得ず凡そ人間社會の一事一物これを興さんとして錢を要せざるはなし殊に文明の世界に國して國權を張り民利を衛らんとするには其規模固より大にして費用も亦輕からず内に在ては運輸交通法の新設改良、外に向ては航海貿易の奬勵保護等これを枚擧して際限ある可らず何れも皆國家事案にして其費用の幾部分は直に國庫の支辧たる可きものなれば恰も好し今度官邊の冗費を省て臨時に得たる其餘剰金は國家の新事業に使用して至當なれども爰に不幸なるは政府年來の不人望にして民黨の政客は現政府をして新事業に着手せしむるを悦ばず苟も國庫に餘りあれば擧て之を民力休養の一方に奉げんとして例の地價修正地租軽減の説を主張するのみならず政府も遂に其説に服して修正案を呈出したる程なれば第五期の議會に果して政費節減の實を見たらんには議會に於ては一も二もなく之を農家の利に歸せんとして政府も亦これを拒むの辭抦なく千辛萬苦内部を整理したる其成跡は國家の急要に益する所なきのみならず近年銀位下落物價騰貴の折抦、政府の費用は次第に不足を告げて尋常一樣の政務にさへ差支を生ずるは必然の數なり況して新事業の如きは思ひも寄らざる所にして唯日に萎縮するの一方ある可きのみ左れば今回政府が政費節減の約束は甚だ良しと雖も其不人望なるが爲め常に民黨に窘められて萬機の運動自由ならず窮して他の説を容れんとすれば益々其乗ずる所と爲り益々行政の區域を狭くするの有樣にては部内の整理質素儉約も畢竟無益の勞たるに過ぎず當局者は此切迫の塲合に至りても尚ほ其不人望の原因に心付かざるか誠に氣の毒なる次第なり之を譬へば酒毒に衰弱したる病人が食養生と稱して頻りに食量を減じながら相替らず酒を飲むが如し衰弱の原因は酒にこそ在れ之に心付かずして食量を減ずるは病に益なきのみか却てますます生力を損するに足る可きのみ盖し局に當る者は迷ふと云ふ今の政府が自から其不人望の原因を知らざるは酒客が酒毒の働を知らずして飲むに等しきもの乎