「人心面の如し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「人心面の如し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

人心面の如し

とは今更ら珍らしからぬ立言なれども社會の古今に通じて人々の心その面の如くに異なるの事實果して然るときには一定の規矩準縄を以て之を律するの難きを知る可し盖し一定の規律に從て社會萬般の事物を處理せんとするは古來政治家の通癖にして若しも其見込通りに行はるれば甚だ妙なりと雖も未だ曾て實際に功を奏したる者を見ず左れば天下を料理するの要は先づ第一に之を活物視して多少の自由を許し表面は至極不始末にして恰も無規律の如くなる其中に自から一種の釣合を得せしめ、言ふ可からざるの邊に全體不偏の妙機を存するに在るのみ喩へば西洋風と日本風と室内の装飾に趣を異にするが如し洋室内に於ける装飾品を見れば丸きものと丸きものと相對し四角のものと四角のものと相並び距離正しく大小同じく位置整然として一定の規律を失はざるが如くなれども何分にも趣味に乏くして人目を悦ばしむるに足らず日本流は之に反して丈餘もある可き掛物の下に尺に滿たざる置物を置き、活花は正面に居らずして一隅に偏し右に古色蒼然たる銅器の小なるものあれば左には金泥爛々たる蒔繪の大なるものありて物と物と不釣合のみならず其位置も亦極めて亂雜にして一見恰も雜物を座中に投げ出したるが如くなれども細に之を〓するときは其中自から一種の趣を存して寸毫も位置大小を變ずること能はざるの妙處あるを発見す可し即ち規律なきが如くにして却て自然の平均を失はざるものなり政治の事も之と同樣にして人々面の如き心を滿足せしめ社會の調和を失はずして然かも散漫枯燥の弊を免るゝの工風は一定の規矩準縄外に自然の平均を保つの仕組より外ある可らず而して其仕組の最も圓滿を極めたるは德川の制度にして我國は申す迄もなく世界各國に於ても古今その例を見ざる所なる可し凡そ事物の發達は必ず歴史あり德川の制度も自から傳ふる所なきを得ず我輩の聞く所に據れば其師とする所は豊臣に非ず織田に非ず又足利にも非ずして遠く北條の流儀に則りたるものなりと云ふ抑も北條の擧動は日本の歴史家に種々の議論ありて所謂大義名分論より論ずれば非難も多からんと雖も其論は姑く別として單に政治の一點より見るときは其老練にして巧妙なる只感服の外ある可らず即ち實際に天下の主權を握りて内治外交の大事さへ一人の思ふ儘に處斷しながら表面には將軍を上に戴て自から卑ふし官職の如きは其代を終ふるまで從四位下相模守に安んじて毫も高きを望まず唯執權と稱するのみにて身分は時の大名と殆んど同列の地位に居り其同列の大名は恰も臣下の如く北條の鼻息の下に進退擧動して一言の不平を唱ふるものなし然かのみならず其家風として一身に質素儉約を旨として只管他を憐れみ時としては主人親から微行して民間の疾苦を問ふなど民政に心を用ひたるの一事は特に北條の美德として爭ふものはなかる可し左れば此北條に則り更に規模を大にして圓滿に達したる德川の制度なれば其治世中に觀る可きもの多きは自から偶然に非ず我輩は之を名けて權力平均の仕組と稱し扨その仕組の巧なる次第なるを述べんに尾張紀州水戸の三親藩は等しく三家と稱する中にも尾紀の二藩は封土も大にして將軍の世繼絶ゆるの塲合には入て其家を承くるの特權ある其代りに天下の政治に對しては一言も口を容るゝこと能はず之に反して水戸は副將軍として時に或は幕政に參することあれども封土は尾紀の比に非ずして且將軍家を繼ぐの權利を有せず、政府の執權即ち閣老は無上の權力を有して職權上に於ては三家三卿に對しても一歩も假すことなしと雖も其出身は五六萬石内外の小名に限るの例にして私の交際に於ては臣下の禮を取らざるを得ず、又僧侶の如き儀式上に於ては大名の上に列すれども其一身の進退始末に至りて内實これを司どるものは寺社奉行の屬官のみ權力平均の趣旨は唯制度の上に於て然るのみならず江戸に在る諸大名屋敷の配置方に付ても隣國界を接する大名の屋敷を殊更に相隣せしめたる如き暗々裡に競爭の意を寓したる者にて益益平均主義の妙用を見る可し又殊に注意の細なる點を擧ぐれば當時の習慣に俳優の如きは河原者とて擯斥され世間に齒するものなく旅行などには最も不便を感ずるの常なるに市川團十郎の家に限りては旅行するに先觸を出すの特權を有したり即ち此一事に就ては士分と同一の權利を與へたるものなり又彼の穢多の頭領團左衛門の如きも年首の禮には寺社奉行の正門より入るを許したり奉行の正門より出入するは即ち旗下と同樣の取扱を爲したるものなり其他大小名の家にも所謂家格とて他の爲し得ざる一種特別の權利を夫れ夫れに與へて相互に羨み相互に誇らしめたる如き何れも權力平均の主義に外ならずして凡そ德川の制度の下に於ては得意と云へば悉く得意、不平と云へば悉く不平にして一人も得意のものなく又不平のものなく互に平均して知らず知らずの間に自から其堵に安んじたるの實を見る可し即ち表面は不規律不整頓の如くにして却て自然の妙處を存したるものと云ふ可し

顧みて今日の社會を見れば所謂文明日進の社會にして法律も必要なれば規則も欠く可らず法律規則の用は平等一致の主義に出でゝ一定の規矩準縄も自から止む可らずと雖も社會の事物は千種萬樣にして單に政法の事のみならず然るに人々面の如くに異なる其心より發生する萬般の事物を擧げて公となく私となく大となく小となく一切これを一定の規矩準縄の下に置かんとするは抑も如何の心得なるや例へば官尊民卑の風の如き苟も官と云へば上は勅任官より下は判任雇の小役人に至るまでも非常に尊くして人民の上に位し苟も民と云へば假令ひ幾百千萬の財産を有する富豪金滿家と雖も矢張り素町人土百姓として輕蔑せられ小役人の下風に立たざるを得ず規律整然として版に押したる永字八法の如し子供の手本には兎も角も天下を御する經世家の筆法に非ず殊に政府に在る政客輩の擧動を見るに政局に當りて天下を左右するの地位に居ながら何の不足する所ありてか一身上に求むる所次第に大にして飽くことを知らず位階を進め華族に列し俗榮の極點に達して陰にも陽にも苟も自身の上邊に物あるを許さず本願寺の門跡、出雲の國造の如き所謂生佛生神にして不思議の處に無上の尊信を博し自から社會の一器械たりしに永字八法の政策は之を許さず大臣か伯爵なれば國造は男爵、門跡も尋常の華族に列して其位階は大臣の下に置かざるを得ずとて遂に生佛生神を俗了して浮世の空氣に觸れしめ事に益なくして宗教上の風光を害したるが如き其度量の狭隘なる小兒の戯と云ふの外なし文明の世界は錯雜にして廣し、幾多の生佛生神を容るゝのみならず金持も容る可し學者も入る可し之を容れて得意ならしむると同時に圓滿にも至らしめず得意失意の間に生息する其一方に於て中央の政府は固く政權を執て屹然動かず、始めて施政の運動も自由なる可きに經世の極意を忘却して一身目前の名利を貪り、爲めに世間に羨望の俗念を起さしめてますます人心を失ひ却て其始末に茫然たりとは實に驚く可き次第にして我輩は殆んど評論の辭なきに苦しむ者なり在昔封建の時代に身分の卑しき下流の輩が時として士分に取立てらるゝことあれば遽に刀劔衣服等を飾り平民等に對しては特に横風なる者なきに非ず今政客輩も或は此取立侍の類か、左りとては餘り淺墓なる次第にして貧賤の本相を現はすものにこそあれ其人の爲めに取らざるのみか、むかしの取立侍なれば一朝の榮達に喜び自から禁ぜずして遽に其擧動を變ずるも唯世間の笑を招くのみにして事に害なけれども苟も天下の政局に當るものが恰も之に傚ふて假立身の愚を演ずるとありては一身の毀譽は兎も角もとして社會の治安に關係すること少なからず我輩は其人々が今の地位責任の大なるを省みて少しく變通の工風あらんことを勸告するものなり