「元老内閣の善後策」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「元老内閣の善後策」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

元老内閣の維持法甚だ窮したりと云ふも其由て來る所の原因を尋れば元老その人々の間に

政治上の意見を殊にして結合の困難あるのみ其名望技倆に至りては天下の許す所にして之

と輕重を爭ふ者は盖し多からざる可し抑も立憲政治の本色は各派の政黨主義を以て分れ主

義を以て爭ふに在ることなれば今の元老諸氏も國會開設前に在ては人民に對して直接の責

任もなく唯一片の誠意誠心を以て職を奉し國家の爲めには忍ぶ可らざるをも忍び自分の主

義をも抂げて相互に協同一致し世間に内の紛紜を露はしたることもなし所謂情誼情實の結

合なりしかども今や政况の一變と共に内部の動靜は直に人民の窺ふ所と爲りて政務の運動

自由なるを得ず即ち元老諸氏の窮する由縁にこそあれば此處は諸氏に於ても二十餘年來の

心事を一轉し情誼情實の結合は立憲の政府を維持するの法に非ずと觀念して各自相互に主

義を以て分れおのおの其信する所を行ふて青天白日に成敗を爭はんこと我輩の敢て勸告す

る所なり扨その實際に至りて如何と尋れば前節に云へる如く今の政府部内には硬軟の兩派

自から分明にして世間或は之に附するに武漢派文治派の名を以てし互に竊に主義を殊にす

るのみならず民間の政客中に於ても正しく其趣を同ふして硬論もあり軟論もあるこそ幸な

れ元老の中にて果斷硬強の主義を悦ぶ者は先づ部内に在る其流の人を集めて民間の硬論者

と結合し、文治を重んずる者も亦内外に於ける同臭味の政客を集め、硬軟文武相分れて各々

其執る所の主義を行ふ可きのみ例へば過般現政府より議會に提出したる地價脩正案の如き

政府部内に異論あるのみか議員中にも不服を唱ふる者少なからず即ち之を可とする者は元

老中の誰々と主義を同ふし、否とする者は他の誰々と同意なること事實に明白なる所なれ

ば單に此一案の問題にても黨派の界を分つこと甚だ易くして元老某氏は在野政客の何れの

部分に合し、某氏は其何れの團體に結び今日に云ふ官民の區別などは全く跡を拂ふて唯主

義の異同を以て政旗を立て國民全體の與論如何に從て勝敗を决し多數の人望を得たる者が

政局に當ることゝ爲る可し我輩は人物の誰れ彼れを指名するに非ず又指名するを好まざれ

ども行文の便の爲めに假りに其名を借用して云はんに山縣伯が硬強主義にして其次第を表

白し朝野に向て同主義の人を求めたらんには之に應ずる者决して少なからず其人々を結合

して一團體を作ると同時に伊藤伯も亦文治主義を以て政友を得ること難からず既に硬軟相

分るゝ上は平生の私交如何に拘はらず政交をば斷絶して銘々の信ずる所に從て進行す可し

斯の如くにして維新元老の地位如何と云ふに决して危險あることなく元老は依然たる元老

にして常に其政黨の推服する所と爲り外に在ては首領と爲り内に入ては閣員たる可し勢の

然らしむる所にして從前の事實に徴しても疑を容れず啻に地位の危からざるのみか却て其

終を全ふして榮譽を長くするの道にこそあれ之を今日の情實論にからまりて言行自由なら

ず相互に會釋して自から信ずる所を抂げ屈強なる智力體力にてありながら恰も半身不隨の

片輪ものと爲りて無理に結托の風を裝ひ心中に不愉快のみか現在政府外に得べき政友を敵

にして思ひも寄らぬ攻撃を被り一方に内の事情を顧慮して十分の答辨をも爲すこと能はず

獨り自から苦しむものに比すれば同年の論に非ざるなり或は硬論派の人より云へば文軟者

流は文弱にして民黨に媚る者なりなど説もあらんなれども民黨とて素より同一色に非ず文

治主義を悦ぶ者もあれば怒る者もあり其怒る者は即ち硬派の政友にして悦ぶ者は軟派の友

なり既に之を友とし視れば其歡心を買ふは當然のことにして必ずしも媚を呈するなど云ふ

醜語を用るに及ばず唯その爲すがまゝに任して其一類の全體より倒すの工風を運らす可き

のみ又文軟派の説に從へば硬派は不骨不文にして文明の政局に當る可らず甚だしきは如何

なる亂暴も計られずとて掛念するが如くなれども硬派必ずしも武人のみにあらず其中自か

ら濟々たる多士あり且前にも云へる如く武斷政治は時勢の許さゞる所にして亂暴云々の掛

念は單に武人の武の字に欺かれて餘計を心配するものなり其無謀ならざるは我輩の保證す

る所なり左れば維新の元老が心事を轉じて双方に相分れおのおの其信する所を以て國家に

盡さんとするときは其人々の在朝在野を問はず眞に主義の異同を以て離合することなれば

從前情實の爲めに席を同ふしたる者が忽ち相遠ざかると共に昨日まで政敵など稱したる人

も今日は無二の政友たることある可し事局の變動容易ならざるが如くなれども朝に在るも

野に在るも政治上の牛耳を執る者は必ず元老の外ならざれば云はゞ維新の功臣を其まゝに

存して立憲政治の運動を習練するものなり我輩の宿論は立憲政治責任内閣の速成を求めず

飽くまでも元老の名望を利用して治安を維持せんとするの目的なれば特に其終を善くせん

ことを祈り國家の爲めに爰に心事の一决を勸告するものなり(畢)