「海軍の改革と大臣の更迭」
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時事新報に掲載された「海軍の改革と大臣の更迭」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
海軍の改革と大臣の更迭
政府にては伊藤總理が議會に明言したる約束の旨に從ひ取り敢へず海軍の改革に取掛らんとて内議中の由なりしが昨日に至りて果して海軍大臣の更迭を見たり是れそ改革の端緒を開きたるものなる可し然らば是れより實行せらる可き改革は如何なるものなるやと想像するに抑も洋式の海軍は陸軍に等しく日本の新事業にして當局者の經驗も自から乏しきが故に亦自から失策も少なからず其規模の大なる割合に事の擧らざる弊もありしならん屡ば方針計畫を變更したるが爲めに所謂徒費徒勞の實もありしならん既往に溯て一々これを吟味せば隨分遺算も多かりしことならんと雖も何れも創業の時代に免れざるの失策にして此種の事例は他の事業に於ても多く見る所なれば獨り海軍のみを咎む可きに非ず或は現に參謀部の分合、鎭守府の配置等に就ての異論もあるが如くなれども今の海軍の仕組は必ずしも當局者一個の私見を以て定めたるに非ず歐米先進國の規模に傚ふて之を折衷し種々の改良を經て今日の體裁を成したるものなれば仕組の大體に於ては特に不都合の點もなかる可し彼の參謀部を獨立せしめ又は鎭守府の數を減ずるの説の如きは畢竟仕組の可否論にして専門家の問題としては可なれども改革の談には毫も縁なきものと云はざるを得ず或は又信用上の問題即ち會計の始末に就ても何か世間に喧しき評判あるが如しと雖も既往數年前の事はイザ知らず既に會計法も行はれて一厘一毛の微と雖も官吏の手心を許さゞる窮屈至極の今日に當り海軍に限りて特に不始末ある可しとは我輩の信ずること能はざる所なり左れば改革の必要は仕組の上にも非ず又會社の事にも非ずして部内の情實即ち人物の進退に在ることならん果して然らば其情實は單に海軍のみならず政府一般の通弊なれども海軍に於ては殊に其始末に窮するもの多しと云ふ是即ち世間の耳目を引く所以なる可し聞く所に據れば日本の海軍にて正式の教育を受け相當の學力を備へ且實地の經驗に富めるものは少佐大尉以下に多くして夫より以上の將官に至りては大概變則に學びたる者か又は維新の戰功等にて今の地位に在る者多く上位に在るもの必ずしも伎倆あるに非ずして却て下位に居るものは伎倆あるも之を伸ばすを得ず即ち情實の病根なれども今その病根を除かんとして老朽無學の將官を悉く罷免して之に代ふるに有爲の後進生を以てするが如きは果して事實に行はる可きや否や若しも非常の英斷を以て之を行はんか甚だ妙にして我輩に於ても素より望む所なれども斯る大改革は殆んど海軍の全部を破壊し去り更に新に組立つると同樣にして政府全體の上にも影響する所少なからざる可し故に永年月を期して漸次に其實を擧るとなれば兎も角も第五議會に至るまで僅々數月の間に此種の大改革を行はんとするは我輩の覺束なく思ふ所なり然らば則ち今回の改革は局課の廢合もしくは一部分の更迭に止めて更に他日を期せんか部内の情實は依然舊のまゝにして其不平は矢張り止まざることならん部内の不平は即ち世間の評判を招くの本にして折角の改革も一般の希望を滿足せしむるの結果は難かる可しと想像する所なれども思ふに新任の海軍大佐は薩藩出身の元老にして其名望は同藩人の常に心服する所なり此人にして薩人の叢淵とも云ふ可き海軍の局に當りて改革を行ふとあれば部内の折合も自から圓滑にして兎に角に當局者に於て適當と認むるだけの改革は必ず行はるゝことなる可し然りと雖も新當局者たる西郷伯は如何なる主義の人なりやと云ふに彼の民黨の所論に正反對にして飽くまでも政府の威嚴を重んずるは世間の認むる所にして即ち昨年來國民協會の首領と爲り大に運動したるも平生の主義を行はんとするが爲めに外ならざれば今この人にして現内閣に入るには何か其間に約束の條件なきを得ず其約束は素より知る可らずと雖も平生の主義より察すれば當局者が適宜と認むる所の改革は適宜に行ふ可しと雖も苟も政府の威嚴に關するものは一歩も假さずして飽くまでも其所見を貫く可しとの意味なりと推知して大差なかる可きか果して然らば西郷入閣の一事は政府の精神を一變したるものにして其改革も民黨に取りては希望を滿足せざるのみか寧ろ失望の結果を見るに終ることならん但し爰に注目す可きは伊藤總理の擧動にして第四議會の初には突然地價修正案を提出して恰も民論の先陣を勤めたるのみならず其終りにも種々の魂丹掛引の末、辭を卑ふして所謂豫約的の改革を議會に宣言したる其素振は左ながら民黨に媚を献じて只管其歡を失はんことを怖るゝものゝ如くなりしが右は一般の誤想にして一時の政略に過ぎず即ち其議會に對したるの處置は兎に角に目下の難處を切抜んとする虚々實々の略にして今日に至りて始めて其本相を顯はしたるものには非ざるか兎に角に西郷伯の入閣にして果して或る条件の約束に出でたる以上は政府の威嚴を重んずるの一事は疑ふ可らずして改革の實行も到底民論を滿足せしむるの結果なきのみか第五議會の有樣も之を想像するに難からず即ち衝突に衝突を重ねて前會の始末に更に念の入りたるものと見て實際に間違なかる可し我輩の想像果たし當るや當らざるやは來る十一月を待たず取り敢へず海軍改革の模樣如何を見て知る可きなり