「果して此事あり」
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時事新報に掲載された「果して此事あり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
果して此事あり
岐阜縣震災地方工事の始末に就ては我輩の兼てより注意したる所にて昨年一月二十二日の紙上に於て左の如く論じたり
（前略）我輩は爰に其工事に關係する地方の官吏其他重立たる人々に向て念の爲め一言せざるを得ず其次第は工事の會計を綿密にして苟も不分明の嫌なからしむることなり地震の大急變に際しては唯人命を助け飢寒を救ふに急なるが故に固より會計法の如何を問ふに遑あらず其法を密にせんと欲して却て時機を失ひ人を殺すことさへなきに非ざれば法の密ならんよりは寧ろ粗にして急に應ずることこそ大切なりしかとも今日に至りて堤防の普請は則ち然らず事に順序あり方法あり豫め計畫し行ふ可き事柄なれば會計法を定るに決して困難はある可らず火事塲の消防は咄嗟の間に多少の間違を恕す可きも火事後の普請には綿密なる考案を要するが如し殊に何百萬圓の大金を一時同一の工事に散することなれば人情の常として時に或は金を輕んずるの恐なきに非ず以ての外の事共なり十圓の内の一圓を浪費するも二百五十萬圓の内の一圓を浪費するも浪費の實に異なる所なく一圓は則ち無窮の損にして會計擔任の人は其責に當らざるを得ず我輩が假に計算するに右三百五十八萬圓の内を救急の用に五十八萬圓を費したりとすれば残り三百萬圓の金あり堤防の普請に入用の物は竹木石土砂の類にして何れも粗大なる人力を以て辧ず可きが故に其人足職工より監督人の賃錢を平均一日二十錢とすれば千五百萬の人を使用するに足る可し毎日五萬の人を役して一箇月百五十萬人、十箇月にして始めて千五百萬の數に達す可きが故に我輩は我朝野の人と共に十箇月の後に至りて其成りたる工事を一見し果して千五百萬の人力を費したるものなるや否やの實際を問はんと欲する者なり從前の例に據れば各地方の土木工事に就き入札請負の間違より甚だしきは其間に私曲の醜聞さへなきに非ず若し萬々一にも今度の堤防普請に付き會計上に一點の怪しむ可きことあらんには其罪は啻に法律に許す可らざるの〓〓義上に天下の同胞に對して相濟まざることなり如何となれば震災救助の爲めに人民より義捐し政府より支出したる財物は一錢の微と雖も涙を振ふて出したるものなり此至情に報ゆるの誠意なき者は最早や同胞の民に非ざればなり今日に於て影も形もなきことを想像して面白からぬことを記すは震災地の人に對して甚だ無禮なるに似たれども其人をして永く名譽を全ふせしめんことを思ひ一片の婆心自から禁ずる能はずして匆々筆を走らしたるのみ呉々も記者を咎る勿れ
爾來同地よりの報道を聞くに種々の風説少なからず昨年秋冬の交に至りては其風説いよいよ甚だしくして世間の評判も一方ならざるに付き我輩は更に屡ば注意を促し十一月三日の紙上にも左の如く述べて其事實を明にし世間の疑を解かんことを勸告したり
【略】
然るに我輩再三の注意は毫も甲斐なきのみならず風雪全く虚ならずして幾分か事實を存したるものか昨年の末岐阜縣廳にては土木に關係ある官吏を悉皆罷免し次て本年二月に至り同縣の常置委員を始め震災工事に預りたるものゝ中、數名の嫌疑者を生じて警察の手に拘留されたるものさへあり或は今回縣知事の内務省に召喚されたるも此事に就て訊問の爲めなる可しと云ふ今日は正に嫌疑の中にして事の顛末は得て知る可らずと雖も彼と云ひ是と云ひ前後の事體甚だ妙ならずして幾分か風説に類する如き事實を存したるは最早や疑ふ可らず前節にも記したる如く震災救助の爲めに人民より義捐し政府より支出したる財物は一錢の微と雖も涙を振ふて出したるものなれば其局に當るものは此至情に報ゆるの誠意を以て事を處理せざる可らず即ち我輩の屡ば注意を促したる所以なるに果して斯る始末とは只驚き入るの外なし工事の當局者は申す迄もなく岐阜縣民たるものは滿天下の同胞に對して申譯なきことなれば今日は只速に事の顛末を明にして一日も早く其責任の所在を世間に表白せんこと我輩の切望する所なり