「地方官の地位を卑ふす可し」
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時事新報に掲載された「地方官の地位を卑ふす可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
地方官の地位を卑ふす可し
大に地方官を更迭して老物を淘汰し之に代ふるに壮年有爲の後進者を以てす可しとは我輩の屡ば述べたる所なるが此頃聞く所に據れば政府にても兼てより此點に注意する所ありて今回はいよいよ斷行す可しと云ふ果して然らば甚だ妙なれども我輩は之と同時に更に進んで地方の官制を改正し知事の地位を卑くして書記官と同等のものにせんことを希望する者なり抑も今の地方官に老物多く其爲る所とかく社會の時勢に背馳して民情に適せざるのみならず時としては其老物が中央の施政に喙を容れ動もすれば尾大不棹の弊あるは世間に認むる所にして即ち淘汰の必要ある所以なれども我輩の所見を以てすれば其弊の生ずる源は地方官の地位高きに過ぐるが爲めなりと云はざるを得ず盖し廢藩置縣の當初に於ては民情舊を忘れずして地方の長官と云へば舊藩主領主と同一に視るの風あるが故に之に臨むには自から威嚴を保つの要もありしことならん政府に於ても亦一方の藩鎭と賴み依て以て民心を鎭制せしめたるの意味もありしことならん即ち其地位權力を大にしたるは自から時の必要に出でたることならんなれども今日に至りては時勢一變して大小の政務その緒に就き中央の働き次第に活〓なるに隨ひ地方の治務は次第に縮小して地方官の職權内に於て自由に處理す可きものとて甚だ少なく大抵の事は中央政府の指揮を仰ぐの仕組と爲りたれば其地位も同じ割合に卑くして始めて其當を得べき筈なるに權力の減じたるにも拘はらず地位は單に舊の儘なるのみならず却て高さを加へたるは誠に不釣合の沙汰にして畢竟今日の弊源を成したるものゝ如し今の實際に府縣知事の地位は各省の次官と同等にして等しく勅任の列に在るが故に政府にて次官を任ずるに往々知事の中よりすると同時に時としては次官轉じて知事と爲ることさへなきに非ず其任命は政府の勝手にして云々するの限りに非ざれども兎に角に政府の大臣を補けて一省の事務を監理し實際に於ては一種の政務官とも云ふ可き次官の地位と政府の指揮監督の下に立ち纔に一地方の治務を理する知事の地位とを同一ならしむるは決して事の宜しきを得たるものと云ふ可らず其不都合の次第を云へば或は知事の中に多少不適當なる人物ありても其久しく職に在りて特に甚だしき落度もなければ直に非免は情に於て忍びすと云ひ左ればとて他に轉ぜしめんとすれば自分の高きが爲めに格合の塲所なきに苦しむ其一方に他の官吏中には隨分適任の者多けれども官等の卑きが爲めに俄に之を地方官の地位に抜擢すること能はざる等の事情もなきに非ず即ち其更迭とかく乙甲なる所以にして畢竟地位の高きに過ぎたるこそ不都合を醸すの根源なれ左れば其權力相應に其地位を卑ふするは官制の精神に於て必要のみならず今後の政况如何を案ずるに中央の政務次第に整理するに隨ひ地方政の次第に減少するは云ふまでもなく殊に近年郵便鐡道の仕組發達して運輸交通の進歩したる一事はますます中央との關係を密接ならしめてますます地方の事を減ずること必然なれば其事に當る者の地位權力はますます不要に屬す可し故に我輩は今回政府に於て地方官更迭の擧あると同時に其官制を改正し府縣知事の地位を今の書記官と同等位のものと爲さんことを希望する者にして其改正の結果は如何と云ふに第一從來の情實を去りて更迭を便にして新進の路を開て適當の人物を得るの利ある其上に經費の一點に就ても今の三府四十何縣の知事を止むるときは其俸給旅費を省くのみにても少なからざる金額の節減を見るに至る可し一擧兩得の計と云はざるを得ず而していよいよ其官制を改正するには今の參事官、警部長、收税長の如き素より無用の職なれば屬官を以て之に任ぜしむるも實際に差支ある可らず此邊の事に就ても所見なきに非ざれども其細目は兎も角もとして取り敢へず知事の地位に就て一言するものなり