「虚飾贅澤果して止む可らざるか」
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時事新報に掲載された「虚飾贅澤果して止む可らざるか」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
虚飾贅澤果して止む可らざるか
政府の當局者が爵位官等の虚威虚飾を止めにし車馬邸宅等の贅澤を謹しむ可しとは我輩の毎度勸告する所にして之を實行して何の差支もなかる可しと信ずれども世俗の常情として自から異論なきを得ず即ち其言ふ所を聞くに元來政治は極めて俗の仕事にして學者の眼には無用と見ゆる物にても實際には自から之を必要とするの塲合あり爵位官等の如き必ずしも虚威虚飾の爲めのみに非ず當局の地位に立て政を行ふには政府の内外に官吏たるの體面を保つの一事も必要にして即ち爵位官等の止む可らざる所以なりと云ふに在れども我輩の所見は全く之に反するものなり凡そ人の智德は其品位を表するものにして自から掩はんと欲して掩ふ可らず之を名けて天爵と云ふ彼の學者發明者もしくは金滿家の如き身に人爵の貴きを有せずと雖も一般の世間にては自から其地位を認めて之を輕んずるものなし即ち自然の天爵を敬するものにして人の貧には必ずしも人爵にあらざるの實を見る可し左れば政府の地位に在るものとても其智德にして苟も社會の上流に位する程の人物ならんには人爲の爵位を以て世間を照さずと雖も一般の公衆は必ず其品位を認めて之を敬するに怠らざる可し况んや都内の輩に於てをや其人に信服するは必然にして體面を保つの一點に決して差支はある可らず我輩の必ず保證する所なれども若しも之に反して其人の智德に欠くる所あらんか假令ひ爵位の高さに居るも内外一般の〓向を得るは到底難かる可し畢竟今の政客輩が身の程を知らず獨り自から高ふして一身の上に物あるを許さず強いて人爵を以て天爵の上に位せしめんとすればますます爵位の高きを要することなれども苟も智德相應の程度に於て體面を保たんとならば人爲の爵位の如きは實際に無用なりと知る可し又車馬邸宅等の事に就ても政治家の如き晝夜奔走して非常に心身を勞するものは又自から之を〓めて其勞に酬ゆる所のものな〓〓〓〓即ち其居〓〓〓にして衣服飲食を美にするが如き〓〓〓〓奢侈贅沢として咎む可らずとの説もなきに非ず我輩とても敢て其内實を咎むるものに非ず又これを禁ぜんとするものに非ざれども如何せん一般の凡俗社會は羨望嫉妬の淵叢にして他の美麗贅澤を望み視ては之を羨み之を妬み其結果甚だ妙ならざる者多し畢竟其人々が智慮の足ざるか或は正直一偏に過ぎて陰陽表裡の別を分たず自家の奢侈贅澤にまで終始一貫の主義を推徹さんとするが故に斯る結果も免れざることなれば此處は何とか工風を巡らして他の情を損せずして自ら慰むるの手段こそ肝要なれ言、卑陋に渉るが如くなれども彼の賤業を事とする藝娼妓の輩が客に媚を呈して萬人一樣に愛嬌を振蒔く其中にも自から一片の眞情を許すの情人なきに非ず其社會にては之を苦海の憂晴しと唱ふるよしにて他の遊冶郎をして之を知らしめざるは即ち手管の妙處なりと云ふ之を以て彼に比するには非ざれども其趣を云へば政海も亦苦海に異ならず幾千萬の凡俗を相手にして虚々實々の略を施すは即ち政略の務にして悲しからざるに泣くこともあらん喜ぶ可らざるに笑ふこともあらん要は他の機嫌を損せずして自家の人望を博せんとするに在ることなれば其苦勞も亦一方ならずして時としては勤めの身の憂晴しも必要なる可し敢て怪しむに足らざれども只世間の凡俗をして羨ましめざるの注意こそ肝要なれ故に我輩は徹頭徹尾その奢侈贅澤を禁ぜんとするものに非ず只、人目に掛らざるの工風を勸告するのみ堂々たる政客の技倆を以て數ならぬ賤業者の手管だにも若かざる可けんや