「實業論」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載されたを文字に起こしたものです。

時事新報に掲載された「實業論」(18930330)の書籍化である『實業論』を文字に起こしたものです。

本文

實業論序

嘉永癸丑、米艦渡來して日本は開國の國と爲り、漸く西洋の文物を輸入して社會の面目を改めたるもの少なからず。就中、政法教育の如きは殆んど改良の頂上に達して今日の新日本を出現したりと雖も、如何せん四十年の開國は唯是れ精神上の開國にして、實業社會は依然たる鎖國の蟄居主義に安んずるもの多し。明治十五年、始めて時事新報を發兌してより以來、その所論の眼目は右にも左にも偏することなく、恰も天下を一括して自家獨立の意見を陳べ、唯實業の推進にのみ力を盡してその發達を冀望したりしに、所望空しからずして近年は商工界にも稍や活氣を催おし、外國の貿易、内國の製造、着々歩を進めて年一年に面目を新にし、前途將さに佳境に入らんとするの風光は、即ち實業革命の期近きに在るを示すものなれば、時事新報はその機に乘じ更に實業論を草して十數日の社説に掲げたれども、新聞紙は一讀直ちに廢紙に屬して見る者なきの常なるが故に、今特に之を一小册子に再印して便覽に供したるは、世間實業の友をして到來の時機を空うすることなからしめんとするの微意のみ。明治二十六年四月、福澤諭吉記。

實業論

福澤諭吉立按

男一太郎 捨二郎筆記

我開國以來、既に四十年を經過して今日社會の現状を見れば、無形精神上の進歩は著しくして世界の耳目を驚かすもの多しと雖も、有形實物上の有樣はその運動甚だ鈍くして、時に進歩の跡あるも精神の活溌なるに及ばざること遠きのみならず、或は依然として開國前の面目を改めざるもの比々皆是れなるが如し。目下我輩の最も注意する所にして、爰に一編の實業論を草し敢て大方の教を乞い、尚お今後共に實業奬勵の一事は我紙上の主眼として物に觸れ事に當りて説論に怠ることなかるべし。蓋し時勢の要用これより急なるものなきは我輩の敢て信じて疑わざる所なればなり。

抑も我社會に實業の進歩遲々として、精神の活動するものと相伴うを得ざりし其の原因を尋れば、封建士族の氣質に由來するものと云わざるを得ず。徳川三百年の治世に天下萬物の原動力たりしものは士族の一流にして、その士族は國中智徳の最上たると同時に、衣食は世祿に依頼して曾て額に汗するの要なく、仁義を先にして利を後にし、廉恥を重んじて得喪を輕んじ、世々代々唯精神の一方を琢磨して美を燿かしたるその處に嘉永開國の事あり。人間最上の智徳を以て自から居る者が恰も他に強いられて國を開かんとす、攘夷論の發するも自然の勢にして怪しむに足らず。世態紛紜の末、遂に王政維新の革命と爲り、曩の攘夷論は止んで開國の國是に變じたれども、その開國は唯國を開て西洋の文明を容るゝと稱し、目撃耳聞に任せて他に傚うことなれば、我士族流の目に映じて耳に悦ばしきものは都て是れ精神上の文明にして、政治、法律、學問、教育等の外ならず。この諸般の改革に付ては毫も躊躇することなく、徳川の專制政府を倒して門閥の舊慣を許さず、當時既に衆庶會議を約束して遂に今日は帝國議會を起し、法律も幾回か改正して近日は完全なる大法典をも發布せんとするに至り、又政法の改革と共に之に伴う海陸軍制の如きは純然たる西洋風にして、時として出藍の譽なきに非らず。また學問、教育の進歩も往々内外の耳目を驚かし、大小の學校より年に月に有爲の人物を出すのみか、學者の言論も知らず識らずの間に自由の世の中と爲り、二十餘年前に發言して殆んど身を危うせんとしたりしその議論も、今日は尋常一樣の通論として世間に怪しむ者もなし。之を要するに人間智識の變動即ち無形精神上の運動にして、政法、軍制、學問、教育の如き直に社會の實業商工に縁なき部分の事は一として歩を進めざるはなく、啻に事の小改革に非ず、その根底より顛覆して新面目を開き、世界に對して新日本の名を成したるも〔偶然に非ず〕。畢竟するに我士族流が數百年來、遺傳の教育に磨きたる智識を以て西洋の文明に應じ、唯其の舊智識の形を變じて新智識の姿に移りたるまでにして、特に創めて智識を造りたるに非ざれば、一見或は長足の進歩に驚く者もあらんかなれども、その實は我に於て至難の業に非ず。我輩は唯この智識を遺傳したる先人の恩を謝するのみ。然るに爰に不幸なるは、遺傳の智識美なりと雖も單に精神上の運動に偏して實物の區域に達するを得ざるの一事なり。數百千年來、額に汗して衣食するの大義を忘れたる士流の子孫が、俄にその思想を造らんとするも容易に得べからざるは自然の數理にして、彼の精神上の進歩に世界を驚かしたる我文明の率先者が、往々實業の要を忘れて之を度外視するか、或は偶ま之に喙を容れ手を着るも常に方向を誤りて却て事を害するが如き、その然る所以の原因を求れば、本來その人に無き智識を創造せんとして叶わざりしことにして、是非なき次第なりと云うの外なし。例えば今日我日本國の全面を通覽して政法、教育等の實際を視察したらんには、殆んど西洋の文明國に對して愧る所なきのみか、却て誇るべきものこそ多きは内外人の許す所にして、又その當局者の如何を見ても、我れに政客あり法士あり、學問の一事に於ては學者として世界に尊敬を博する者あり、この一點より觀察を下すときは我れは是れ東洋の文明國にして缺る所なく、東西相對して正に優劣を爭う者なれども、顧みて實業社會商工の有樣を見れば、その進歩の遲々たる唯憐むべきのみ。四面海に濱する海國にてありながら稀に軍艦の遠洋に航するのみにして、海外の諸港に向て定期の郵船もなく、貿易は自國の開港場に於て外商の來るを待つのみにして、酷に之を評すれば、往年文明國人に發見せられたる野蠻國人が土地に産する自然物を以て製造品に易るの状に彷彿たるもの多しと罵詈し去らるゝも、その瓣解には多少窮することなきを得ず。人口の年に増加するは識者の夙に注意する所にして、之を海外に移住せしむるは苗を分けて植ゆるに異ならず、その他方に繁殖するは即ち自國の勢力を増すの好方便なりとて議論する者なきに非ざれども、曾てその邊の企なく、小池の魚の水に窮して呼吸漸く塞迫するものに似たり。實業社會は今日尚お未だ日本の外に國あるを知らずと云うも過言に非ず。啻に海外の志なきのみならず、内國殖産の事情如何を尋ても驚くべきものこそ多けれ。全國無數の工商が物を製し物を賣買するに、間接直接に外國貿易に關係しながらその外國の何ものたるを知らず、依然たる舊時の職人町人にして舊慣を墨守し、帳簿は大福帳にして番頭は則ち年期小僧の老大したる者なり。その番頭等が外國の新聞紙を見ざるは無論、甚だしきは内國發兌のものさえ讀まざる者多しと云う。何れの點より見るも進歩の極めて鈍きものにして、之を社會精神上の變動に比すれば天淵も啻ならず。實業社會は獨り日本の舊乾坤に留まるものと云うべし。

日本の實業が士族學者流に忘れられて發達の遲々たるは、單にその澁滯振わざるの不幸よりも尚お一歩を進め、他の精神上の發達に對して伴うを得ざるが爲めに却て意外の災を被るの情あるが如し。例えば近來世論に喧しき民法、商法の如き、その法文にも多少不行屆の點はあるべきなれども、之を斷行して人事に益すべきは固より論を俟たず。然るにその斷行尚お早しと論ずれば、之を爭うを得ずして斷行論者も之に服するは何ぞや。文明の議論上に於ては斷行の理由明白なりと雖も、實際に民智の尚お幼稚なるを見れば折角の金科玉條も却て害を爲すべしとの情實に服して、延期論に抵抗するを得ざるが故なり。即ち民法、商法は精神の發達より生じたる成跡なれども、實業社會の發達遲々として之に後れたるが故に應ずることを得ざるものなり。その實證を得んとならば、今日にても某會社、某商家の如く商賣取引の紀律を正しくして文明の風に從う者は、啻に商法の實施を憂ざるのみか、少しく改正を加うれば甘んじて之に服して實際に利用すべしとて、却て竊にその發布を待つの情あるが如し。實業社會全體の遲鈍はこの一事を見ても知るべし。精神と實業と兩々相伴わざるの災と云うの外なし。又近年人口の次第に増加するは醫學の進歩、衞生法の注意より生ずる所の成跡にして、亦以て精神の發達、智識の進歩を證するに足るべしと雖も、如何せんその精神智識は單に人口を増加せしむるに止まり、その人口の始末に至りては實業の區域なるが故に全く度外視して之に注意する者あるを聞かず。近くは墮胎を嚴禁しながらその生兒の養育法には尚お未だ思い至らざるが如きも、類似の一例として見るべし。是等を計うれば實に枚擧に遑あらざれども、姑く筆を擱して差置き全體より論ぜんに、方今世間に繁文の弊を訴る者多けれども是れ亦法の繁なるに非ず、文明の世界に法律規則の精密を要するは自然の勢にして當然のことなれども、この法を作る人は精神智識發達の學者流にして實業以外に居り、唯自分の發意に任せて紀律を設けんとするその一方に、法の下に生息する人民は進歩遲鈍にして之に應ずること能わず、雙方相互に齟齬して不都合を生ずるのみ。一方に偏して政府を咎れば咎むべきなれども、畢竟は實業社會に人物少なくして、今日尚お未だ開國以前の舊思想を脱すること能わざるに坐するものと云うべし。

精神の社會と實物の社會と進歩の度を共にせざるが爲めに生じたる不幸は、前記の事實に止まらずして尚お著しきものあり。抑も開國に引續き王政維新前後の世態は、我士族學者の流をして精神智識の發達一方に走らしめ、人生學ばざれば智なしとて辛苦怠らずして得たるその智識も亦、これを用いんとする所は唯政治、法律等を目的にするのみにして、その政法の性質は即ち精神上の事なり。天下一般の氣風既に勢を成し滔々留めんとして留むべからず。實業社會は擧げて之を舊時の職人町人の輩に一任して顧みる者なきその間に、内外の商賣極めて多事にして極めて不整頓の折柄、無一錢の商人等がその社會に人なきを利し、恰も虚に乘じて業を營み手に唾して巨萬の富を致したる者少なからず。而してその人物如何を尋れば、曾て學問上の教育なきは勿論、天禀の氣品さえ甚だ高からずして、畢生の心事、唯目前の錢あるを知て他を知らず、甚だしきは目に一丁字を辨えざるのみか耳に人の言を聞ても坊間の俗談に非ざるより以上はその意味を解すること能わざる程の下郎にして一大家の主公と稱し、居然世に處して商賣社會の運動を左右する者あり。その資産の大なるとその人品の賤しきと誠に不釣合なる次第にして、この流の賤丈夫に何程の財を私有せしむるも、恰も西洋にてジユー人種の富む者と一般、唯財を積で財を殺すに過ぎず。凡そ三十年來、俄に家を興したる人多しと雖も、金錢の境界を離れて共に君子の談を談じ、共に君子の樂みを樂みて相互に逆うこと莫きを得る者は、實際に甚だ多からざるべし。左れば西人の言に富を致すはその人の徳義才智に由ると云うに反して、開國以來に興りたる我富豪中には、往々不徳無智の輩あるこそ奇なるが如くなれども、聊か事の次第を吟味すればその奇必ずしも奇ならざるを發明すべし。即ちその次第は實業社會に國中最上の智識を應用せざりしが故なり、士族學者の流が無形の精神を練磨して學事政事に心醉したるが故なり、その心醉中に他の凡庸をして先鞭を着けしめ恰も自分等の留主中に奇利の餘地を遺したるが故なり。試に思え、學者が書を讀み理を講じ眠食をも忘れて羸痩するまでに勉強し、政事家が常にあらゆる難局に逢うて千辛萬苦するその勉強辛苦を以て實業に當りたらんには、何を企てゝ成らざることあらんや。既に先天遺傳の能力ある上に加うるに必死の忍耐勉強を以てす。實業社會の全權は夙にこの流の士人に歸すべき筈なりしに、開國以來、數十年を空うして自から利せざるのみか、立國の大本たる實業を萎靡不振の境遇に放擲して今日に至りしとは無限の憾なりと云うべし。

前節に開陳したるが如く、我日本國の實業は不幸にして學者士君子の爲めに度外視せられて文明の時勢に後るゝこと甚だしく、學事政事の如きは既にその達する所に達して殆んど遺憾なきが如くなるその反對に、獨り工商社會の實業は依然として舊時の面目を改めず。稀に新機軸を抽かんとするものあるも、四面皆因循姑息の舊世界にして、俗に云う多勢に無勢は共に爭うことを得ずして、遂に因循の渦中に卷き込まるゝの外なし。斯る事態に一任して救濟するものなくんば未來永久發達の期なく、國家の生存も或は疑うべきに似たれども、凡そ人事には陰陽表裏の兩面あるものにして、一面の表を見れば寂莫慘憺の情あるが如くなるも、更に進んで裏面の深き處を視察すれば、三冬積雪の中、既に春色來復の徴あるを窺うべし。前に云える如く、開國以來、我上流の士人は無形精神上の一方に偏して學事政事に熱し、殊に教育の一事は朝野の最も注意する所と爲りて教育過度の譏を招きたる程なりしに、その勞空しからずして公私の學校より有爲の後進生を出したること實に夥多しく、今尚お同樣にして今後共に底止する所を知らず。然るにこの種の後進生は本來の士族か然らざれば他族の士化したる者にして國民中の粹と稱し、その志す所は遺傳の氣風に從い十中八、九、官途の一方に赴き、往々その志願を達したる者もありしかども、有限の官途に無限の人才これを容るべからざるは數の明なる所、年々歳々、唯人才の増加するのみにして身を處するの地位を得ず。爲すあるの人才にして爲すべきの事なしと云う、人生無上の憂患なれども、左ればとて祖先傳來の資質は高尚にして、鄙事に多能ならず又鄙事を執るを屠とせず、右に左に彷徨して、或は學校教師と爲り或は著者、新聞記者と爲る等、勉めて精神上の事を求めて之に當らんとしたれども、是等の地位も忽ち充滿して餘地を遺さず。今はいよいよ窮迫して殆んどその極度に迫りたるものゝ如し。是即ち我輩の所謂實業の春色來復の徴なり。人間萬事必要に促されて運動するは自然の約束にして、數年來、後進の人物が兎角その地位の如何を擇み、直に實業に就かずして左右に彷徨し、俗に云うどうやらこうやらして世を渡りたるは、實際尚お之を渡るの餘地ありしが故なれども、年に月に同種族の人を輩出して際限あることなく、郡集塞迫の中より首を回らして社會の全面を見れば、宿昔の志に適すべき好地位は既に已に他人の占領する所と爲りて復た一人を容れず。退て彼のどうやらこうやらの渡世法も人事の穎敏なるに從て持續すべきにあらず。是に於てか、始めて心事を一轉して實業社會の方向に走らざるを得ず。實業その業は素より高尚にして士君子の當さに身を委ぬべき所なれども、後進生の目を以て見れば甚だ高尚ならず。況んやその入門の際に授けらるゝ仕事は俗中の俗、鄙中の鄙なるに於てをや。その心に感ずる所は恰も市朝に鞭たるゝが如くなれども、既に忍耐と決したる上は容易にその決心を改めざるも亦士人の特色にして、昨日の伯夷は變じて今日の柳下惠と爲り、使役を恥じず小給を少なしとせず、孜々勉強して活溌に立働くに至るべし。即ち士人生活の必要に促されたる變動にして、近來の實際に於て往々その端緒を開きたるものあるが如し。扨斯の如く端緒を開きたる處にて、その後進生が實業社會に如何なる影響を及ぼすべきやと云うに、この輩が入門の初に著しき缺點を擧れば、諸會社、商家に最第一の必要たる雙露盤の用法達者ならずして書字も亦拙く、言語應對、武骨にして禮儀を知らざるが如く、時としては通俗の故老輩に無禮を咎めらるゝ事さえある程の次第にして、之を要するに、書生風は商賣社會に不向なるが如くなれども、この邊の缺點も亦實際の必要に迫られて自然に除去せざるを得ず。雙露盤の脩練に半年を費し、手習も亦一年の心掛を以て文字の體を成し通俗の記事文通に差支なく、交際法の如きは日々の應接こそ良教師にして、如何なる武骨男子も人生木石にあらざれば、千種萬樣の異客に接して浮世の風に吹かるゝときは、その情和せざらんと欲するも得べからず。都て是れ枝葉の藝能、外面の體裁、唯暫時の辛抱を以て成り、昔年の書生、今日の商人、その變化の案外に速なるを見ることあるべし。既に斯くなりし上にて、この新成の壯商と先輩番頭流の故老又は年季上りの手代、即ち俗に云うお店者と相比較するときは、尋常事務の取扱に差したる巧拙とてはなく唯元來の教育あるとなきとの相違にして、新商は知見博くして工風に富み、舊商は之に反して内外商界の大勢を知らず、之を知らざるが故に敢爲の勇に乏しきの別あるのみ。然るに今日の商賣工業は外國貿易の刺衝に迫られて一事一物もその影響を被らざるものなく、退て蟄する者は亡び、進んで動く者は榮ゆるの形勢なれば、今後の商權は果して何れの手に歸すべきや多言を俟たずして知るべし。古風の商家は書生流を評して商事に暗く掛引に迂闊なりと云う。夫れ或は然らん。利口に立廻わりて人の股を潛るが如きは士流學者の短所なれども、能く法に從て紀律を守り大事に臨んで動搖せざるは亦その長所なり。之を喩えば舊商は劍客の如し。一人の敵に對して鬪い隙を窺うて切込むの細手段は、或はその腕に覺えもあらんなれども、その技倆を以て紀律正しき軍隊の指令官たらしむべからず。否な、兵卒にも用うべからず。整々の陣、堂々の旗を押立てゝ商工の戰場に向い、能く之を指揮し又能くその指揮に從て運動する者は、唯近時の教育を經たる學者あるのみ。我輩は之に依頼して我實業の發達を期する者なり。

文明世界の實業を進めんとならば、必ず教育を經たる士流學者に依頼せざるべからずとは理論に於て既に明白なれども、尚お之を事實に證せんが爲め一例を示さんに、凡そ近年、日本の商賣社會に大事業を成し、絶後はイザ知らず空前の名聲を轟かして國中に爭う者なきは、三菱會社長、故岩崎彌太郎氏なるべし。氏の天資、豪膽敢斷にして然かも事に當りて周密、毫末の細件も遺すことなし。多年の間、阿弟と共に經營して遂に一大家の基を開きたるは偶然に非ずと雖も、就中他人の企て及ばざる所はその能く人物を容れて士流學者を用いたるの一事なるが如し。當時商賣世界は尚お渾沌の時節にて、郵便汽船會社も單に廻船問屋にこそあれ、問屋の商賣に學者など實に思いも寄らぬことなりしかども、岩崎社長は自から見る所ありしならん、廣く學者社會に壯年輩を求めて之を採用し、殊に慶應義塾の學生より之に應じたる者最も多かりしが、例の如く書生輩の武骨殺風景なるにも拘わらず、社長は之を愛し之を馴らし、その次第に事務に熟するに從て重要の任に當らしめ、時としてはこの脱俗の若輩にこの商務の大任は如何ならんと却て傍より掛念する者ある程なりしに、社長の見る所果して違わずして、社員おのおのその技倆を逞うし能く紀律を守りて勉勵怠らず、社務整然として曾て内部に波瀾を生じたることなく、自から他諸會社に對して特色を呈したるは畢竟社長の天資大技倆に由るとは雖も、その採用せられたる士流學者の働も亦與りて力ありと云うべし。我輩曾て親しく故社長に聞たることあり。云く、汽船會社の業を企て、初めの程は唯通俗の俗子弟のみを使用して事を成さんと思い之を試みたるに、性質柔順にして常に唯々諾々、當座の用は能く辨じて便利なるが如くなれども、何分にもこの輩は無教育にして事物の輕重を知らず、過て大事を破るのみならず、時としては非常に鄙劣にして犯すべからざるを犯すことあり、依て案を轉じて近來は學者書生流の採用を始めたるに是亦困却せざるに非ず、武骨無情、これを店頭に置けば客に接しながらその言語顏色、客を追拂うが如し、實に堪え難き次第なれども、一方より見ればその氣質美にして正直のみか、腦中多少の知見を藏めて物を恐れず、イザ困難の談判文通などに當りては必ず書生に限ることなり、左れば俗子弟と書生と一得一失なれども、俗物を養うて之に學者の氣象を得せしむるは難し、學者を慣らしてその外面を俗了するは易し、故に近來は專ら學者を云々と。是れは實に三菱社長が實驗上より發したる言にして、最も事業上に適切なるものなれば、今日の實業界に於て一考の價あるべし。實業に入らんとする學生も之を入れんとする實業の當局者も共に自から省る所なかるべからざるなり。

人或は云く、實業界に教育を經たる學生を容るゝは甚だ妙なり、故岩崎社長が由て以てその大業に助力を得たるも事實に相違なかるべしと雖も、何分にも實業は俗事にして俗界と學界とは趣を殊にし、之に學者を容るゝも之を御すること易からず、例えば爰に一大家あり、その家の新舊に拘わらず家政は甚だ古風にして都て先代の法を守り、商賣上の取引とても從前の仕來りに從て新奇に走らず、可もなく不可もなく相應の利益を得て、家内を始め番頭、手代に至るまで安穩に渡世して何一つの不自由もなき處に、俄に學者を入れて之と共に商賣を語り商賣を行わんとは事情の許さゞる所にして、先ず第一にその人に向て相談すべき事なきのみか、枉げて相談すれば初めより説を殊にして互に相容れず、果ては之を怒らしむるのみにしてその始末に當惑すべし、岩崎社長の如き豪傑ならばこそ意の如く之を使役したることならんなれども、尋常一樣の商家にて望むべき事に非ずと云う者あり。この説甚だ理あるが如し。今日の時勢にて呉服屋の店頭に學者は用うべからず、米穀の仲買に大學卒業生も不適當ならん、差向き異樣なるに似たれども、その異樣に見ゆるは唯習慣の然らしむる所にして、事の實際に於ては毫も怪しむに足らず。呉服商なり米屋なり、人間正當の營業ならざるはなし。學者にして渡世の業を營む、我輩その奇異なるを知らず。況んや金滿の大家に於てをや。學者を用るは家風の許さゞる所に似たれども、天下の風潮は次第に文明多事の一方に進み、殊に外國貿易の影響その及ぶ所廣くして商賣社會の原動力とも爲らんとするの今日に當り、教育を經たる學者を外にして獨り自から守らんとするが如き到底望むべからざる希望にして、その趣は軍隊組織の世に火器を用いずして槍劍を執るに異ならず、勝敗は前言するに易し。左れば舊來の番頭、手代、お店者に代るに學者を以てするに際し、多少の困難不都合あるべきは必然の次第なれども、主人たる者の方寸中には常に之を忘れずして、徐々に謀を爲すこそ肝要なれ。學者流は之を御するに易からずと云うと雖も、この流の者も今は次第に進退に窮して復た昔年の傲慢殺風景に非ず、苟も身を容るゝの地位あれば甘んじて使役に服すべし。主人にして家を重んずるの念あらんには學者を用いざるべからず、學者にして身を立てんとするの意あらばその招きに應じて命に從わざるべからざるなり。且又この輩の擧動は實に殺風景に相違なしと雖も、世事に慣るゝに從て次第に緩和するは人生の約束のみならず、世間一般の商賣社會には日に月に書生風の原素を注入して漸く勢を成し、文書言語その他一切の交際法より商賣の取引、工業の管理法に至るまで、自然に趣を變じて恰も新商人の新世界を開き、その人員の増加するに從て勢力も亦増加し、新商人と舊商人と兩兩相對し、遂には今の有樣を逆にして實業の權柄を新商の手に執り、多勢に無勢は爭うべからずとて舊商屏息するの日あるべし。事柄は異なれども一例を示さんに、彼の不學無文何等の教育もなき田舍漢が人に逢うとき、動もすれば物知り顏して訛雜りの漢語を用い、手紙の文字も御家流を廢して妙な字體に認め、不文ながらも何か理屈がましく〔罫〕系紙などに書き竝べたるもの多し。我輩は之を評して村吏有志者口調と稱し唯一笑に附するのみなれども、退て考れば天下の言語文書漸く書生の爲めに押領せられたるの證として視るべきものなり。言語文書にして既に書生に化せられたる上は、實業も亦その運命を免かるべからず。他年一日この例に傚うて、自然に書生の爲めに押領せらるべきは我輩の推測して必然を疑わざる所なり。

今日の實際を視て今後の形勢を察するに、我實業社會の全權は遂に士流學者の手に歸すること復た疑うべからず。假令い今の士流その人に歸せざるも、苟も實業の眞の發達を見るはその社會の人を悉皆士化せしめたる後の事と知るべし。蓋し實業は貴重にして榮譽の事なり。その事にして斯の如くなれば、之に當る人も亦斯の如くならざるべからず。人品高尚にして廉恥を知る人にして始めて可なり。到底今の所謂町人職人輩に任すべき事柄に非ざればなり。扨斯くと方針を定めたる上にて政府は實業社會に對して如何すべきやと云うに、唯政府たるものゝ分限を守り、その職分に於て務むべき限りを務めて分外に逸することなく、商賣工業の事に關しては大自由大自在を許して之に一任し、商工の運動に尾して政府も共に運動すべきのみ。從前の説諭法、干渉法の如きは一切これを取らずと敢て爰に斷言するものなり。抑も王政維新の革命は士流學者の企てたる革命にして、その事成りし後も政事、學事等の注意は頗る綿密を致し着々實效を奏して見るべきもの甚だ多しと雖も、殖産、實業の一方は之に身を委ぬる人物もなく從前のまゝにして差置くのみか、偶ま政府の筋より手を出し喙を容るゝことあれば、不知不案内なる官吏輩が思付きしまゝに事を企て國益など稱して騷々しき沙汰のみなれども、實際に益を爲したる例は甚だ少なし。舊工部省を始め諸府縣廳の實跡に照らしてもその無益なりしを證するに足るべし。彼の北海道開拓の如き、何千萬の大金を費して何物を得たるや。所費と所得と比較して商賣上の雙露盤に當らざるは天下に明白なる事實にして、畢竟するに之を評して素人の仕事と云わざるを得ず。その他諸處にある官有の鑛山なり山林なり又は諸工場なり、近來こそ手を引きたるもの多けれども、前後これが爲めに國庫金を浪費したる高は實に容易ならず。何れも皆雙露盤に迂き素人仕事の不始末ならざるはなし。然りと雖も是等は單に政府の損亡に止まるのみにして尚お忍ぶべしとするも、忍ぶべからざるは民間の實業に關する法律規則の不都合にして干渉の甚だしき一事なり。商賣工業の思想もなく實驗もなき士流學者輩が差圖がましく之を支配せんとして法を作ることなれば、その實地に適せざるは固より論を俟たず。法を作る者の意は敢て民業を妨げんとするに非ざるのみか常に優しき目的なれども、何分にも純粹の素人にして實際の細事情を知らず、然かもその氣位は甚だ高くして動もすれば人民の保護を以て自から任じ、政法と徳義とを混同して夫れ是れと心配するその深切は却て仇と爲り、俗に云う入らざるお世話と稱すべきもの多し。例えば商賣の組合を立てしめ工業の聯合を設けしむる等は何時も替らぬ無益の手數のみにして、彼の有名なる取引所條例の始末の如き、數年の間半空に懸りて近日に至り漸く一段を終りたれども、前後これが爲めに商賣人を惱まして相場所の發達を妨げたるの事實は掩うべからず。又一奇談とも云うべき例を示さんに、鐵道法に併行線を許さず、濫設を防ぐの意味ならん、是れは姑く聽くべしとするも、從前の慣行に人民より新に敷設を出願するとき之を許すと許さゞるとに就き樣々の理由ある中にも、その線路に利益薄かるべしと認るものへは許可を與えざるの内規ありと云う。實に驚入るの外なし。人民が自利の爲めに事業を企てたることなればその利益の有無は政府の知るべき限りに非ず、利害共に企業者の責任たるは論もなきことにして、不幸にして何程の大損亡を被ればとて陰にも陽にも政府に向て不平を訴る者はあるべからず。假令いその者が産を破て餓死するも政府に於て毫末の關係なきは三歳の童子も知るに易し。或は政府の内意に人民は鐵道事業の要を知らず、之を知らずして漫に之を企て誤て失敗するときは詰り國損なるが故に、政府の明を以て利不利を鑑識して不慮の禍を免かれしむるとの老婆心にてもあらんかなれども、是れぞ所謂氣位の高きに過るものにこそあれ。商賣上の得失を先見するは極めて難事にして世間稀にその人あるのみ、固より今の政府などに向て望むべき事柄にあらず。論より證據には、斯く人民の爲めに心配するその政府の自から敷設したる鐵道中に、起工前の想像と開業後の實地と齟齬したるものも少なからざるべし。自から省みて自から滿足すること能わざるものが、他人の利害を餘處ながら苦勞して果てはその商賣の自由を得せしめず、我輩の飽くまでも服せざる所なり。凡そ民間の事業に付き、容易に條例を發布し取締法を設るは明治政府の慣手段にして、運輸交通、船舶渡海の事に付き、陸上の車馬往來の事に付き、或は家屋の建築、道路の掃除、宿屋の規則、料理茶屋相撲、芝居、見世物の取締等、種々雜多の警察法に至るまで公共の爲めに缺くべからざるものも少なからずと雖も、人民の營業渡世を目的として靜にその利害を考え、利益たるべき部分と妨害たるべき部分とを差引勘定するときは、民間の實業は政府の爲めに妨げられて、例の入らざるお世話に苦しめらるゝもの多きを發明することならん。その甚だしきに至りては人民も既に已に失望して多を求めず、政府を視ること恰も病人を看護するが如くにして、固より病人に助けらるゝの念慮あるべきに非ず。苟もその人が穩に床に臥して無理を云わねば難有しとて、法の下に保護を被らんとするにはあらずして、却てその法を避けて自由に渡世せんことを願う者あるは今日の實業社會に掩うべからざるの事情なれども、唯政府の人の迂闊なる、この事情を知らざるのみ。士流學者を以て組織したる政府の病症、亦是非なき次第なりと云うべし。

政府が民間の實業を保護せんとて法を作るの迂闊なるは前記の如くなりと雖も、是れは唯實業に就て然るのみ。その政治上に關する事柄に至りては決して迂闊ならず、例えば維新後に治安の爲めにとて、舊諸藩地の城廓を毀ち武器を取上げ武家の佩刀を禁じて銃砲火藥の取締法を設けたるが如き、流石は士流の王政維新にして心を用る所甚だ緻密なり。尚おその後に發布したる出版條例、新聞條例、集會條例なども寛嚴の議論は世上に喧しけれども、兎に角にその條項は頗る密にして事の實際に當るもの多し。蓋し在朝の人が在野の武人流、文人流に對して議定する所の法は云わば同類同種族の爲めにするものにして、同類相互に内部の事情を詳にするが故に、その法の能く適中するも偶然に非ず、唯實業社會は政府より視て恰も異類別世界の觀を爲し、その別世界の爲めに法を設けて之を支配せんとすることなれば、その趣を形容して云えば、飛鳥をして水族社會を司らしめんとするが如し、魚介の迷惑推して知るべし。例えば過般政府より議會に報告したる鐵道線路の如き、軍事用の目的を專にして山間を擇び非常なる工費を以て世間を驚かしたるものあり。畢竟商賣の重きを知らざる士流組織の政府に免かれ難き通弊にして、この一事を見てもその頼むに足らざるを知るべし。左れば我輩は斯る士族政府に向て暫く積極的の運動を所望せず、唯その人々が實業に關して勉めて手を控え口を閉じて之に干渉することなく、政府本來の分限に止まりて得意なる政事のみを行い、獨り自から自由ならんことを願うのみ。實業は政府に依頼せずして獨立の進歩甚だ易し。斯くありてこそ政府も政治上の榮譽を全うし、實業家も商業上の活動を逞うして兩者相互に戻らざるに至るべし。況んや今後の成行を測れば、士流政府の漸く商化するを見るべきに於てをや。實業は啻に獨立するのみならず、社會全般の原動力と爲りて政治の方針をも左右するの勢を成すは、我輩の信じて疑わざる所なり。明治の初年以來、在朝の士流は商事に不案内ながらも士流は士流にして智識想像に乏しからず、西洋の文明を見て是れも採るべし、其れも學ぶべしとて頻りに新奇に走るその中に、實業を試みたることも甚だ少なからず、鐵道を始めとして樣々の工業を企て、その計算上に於ては固より失敗を免かれざりしと雖も、事の實際を人民に目撃せしめてその企業心を引起したるは事實に爭うべからず。この點より見れば、失敗して國庫金を失うたるその金は國民の爲めに文明の學費として深く咎むべきに非ざれども、その國民の文明學は次第に進歩して復た政府の教示を要せず、今は只管その教示干渉を避けんとするの折柄、偶ま帝國議會の開設に遭い人民に參政の權を得たるこそ幸なれ。今後實業社會の發達と共にその社會より有爲の代議士を出して自家の利益を謀り、苟も政府にして從前の筆法に從い差圖がましく民業を妨るが如きことあらんには、之に反對して政府を動かすに難からず、金力の向う所に敵なきは文明自然の勢なり。今日なればこそ議會の議論も事の實地に遠くして動もすれば空論云々の譏ありと雖も、實業者が眞實政法の煩わしきに窘しめられて不利を被るの場合に至れば、決して默止する者にあらず。一擧して議場の多數を制して政府の方針を改めしむること甚だ易し。之を要するに、今後政府の動靜は恐るゝに足らざることにして、如何なる人物が内閣を組織するも頓着すべき限りに非ず。元老内閣甚だ可なり、民黨の後進政府亦甚だ不可なし。立國の基本既に定まりたる上は、政府の新陳交代の如きは唯是れ枝葉の談にして、之を朝野の政客に一任するも國の安危に大なる影響はあるべからず。既往十數年に徴するも施政の方針如何に由りて間接直接に實業を妨げたることはあれども、政法に庇蔭せられて之を發達せしめたるの例を見ず、民業の發達は都て民力に由らざるはなし。目下輸出品の中にて最も盛なる生絲、製茶の如き、例の勸業課の説諭など聽聞して然る後に發達したるに非ず。燐寸の製造、羽二重の機業、又は紡績、製紙の事など枚擧に遑あらざれども、曾て政府の奬勵を要せず。否な、その奬勵干渉こそ實際に於て却て厄介なれ。利に走るの人情は之を推進せざるも走るべし。既往の事實斯の如くなれば將來も亦知るべきのみ。或は政府に大英雄を出して大政略を施すも、或はその人が失敗して之に次ぐに他人を以てすることあるも、由て以て實業の盛衰を爲さんとは我輩の豫期せざる所なり。政府の手際は既往の事跡に徴して明なればなり。即ち我輩が實業の爲めに政府を輕く視る所以にして、元老政府にても民黨内閣にても苦しからずと云いしもこの邊の意味に外ならず、唯暫くの處はその干渉を免かるゝを以て滿足し、時勢の次第に進歩するに從い次第に士族政府の中に商賣風の原素を注入し、遂に之を商化して尚商立國の時節到來するも遠きにあらざるべしと、我輩の確に信じて疑わざる所なり。

實業既に政府の干渉を免かるゝのみか、朝野の政治家、論客にても實際に商賣上の知見經歴なき者は、如何なる案を立てゝ之を朝に論じ野に語り又議會に議することあるも之に重きを置かずして、爰に漸く眞誠の實業社會を創造せんとして、何等の事業に着手して何れの方向に進むべきやと云うに、滿目恰も新世界を發見したるが如く、到る處、商賣工業の遺れられたるものあらざるはなし。前節に云える如く、開國以來、西洋の文明を輸入したりと雖も、その文明は專ら精神上知識上の文明にして、實業社會の事は依然として之を舊時の町人職人に任して顧みる者なく、稀に或は士流にして商工に從事したる者あるも、萬緑中の一紅、所謂多勢に無勢にして、折角の士流も周圍の氣風に制せられ、遂には普通の町人職人たらざるを得ず。この間に屹立して士氣を維持し獨り文明流の業を營まんとするその困難辛苦を譬えて云えば、在昔漢學流行の世の中に獨り洋學を主張し、文明士人の節を全うせんとして身を苦しめたるの情に異ならず。維新以來この種の商人を計うれば誠に僅々に過ぎず。之を要するに日本の實業は今尚お鎖國の中に在りと云うべき有樣にて、誠に氣の毒なる次第なれども、恐るべきは天下の大勢にして、今日は正に實業社會の革命を促がしたるものゝ如し。抑も我實業の原動力は外國貿易にして、貿易進歩の影響は全國到る處に及ばざるはなし。年々歳々、輸出入品の高を増しその種類を多くして殆んど底止する所を知らず。殊に内國製造業の次第に進歩すると共に、人民の好嗜需要も亦次第に増加し、その製造品、需要品を運搬集散するには汽車汽船の便を以てし、國中都鄙の別なく人民の衣食住を一變したりと云うも可なり。試に人の家に到りその人の口に食うもの、身に着るもの、家に附くもの、座に在るものを見渡して逐一これを計え、その中に必ず多少の舶來品を發見するは寒村僻邑も皆然り。輸入にして斯の如くなれば輸出も亦斯の如し。その品類の次第次第に増加するのみならず、一見直に外國に賣るべしと思われざる品にてもその形を變じて海外に出るもの多きを發明すべし。左れば外國貿易は日本の殖産社會を顛覆してその面目を一新したるものなれば、この一新の衝に當りて活溌に立働き、廣大無限の商界に馳驅して進退を誤らず、以て身を利し又隨て國の繁盛を致す者は、文明の教育を經てその心身を一新したる後進の士人に非ざれば不可なり。固より今の町人職人輩の堪うべき所に非ざれば、士人の多事推して知るべし。滿目新世界の如しとはこの邊の事情を評したるものなり。啻に多事のみならずその多利にして商工社會の前途洋々春海の如くなるは、輸出入の進歩する數とその品柄の増減する事實とを見て之を卜すべし。左に示す表は明治十六年より二十五年に至るまでの輸出入なり。

五年度 十六年度 比較増 同増歩合

外國貿易全計 一六二、四二八、八三三圓 六三、六六七、〇五三圓 九八、七六一、七八〇圓 二倍五分餘

内國産輸出 九〇、四〇四、七三五 三五、六九三、五二二 五四、七一一、二一三 二倍五分〔餘〕増

外國産輸入 七一、二七六、九四二 二七、九七三、五三一 四三、三〇三、四一一 二倍五分餘

輸入重要品比較

減じたるものは頭に×印を付す

二十五年度 十六年度 比較 同増歩合

蝙蝠傘 七三〇圓 一、一六一圓 × 四三一圓 三割七歩餘

綿メリヤス肌衣 三七、九六一 四四、四二二 × 六、四六一 一割四歩餘

マッチ 四〇八 五四三 × 三六 六歩六厘

襦子 五三、六八七 五二、五五七 一、一〇三 二歩一厘

セメント 二二、八九七 一九、八〇八 三、〇八九 一割五歩餘

紡績絲 七、一三一、九七九 六、一六四、七二〇 九六七、二五九 一割五歩餘

麥酒 一一七、四三 九三、七二三 二三、七〇八 二割九歩餘

酒類 四〇二、八〇 三〇〇、七〇二 一〇二、一〇一 三割三歩餘

玻り類 二六四、四三〇 一九四、九四一 六九、四八九 三割五歩餘

玻り器類 六四、四八五 四四、五七二 一九、九一三 四割四歩餘

石油 三、三二八、三九八 二、四五六、二六〇 七七二、一三八 三割餘

縮緬呉呂 二、四四八、八九九 一、六一八、〇七二 八三〇、八二七 五割餘

生金巾 一、七二七、一八五 一、〇九二、七四二 六三四、四四三 五割餘

襟飾 九、〇四二 四、一六五 四、八六七 二倍一分餘

砂糖類 九、六〇四、三五〇 四、四七六、三四八 五、一二 八、〇〇二 二倍一分餘

鐵釘 九〇六、四二二 二六八、九〇四 六三七、五一八 三倍三分餘

印刷料紙 二一七、三〇九 三八、一五八 一七九、一五一 五倍餘

他の洋紙 二三五、五二六 六二、四六八 一七三、〇五八 三倍餘

帽子 三三三、一四八 七四、九一五 二五八、二三三 三倍餘

煙草類 三一三、三九〇 六五、八八二 二四七、五〇八 三倍七分餘

紙卷煙草 六二、五四六 六、四四〇 五六、一〇六 八倍餘

肩掛 四五、九六九 四、五四六 四一、四二三 九倍餘

繰綿 一一、〇二六、六三七 二四七、五〇五 一〇、七七九、一三二 四十三倍餘

我貿易が輓近十年間に二倍五分餘の額に達したりとは實に驚くべき次第にして、唯その額の増したるのみならず、その品柄の増減を見ても内國殖産の漸く隆盛に赴くを窺い見るべし。即ち爰にこの貿易表を掲げたるも、日本の製造の次第に發達して次第に外國製品の輸入を防ぎ、昔年は專ら輸入を仰ぎしものも今は之を内國に製して自から給するのみならず、却て逆に輸出するものさえありとの事實を示さんが爲めなり。左れば右の表にある輸入重要品の増減も貿易の全額十年間に二倍五分餘を増したるが故に、各品に付き二倍半の増は尋常一樣、假りに増減なしと認めて其以外の數字を見るべし。例えば初筆の蝙蝠傘が三割七歩餘を減じたりとあれば、二倍半の上に三割七歩を減じたることなり。次に繻子が二歩一厘増とあるも全體の割合なれば、二倍半即ち十五割増すべき處に二歩一厘とは殆んど増減なきに等し。唯鐵釘以下三倍増餘のものに至りて、實に輸入の割合に超えて増したるを見るべし。最末に繰綿の四十三倍に増したるは内國紡績業の進歩を示すものにして、從前の綿絲に引易えてその原料を入るゝことゝ知るべし。 又近く明治二十一年より二十五年に至るまで、外國製品の輸入を減じたること最も著しきものを擧れば、

二十五年度 二十一年度 比較減

圓 圓 圓

紡績絲 七、一三一、九七九 一三、六一一、八九八 六、四七九、九一九

セメント 二二、八九七 二四三、一三五 二二〇、二三八

印刷料紙 二一七、三〇九 三八六、六八二 一六九、三七三

酒類 四〇二、八〇三 八二二、九一四 四二〇、一一一

玻璃器類 六四、四八五 一二〇、九五五 五六、四七〇

左に記す輸出の數字を見ても亦以て内國の製造如何の情を知るに足るべし。

輸出品全計

減じたるものは頭に×印を附す

二十五年 十六度 比較増 同増歩合

圓 圓 圓

書籍及紙類 三二六、六四一 二七二、六八三 五三、九五八 二割

製藥染料類 二、一八七、五〇七 一、〇六七、一五 一、一二〇、三五七 二倍五厘

穀物及食料品 九、一五四、三五六 四、二四四、五三七 四、九〇九、八一九 二倍二分餘

金屬 五、二三六、六六八 九〇一、二二二 四、三三五、四四六 五倍八分餘

油及蝋類 六五四、一九四 五五八、二三四 九五、九六〇 一割七歩餘

蠶絲及蠶綿類 三九、九一四、九五八 一八、五六二、五七〇 二一、三五二、三八八 二倍一分餘

皮毛甲角類 二九四、〇六三 一二七、七〇七 一六六、三五六 二倍三分餘

製茶類 七、五二五、三一五 六、一〇六、四九五 一、四一八、八二〇 二割三歩餘

布綿衣裳及附屬品 九、三三三、四七三 二四四、九四五 九、〇八八、五二八 三十七倍餘

煙草類 一二二、三四七 一二四、七六四 × 二、四一七 一歩九厘餘

雜貨一類 五、四三九、五八六 一、五七三、八一七 三、八六五、七六九 三倍四分餘

雜貨二類 一〇、二一五、六二五 一、九二五、〇四三 八、二九〇、五八二 五倍三分餘

總計 九〇、四〇四、七三五 三五、七〇九、一七三 五四、六九五、五六二 二倍半餘

輸出重要品比較

二十五年 十六年 比較増 同増歩合

圓 圓 圓

扇子類 三〇四、八八六 八九、〇六一 二一五、八二五 三倍四分餘

マッチ 二、二〇二、〇四一 三、一六五 二、一九八、八七九 六百九十五倍餘

地蓆類 一、一七六、六八〇 三五〇 一、一七六、三三〇 三千三百六十一倍

提燈 一五、六四〇 六、四〇二 九、二三八 二倍四分餘

寫眞畫 六、三六六 一、〇五三 五、三一三 六倍餘

屏風 三四六、五五〇 二〇、七四五 三二五、八〇五 十六倍七分餘

麥稈サナダ 一五五、一六二 —— 一五五、一六二

洋傘 三六四、三〇九 九六六 三六三、三四三 三百七十七倍餘

青銅器 二一三、五二一 九九、二五七 一一四、二六四 二倍餘

玻璃器類 一三八、八九三 —— 一三八、八九三

陶磁器類 一、四八〇、四一一 五四三、七六八 九三六、六四三 二倍七分餘

石炭 二、二〇七、六一〇 三九五、三八 一、八一二、二二二 五倍五分餘

綿氈 一七七、四四六 三、二〇四 一七四、二四二 五十五倍餘

帽子 一六、八四二 八〇六 一六、〇三六 二十倍八分餘

羽二重及絹布類 四、四三四、一七八 二二、七二六 四、四一一、四五二 百九十五倍餘

絹手巾 三、四九四、四一六 —— 三、四九四、四一六

生絲 三六、二六九、七四四 一六、一八三、五四九 二〇、一八六、一九五 二倍

生銅 二、四九九、七四三 三五四、一六八 二、一四五、五七五 七倍餘

米 四、一六二、四五二 一、〇〇〇、九四一 三、一六一、五一一 四倍餘

寒天 五八一、二一八 二四二、四〇五 三三八、八一三 二倍

昆布 八一八、八四一 二四四、六六九 五七四、一七二 三倍餘

右輸出の數も二倍半の増加は全體のことゝして姑く擱き、屏風の十六倍七分より何百倍何千倍のものを擧れば、帽子、綿氈、羽二重、絹布類、洋傘、マッチ、地蓆類等にして、何れも皆日本人の手に成り器械に成りしものゝみ。就中帽子、洋傘、マッチの如きは單に輸入品のみを用いたりしに、今は内に餘りて外に出すもの甚だ少なからずしてその進歩も亦速なり。又從前生絲は輸出すれども絹布織物は迚も覺束なしなど云いしものが、近年、羽二重、縮緬、手巾等の製造輸出は非常の額に上り、又その巧拙如何を問えば、西陣の織物には佛蘭西のゴブランを壓倒するものあり。又洋紙、紡績絲の如きは内國の需要に追われて未だ大に輸出するの場合に至らざれども、外國品の輸入を防ぐは甚だ難からず。その海外に出るの日も遠きにあらざるべし。殊に紡績業の進歩發達は兩三年來の出來事にして注意の價あるものなれば、是れは別にその事情を記すべし。日本國の富源に富み國人の工藝に適するは隱れもなき事實にして、前記貿易上の好成跡も全く之に由來するものなりと云わざるを得ず。唯開國以來、一時その事業の趣を變じたるが爲めに方向に迷う折柄、これを指揮する者なくして力を伸ばすことを得ず。恰も勇卒はあれども指令官を得ずして折角の勇武を空うしたるの有樣なりしかども、近年は職工の輩も知らず識らずの間に文明の新事業に慣れ、且技師の教育も漸く效を奏して實地に用うべき者少なからず。之に加うるに、資本家は漸く資産を積んでその用法を求るの時節、工業起らざらんと欲するも得べからず。工業漸く盛なれば商業の法も亦整理し、我日本をして東洋特色の實業國たらしめ、西洋諸國に對して優勝劣敗を爭い毫も讓るなきは我輩の敢て保證する所なり。開國以來、今日に至るまで西洋人が我實業社會の事情に疎きは無論にして、是れは姑く恕すべしとするも、恕すべからざるは内國の士人流なり。この輩は生來實業を度外視して曾て實驗もなく履歴もなき身分にてありながら、天下の言論は恰も之を專有して朝野の間に勝手次第の空論を吐き、時としてはその空論の發して實際の法律と爲りしことさえ少なからず、沙汰の限りと云うべし。實業に關してこの輩の云う所を聞けば、日本の職工は無識にして物質の強弱を知らず、故に之に文明の器械を授けても往々その取扱を誤りて物を毀損すること多しなど、何か學者らしく理窟を述る者あれども、何ぞ料らんこの學者こそ習慣の強弱を知らざる者なれ。日本人が突然新奇なる西洋流の器械に逢うてその用法を誤ることはなきに非ず、如何にも事實に相違なしと雖も、その然る所以は唯始めて之を見て之に慣れざるが故のみ。田舍漢がピストルを容易に弄び、動もすればその筒先を人の方に向けて憚る色なく、時として大事變を演ずることあると同時に、西洋人が日本刀を取扱うにその不器用にして危きこと云わんかたなし。切先を人に向くるなどは何とも思わず、甚だしきは自から指を以て名刀の利鈍を試み、手先の狂うて思い掛けなき怪我をする者さえあり。一見西洋人は愚にして刃物の切味を知らざる者の如くなれども、決してその人の愚なるに非ず、生來刀劍の取扱いに慣れざること日本人のピストルに於けるが如く、その物を知らずしてその用法を誤るのみ。東西の人に智愚の別なきはこの一事に證しても明に知るべし。又一證を示さんに、徳川時代に海陸軍を創設せしとき、銃砲その他の鐵製器械類に錆を生ずること甚だしく、陸軍營内の不整理、不清潔、軍艦の不掃除、不始末、塵埃汚穢は積んで山を成し惡臭鼻を打つの有樣にて、當時世の中に穢きものは裏店の總雪隱に海軍所の軍艦ならんなどゝ戲るゝ者さえありしその海陸軍が、今日となりては百般の紀律整頓して海外諸國に愧じざるのみか、清潔の一點に於ては殆んど世界中に冠たるが如し。等しく是れ日本國人にして三十年前の無樣と今日の整頓と實に別世界の如くなるは何ぞや。唯慣るゝと慣れざるとに由るのみ。海陸軍にして斯の如くなれば、他の民間の事業に於ても亦斯の如くならざるを得ず。今の文明流の新事業中には尚お不紀律のものもあらん、技師職工の未熟なるものもあらん、理事者の監督に不行屆もあらん、之を一見して隔靴掻痒の感あるべしと雖も、唯これに假すに數年を以てすれば、萬般の秩序整然たるべきは毫も疑を容れず。海陸軍の先例に於て掩うべからざるなり。然かのみならず、我日本國人が特に商工事業に適して他の得て爭うべからざる次第を述べんに、第一、日本國人は性質順良にして能く長上の命に服し、正直にして盜心少なし。是れは數千年來の宗旨世教の然らしむる所ならん。家に婢僕を使用し旅行して宿屋に止宿するも紛失物の稀なるは日本の特色なるが如し。他推して知るべし。文明の進歩に從い簡を去て繁に移るは世態の常にして、人心亦舊の如く簡單なるを得ず、隨て樣々の害惡も續發すべし、誠に是非なき次第なれども、兎に角に今日までの事實に於ては之を評して道徳の民と云わざるを得ず、最も商工業の使役に適する者なり。或は今後その心事の腐敗を豫防するに付ては、自から説あれども是れは他日に讓り、第二に、日本國人が清潔を重んずるの一事は、商工の事業上より見て容易ならざるものと認めざるを得ず。凡そ衣食住の清潔に心を用いて自から忘るゝこと能わず、既に第二の天性を成して動かすべからざる者は世界中唯日本人ありと言うも過言にあらざるが如し。東洋に居て他の東洋諸國の正反對のみならず、西洋諸國人もこの一點に於ては讓る所なきを得ず。扨清潔の一事は身に可なり家に可なるのみならず、之を實業に及ぼして自然にその業の秩序を助るの效力に至りては更に大なるものあり。實業者の宜しく注意すべき所なり。總て清潔の旨を達せんとするには、物の潔不潔を區別して之を混雜せしむべからず。家にて云えば、食物食器を洗う桶にて足を洗うを許さゞるのみか、足盥と米洗桶とは相隣することも得べからず、手拭を以て茶椀を拭くべからず、布巾と雜巾とは用を殊にして相互に觸るべからず。是等の細件を計うれば實に枚擧に遑あらざる區別にして、その區別は教えずして國民の天性に備わり、如何なる貧民勞働者と雖も之を犯す者なし。區別の心は即ち秩序の由て生ずる所の本源にして、その秩序は諸工場、商店に於て唯一無二の要用なり。古來今に至るまで、職人の仕事場又は大家の商店を支配する者が頻りに掃除の事を喋々して不潔を許さゞるは、本人は夫れと心付かざるも自からこの秩序を重んずるの意に出たることならん。或は某商店の烟草盆に唾壺の不潔なるを見て、その家の滅亡を卜したりとの奇談さえあり。奇談奇にして唯一笑に附すべしと雖も、又以て事の一斑を知るに足るべし。左れば實業に秩序の大切なること斯の如くにして、我國民には恰も天賦特色の要素あり。我輩が之に望を屬するも決して空想に非ず。印度その他東洋國人の夢にも思い到らざる所にして、彼等が今後如何に叱咤鞭撻せらるゝもこの特性を得るは到底望なきことゝ知るべし。即ち彼等は文明の實業に適せざる者なりと敢て爰に斷言して爭う者はなかるべし。

我國民が能く實業に適するの性質は、前記の如く之を事實に徴して違うことなし。又我民間の事はその發達甚だ遲々たりしかども、近來に至りては稍や見るものなきにあらず。亦以て日本人の技倆如何を明にするの證據なれば一通りその事情を語らんに、方今全國の各處にある紡績會社三十七社にして錘數四十四萬七千三百七十六、綿を費すこと七千八百四十四萬三千斤餘とす。明治二十年には錘數僅に七萬六千六百餘、綿の消費高七百九十一萬五千斤なりしものが六箇年の間にこの進歩は著しきものなり。その然る所以は、近年銀價下落の影響する所もなきにあらずと雖も、我國人が次第に文明事業に慣れたる證として見るべきものなり。知見能く人の勇氣を生ずと云えば、事物を知らざるこそ臆病の本なれ。開國以來、我人民が西洋流の新事業を知らざるや久し。之を知らざるが故に、偶ま之を見ても迚も及ばぬことゝ觀念して常に差控居たりしかども、之を見ること漸く密にして漸く之に近づき、遂に思切って之に着手すれば、俗に云う案ずるよりも産むに易しの諺に洩れず、實に譯もなきことなり。即ちこの紡績事業の如き着手の初め多少の困難ありしにも拘わらず、今日と爲りては萬般の仕組整頓して、技師職工の熟練、理事者の監督注意、總て遺憾あることなく、印度の紡績事業の如きは日本に對して遙に三舍を讓ると云う。即ち日本と印度と國質を殊にし習慣を殊にし、就中、工場内の清潔秩序の一點に於て大に相違する所のものあればなり。左ればこの事業に就て我國人の眼中既に印度なきのみならず、世界に高名なる英國の紡績にても永く日本に抵抗することは覺束なかるべし。今歐米及び東印度に用る錘の大數を示さんに駐在大越領事、明治二十五年十一月十九日付報告に據る)、

年度 英國 大陸諸國 北米合衆國 東印度 合計

千八百八十三年 四二、〇〇〇、〇〇〇錘 二二、五〇〇、〇〇〇錘 一二、六六〇、〇〇〇錘 一、七〇〇、〇〇〇錘 七八、八六〇、〇〇〇錘

千八百八十四年 四三、〇〇〇、〇〇〇 二二、六五〇、〇〇〇 一三、二〇〇、〇〇〇 一、九五〇、〇〇〇 八〇、八〇〇、〇〇〇

千八百八十五年 四三、〇〇〇、〇〇〇 二二、七五〇、〇〇〇 一三、二五〇、〇〇〇 二、一四五、〇〇〇 八一、一四五、〇〇〇

千八百八十六年 四二、七〇〇、〇〇〇 二二、九〇〇、〇〇〇 一三、三五〇、〇〇〇 二、二六〇、〇〇〇 八一、二一〇、〇〇〇

千八百八十七年 四二、七四〇、〇〇〇 二三、一八〇、〇〇〇 一三、五〇〇、〇〇〇 二、四二〇、〇〇〇 八一、八四〇、〇〇〇

千八百八十八年 四三、〇〇〇、〇〇〇 二四、三八五、〇〇〇 一三、五二五、〇〇〇 二、四九〇、〇〇〇 八三、四〇〇、〇〇〇

千八百八十九年 四三、五〇〇、〇〇〇 二四、八八五、〇〇〇 一四、一七五、〇〇〇 二、 七六〇、〇〇〇 八五、三二〇、〇〇〇

千八百九十年 四三、七五〇、〇〇〇 二五、四六〇、〇〇〇 一四、五五〇、〇〇〇 三、二七〇、〇〇〇 八七、〇三〇、〇〇〇

千八百九十一年 四四、七五〇、〇〇〇 二六、〇三五、〇〇〇 一四、七八一、〇〇〇 三、三五〇、〇〇〇 八八、九一七、〇〇〇

千八百九十二年 四五、三五〇、〇〇〇 二六、四〇五、〇〇〇 一五、二七七、〇〇〇 三、四〇二、〇〇〇 九〇、四三四、〇〇〇

とあり。世界中に紡績業の最も盛なるは英國にして、その資本の豐なるとその工業の巧なるとを以て殆んど他を壓倒して輸出の盛なるも亦他に比類を見ず。左の表は英國及び印度より輸出する綿絲の高を示すものなり。

英國ノ部 千八百八十三年 千八百九十年 千八百九十一年度 千八百九十二年

〔古〕大陸一四一、八〇〇、〇〇〇封 一二三、七〇〇、〇〇〇封 一一八、二〇〇、〇〇〇封度 一二、〇〇〇、〇〇〇封度

東印度 四五、三〇〇、〇〇〇 五二、五〇〇、〇〇〇 五三、二〇〇、〇〇〇 四四、八〇〇、〇〇〇

日本及支那 三三、五〇〇、〇〇〇 三八、一〇〇、〇〇〇 二八、〇〇〇、〇〇〇 三〇、四九〇、〇〇〇

土耳其及埃及 二三、〇〇〇、〇〇〇 三三、六〇〇、〇〇〇 三四、五〇〇、〇〇〇 三四、九〇〇、〇〇〇

その他諸國 三、二〇〇、〇〇〇 一〇、五〇〇、〇〇〇 一一、六〇〇、〇〇〇 一二、〇〇〇、〇〇〇

合計 二六四、八〇〇、〇〇〇封 二五八、四〇〇、〇〇〇 二四五、五〇〇、〇〇〇 二三三、一〇〇、〇〇〇

印度ノ部 千八百八十八年 千八百八十九年 千八百九十年 千八百九十一年

日本 五二、六九七俵 六二、二二〇 三七、七二二 一〇、九三九

支那 二三四、〇七一 二五四、六九七 三二五、〇六〇 三六五、〇三八

合計 二八六、七六八 三一六、九一七 三六二、七八二 三七五、九七七

その輸出の盛なるにも拘わらず、我國に外國綿絲の輸入を減じたることは、明治二十一年と二十五年とを比較して六百四十七萬九千餘圓の差を示したり。即ち我民業の外國に拮抗し得るの明證にして、當業者の説に據れば、啻に拮抗して輸入を防ぐのみならず、漸く海外に輸出して必ず利する所あるべしと云う。その計算の大概を聞くに、

上海に輸入すべき綿絲に就き日本と印度と比較

一 印貨三十二留製造工費

この銀貨十四圓八十八錢六厘)、この工費は千八百九十年、孟買エドワード・サウンスミル考課状

一 金九圓五十錢 日本十六番手綿絲四百封度一梱製造工費雙方相對して正味の工費は日本の方低廉なること五圓三十八錢六厘なれども、この綿絲を製造する爲めに孟買より日本まで原綿を引取る諸掛四圓六十錢、同輸入税一圓二十錢、合して五圓八十錢なり。之を工費の九圓五十錢に加うれば十五圓三十錢と爲りて、印度に及ばざること四十一錢四厘。

一 金三圓六十三錢二厘 孟買より上海まで運賃、保險料その他諸掛

一 金六圓四十八錢七厘 日本より上海まで運賃、保險料、輸出税その他

その内三圓五十錢は、輸出税なるが故に、假りに無税とすれば六圓四十八錢七厘の内より三圓五十錢を引き二圓九十八錢七厘と爲りて、孟買絲に勝つこと六十四錢五厘なり。又孟買絲を日本に輸入せんとするには、

一 金三圓八十六錢三厘 運賃、保險料その他諸掛

一 同三圓五十錢 輸入税

合計七圓三十六錢三厘、是れは前記の工費外に要するものにして、尚おこの他に日本着荷の上賣捌手數料等もあることなれば迚も輸

入の道なしと知るべし。

右の如く印度と日本と比較して工費の正味は日本の方遙に低廉なれども、孟買より原綿引取の諸掛并にその輸入税を計算すれば却て少しく高し。又雙方よりその製絲を上海に向て輸出せんとするときも、我輸出税の爲めに少しく孟買絲に及ばざるのみ。左れども、印度製の絲を日本に輸入するは迚も叶わざることにして永く斷念せざるを得ず。故に現今の有樣を概評すれば、雙方共に睨合いの姿を爲し、上海を競爭の土俵場として、日本は尚お未だ十分に乘出すことを得ざれども、今にも我海關税法を改むるか又は他に少しく事情の變動あるときは、日本の輸出を以て印度を壓倒するは決して難事にあらざるべし。

又細綿絲の製造は英國得意の業にして日本には未だ之に着手する者なけれども、是れはその事の難きが爲めに非ず、日本には細き絲の需要少なくして之を製するも利益薄きが故に姑く他に讓るのみ。いよいよ我製絲に輸出の道を開くときは、絲の細大に論なく英國と競爭するに困難はなかるべし。多年來、熟練に熟練を重ねたる英國の事業に對して、新進の日本人が競爭せんとは聊か不審なりとて疑うものもあらんかなれども、事の實際に就てその情を詳にしその數を計うるときは、果して疑うべきの點なきを了解すべし。工場の秩序事務の整理は我國人の最も重んずる所にして、次第に慣るゝに從て次第に緒に就き、之を英國の工場に比して大なる相違なき上に、我國特有の利益は、工場の事業に晝夜を徹して器械の運轉を中止することなきと、職工の指端機敏にして能く工事に適すると、之に加うるに賃銀の安きと、この三箇條は英國の日本に及ばざる所なり。彼國の工場にて作業時間は毎〔日〕十時間にして、夜は器械の運轉を止め職工も十時間を働くのみ。日本は晝夜二十四時間打通しに器械を運轉して、その間凡そ二時間を休み正味二十二時間を二分して職工の就業は十一時間なり。故に紡錘一本に付き一年の綿花消費高に大なる差を見るべし。即ち、

英斤

日本 二二〇

英國 三五

歐洲大陸諸國 六八

米國 六八

東印度 一三四

右は固より平均の大數を示したるものにして精密なる計算にあらず。且英國の三十五英斤は甚だ少なきに似たれども、是れは同國の特色として專ら細絲の製造なるが故に然るのみ。故に印度と日本との比較を穩當なりとして、正しく倍餘の差あり。即ち我徹夜業の成跡を見るべし。且晝夜を徹して器械の運轉を止めざれば、石炭を空費するの憂なきは技師の知る所にして、是亦年中に少なからざる利益なり。或は斯く間斷なく器械を勞すればその保存の期限短しとの説あれども、毫も意とするに足らず、夜分を休息して三十年間保存すべき器械が一倍の運轉するが爲めに十五年にして消磨し盡るも、その間に利する所の利益は更に新器械の價を償うて餘りあるべし。又日本と諸外國と職工の賃銀を比較すれば驚くべき相違あり、大越領事報告中の概略に、 米國及び歐洲諸國にて紡績又は織物業に使役せらるゝ職工の一日分最高賃銀左の如し。

志片 志邊

コンネクチカツト 男 七四 、〇 デヰレウエー 女 三六、〇 メーン 男 五一、〇

紐育 男 七五、〇 北カロリナ 女 一一、五 南カロリナ 女 二八、五

佛蘭西 男 四〇、〇 獨逸 男 三八、〇 英國 男 六〇、〇

伊太利 男 三〇、五

右の割合を日本の紡績職工の賃銀男女平均一日凡そ英貨七片なる者に比すれば、紐育の最低賃銀にても尚お日本の八倍以上、英國は同十倍以上、又最低廉なる伊太利にても日本の五倍餘に當る。云云。とあり。左れば我國の紡績工場の始末は印度などに比較して格別に立上り、英國その他に讓る所なきのみか一種の便利ある上に、職工賃銀の低きこと右の通りとあれば、前節に云える英國と競爭して必ずしも後れを取らずとの立言も、空想にあらざるを證すべし。故に我輩はこの事業のますます發達して盛ならんことを祈る者なれども、世間一種の論者が之に對して危懼の念を抱くこそ氣の毒なれ。論者の言う所に從えば、敢て今の紡績業を非難するに非ず、唯一時の勢に乘じて頻りに事業を擴張したらば、限りある日本の人口に向て限りなき綿絲を製造し、遂には供給過多の爲めに大なる失敗を取ることもあらん、先ず先ず控目にする方然るべしとて、所謂老婆の深切なれども、憐むべしこの老婆は文明の商賣に外國あるを知らず、一切萬事、自國内の數を數えて進退を謀り、今日尚お鎖國の根性を脱せざる者なり。日本の紡績を以て單に日本國人のみの用に供せんとならば前後に注意して用心も至極尤なれども、日本外に市場こそ多けれ、自國用に餘るものは持出して賣るべし。否な海外の販賣を主にしてその餘る者内に用うべきのみ。試に見よ、英國の錘數は四千萬と云う。何を目的にして斯る大業を企てたるや。その製品の販路は唯外國あるのみ。然るに我錘數は僅に四十萬、正しく英の百分一なるに、今より用心せよ控目にせよとは一言これを評して臆病なりと云わざるを得ず。毎度我輩の云う如く、之を知らざるこそ之を恐るゝ本なれ。世間に多き老婆論者は實業の素人にして、その知見の乏しきにも拘わらず能く言論を弄び、その心配深切の餘りには遂に他の失敗せんことを苦勞してその發達の道を妨ること多し。假りに論者の言に從い、今の新事業者を愚なり輕卒なりとするも、錢の貴きを解して自から守るの謀は却て傍觀の論者よりも深し。我輩は事業家と共にその入らざるお世話を謝絶する者なり。

以上の紡績談は稍や長くして讀者を倦ましめたる程なれども、この談は本編の目的にあらず、唯我實業發達の一例として示したるまでなり。尚おこの他に近年商工業の有樣を記せば記すべきもの枚擧に遑あらず、就中前の貿易表に載せたる如く、製造品の輸出に著しき増加を見たるは最も喜ぶべき現象にして、我日本の製造國たり貿易國たるべきを保證するものなり。開國の初めには我國民も一時の大變動に膽を奪われたる樣にして方向に迷い、利すべきの利を空うしたることも少なからざりしかども、人心漸く定まりて百事漸く緒に就くに從い、始めて國民の本色を現わして今は世界文明の諸商賣國と伍を爲し、共に世界の利益を共にせんとするの端緒を見たるが如し。既に利を共にするとあればその間には競爭も生ずべし。競爭して成ることもあらん、敗るゝこともあらん、今日の豫想齟齬して失望すると同時に、意外の僥倖を得て自から驚くこともあらん。一見或は危險なるが如くなれども、人間萬事險を冒さゞれば功を爲し難し。米國の水師提督ペルリが日本に來りしも米國人の冒險にして、我日本が之に應じて國を開きたるも日本人の冒險なり。王政維新も冒險なれば、廢藩置縣も冒險にして、今の立憲政體の實行は正に冒險の最中なり。虎穴に入らざれば虎子を得ず。政治上に非常の危險を冒して平氣なる者が、實業上の運動を見て驚くの理由はなかるべし。兎に角に我製造國たり貿易國たるべきの事實を得てその空想ならざるを證する上は、國民運動の大方針は唯進むの一法あるのみと我輩の敢て斷言して躊躇せざる所なり。扨斯くと斷じて方針を定めたる處にて今後の實際を如何すべきやと云うに、我輩は先ず日本の無税港、即ち海關税全廢を主張する者なり。抑も我海關税は大凡そ五分を標準にしたるものなれども、實際は平均して三分に過ぎず。明治二十四年度の輸出入總額、一億四千二百四十五萬四千餘圓にして、輸出入税及び諸收入を合して四百七十二萬三千餘圓、二十五年度同、一億六千二百四十二萬八千餘圓にして、輸出入税及び諸收入、五百六萬九千餘圓、即ち凡そ三分強なり。元來海關税の性質を緻密に論ずるときは、國の爲めに無より有を生ずるに非ず。國民が輸出税を拂えば民に損して政府に益するのみ。一國を一家として視れば金の持主を易るに過ぎず。輸入税とてもその税金だけは輸入品の價を高くすることなれば、是亦外國の輸入者より餘計の金を唯貰うに非ず、眞實正味の國益と名くべき性質のものには非ざれども、輸入品に税を課すれば兎角その品の入來を難澁にして、自然に自國内の製造を易くするの利益あり。製造業の未だ開けずして外國と競爭の見込なき國柄にては之を保護税と名け、貿易の路に恰も妨害物を横たえて自國製造の發達を助るものあり。自から臨時の經濟策なりと雖も、我日本國の製造業は前途の望に乏しからずして、保護税の必要なきは實業界の實際に示す所のみならず、假りに一歩を讓りて之を必要なりとするも、海關の三分税は果して保護の目的を達して由て以て内國の製造を庇蔭したることあるや否やと尋るに、我輩は先ず以てその事なしと答えざるを得ず。苟も保護と稱するからには實際目立つほどに税率を高くして始めて目的を達すべきに、品物の原價に付き僅に三分ばかりの餘計を拂わしめたりとて商賣上に感ずる所は甚だ輕くして、唯その手數の爲めに納税者と收税者と雙方の手間潰したるべきのみ。論より證據を示さんに、近年の輸入に洋傘、マッチ、メリヤス、セメント、紡績絲等を減じて鐵釘、卷烟草、繰綿等を増し、又内國品の地蓆類、絹布類、綿氈、洋傘、マッチ等、昔年曾て輸出せざりしものが次第に外出の道を開きたるは、毫も海關税に關係することなく、眞實自然の商況に由來したる結果なりとして爭う者はなかるべし。如何となれば、前後の税率同一にして輸出入の數には大變動を生じたればなり。左れば今日の海關税は内國の製造を保護するの實なければ之に保護税の名を下すべからず。唯一種の税源として年々五、六百萬圓の金を國庫に收るのみにして、酒税、烟草税、菓子税等に等しく、その業の禁止にもあらず奬勵にもあらず、苦情なく税を課すべきが故に之を課して金を取立ると云うに過ぎず。問題は唯錢の一點に在るのみ。事實果して然るに於ては、我輩は更に規模を大にして進取の方針に向い、直に些々たる税源を求めずして先ず國の大富源を開き、課税の如きは隨時適宜の方法に從て國用に充んことを欲する者なり。即ち我諸港を放開して輸出入の關税を全廢し、外國品の出入を自由自在にして東洋一種の倉庫港と爲し、物品の入るを咎めず出るを問わず、その出入の間に我貿易の勢を進めて我國産物の出るを増し、我國民の利する所は殆んど底止する所なかるべし。例えば今の貿易の一億六千萬圓なるものが無税の爲めに倍して三億二千萬と爲り、人民がその貿易増額一億六千萬に付き間接直接に一割を利するとしても一千六百萬圓の利益あり。今の關税五、六百萬圓は物の數に非ざるを知るべし。唯無税港と云い自由貿易と云えば耳新らしくして奇なるが如くなれども、我輩に於ては之を思うこと久し。日本が亞細亞の一方に位し、その地理より觀察して東洋貿易の中心たるべき次第は、今を去る五年、明治二十一年六月、日本米國間の航路と題して一編を掲げ、又二十四年二月下旬、ニカラグワ運河と題して數日間の紙上に記したることあり。その要點を拔抄して之を次に示さん。

我輩の自由貿易の事を思うは一朝一夕に非ず、社友相會して毎度竊に利害を討論したることもあり。既に明治二十一年六月、日本・米國間の航路と題して一編を公にし、又二十四年二月ニカラグワ運河の事を記し、何れにしても亞米利加の地峽を横斷するときは、東洋貿易の形勢を一變して日本國に影響する所、容易ならざるべし云々の次第を陳べたるときも、その緒に就き自由貿易の論を論ぜんと欲したれども、時未だ熟せず或は却て人を驚かすのみにしてその效なからんことを察し態と差控えたりしが、今や世運の漸く進歩するに從い漸く實業社會の面目を改め、天下の人心皆外國の貿易に重きを置くものゝ如し。即ち我輩が始めて爰に自由貿易論を公にしたる所以なり。日本・米國間の航路と題したる論説中に、

米國東海岸の諸州より東洋に達する航路は今日に於て都合三線なり。その第一は、中央聯合太平洋鐵道を利用して桑港より太平洋を横切る者なるが故に、地理上の距離に於ては最も短しと云うと雖も、前日の紙上にも記したる通り、貨物の航路は常に賃錢の廉なる處を求めて里程の遠近には左まで關係せざるの理なれば、彼の太平洋鐵道も旅客往來の便を外にして貨物の運搬悉く之に依ることなきは明なり。第二は、南亞米利加に沿うてケープホルンより斜に大平洋を航し、南北の兩半球に跨りてその線路を取る者なれども、斯ては距離遠くして極めて交通に利ならざれば已むを得ず〔大〕太西洋を渡り、地中海、印度海より東洋諸國に通ずるの路を求め以て貨物の運搬を營むを第三線路なりとす。地理上の距離に就て之を言うに、

第一線 中央聯合鐵道線

海里

紐育、 桑 港間 三、四〇〇

桑港、 横濱間 四、七五〇

合 計 八、一五〇

第二線 紐育よりリヴアプールまで太西洋の距離 三、〇〇〇

リヴアプール・横濱間 一二、〇〇〇

合 計 一五、〇〇〇

第三線 紐育、サンロツク岬間九、〇三三

サンロツク岬・角岬間三、四四六

角岬、横濱間三、三四五

合 計 一五、八二四

右の内、第一、第二の兩線は實地の航程を示したる者なれども、第三線、即ち南亞米利加の沿岸を一週するの航路は我輩その海里數を暗んぜざるが故に、各所の經緯度に據り弧三角術を以てその里程を割出し、暫らく之を以て海里の數に充てたりと雖も、この數は數學上、球面に直線を畫て算用したる者なれば、實地路程の之に較べて遙に多かるべきは論を俟たず。 左れば日本・米國間の交通に就て論ずるも、その地理上の距離は右の如くなるに拘わらず、例えば爰に米國東海岸の諸州より器械類を日本に取寄するの場合ありと定めて、運送の路筋を如何にと云うに、第一の鐵道線路は里程こそ短けれ、運賃に押されて商賣に引合わざる次第なれば、已むを得ず之を第二、第三の兩線に托するは今の實際に於て然りとする所なり。

然れども、爰に數年を出でずして日本・米國間の交通忽ちその趣を變ずるの出來事あるべしと思わるゝは外ならず、彼のパナマ掘割工事にして唯落成の年月に多少の遲延はあらんなれども、左るにても尚お三、五年を出でざる者とすれば、日本・米國間の貿易も同時に之が爲め非常の影響を受けざるべからず。試に紐 育・横濱間の距離に就て之を言うに、

紐育よりパナマまで 一、八〇〇海里

パナマより桑 港合計九、七〇〇海里

桑港より横濱まで 四、七五〇

パナマより横濱まで直航する者として弧三角の距離にすれば六、〇〇一

故に紐育・横濱間直航線路七、八〇一

右の新線路全く開くる者とすれば、日本・米國間の交通線は俄にその數を増して四線と爲ると與に、共にこの新線路は貨物運送の點に於て悉く他の諸線を壓し、更に又歐洲の貨物にして今日までスヱズ運河を通行し居たる者までも引附け得るの望みなきに非ず。何となれば、英國より地中海を經由して我横濱に來る迄のその距離一萬二千海里と、太西洋よりパナマ運河を通過して日本に達するまでのその距離一萬二千七百海里とにては、左して相違もなきのみならず、後ちの一萬二千七百海里は迂曲して故さらに桑港に寄泊するの線路をも込めたる者なれば、パナマより直航のその距離には更に著しき減少あるべければなり。即ち弧三角術に依て計算するに、パナマ・横濱間の里程は前記の如く六千一海里、リヴアプール・パナマ間の里程は三千八百三十四海里、合計尚お九千八百三十五海里に踰えず。之を地中海より中央亞細亞の屈曲極まりなき沿岸を航する一萬二千海里の行程に較ぶるに、正に二千百六十五海里を少くするの道理なれども、是れはたゞ數學上より推測を下したるの計算たるが故に、實地の里程は之よりも多きこと無論なるべき話しとして、尚お一萬二千海里に出でざるは我輩の竊に信ずる所なり。距離の關係斯く逆まに變化するの曉には日本・米國貿易の状態も亦全變すべきは素より、更に一歩を進めては日本・歐洲間の商賣にも大影響を來すべきこと必然ならんなれば、日本の商人は今に及んで豫めこの變に應ずるの用意あること大切の次第なるべし。

パナマの談漸く息むに從て續て起りたるはニカラグワの事にして、明治二十四年二月、我輩は又これに就て所見を記したり。その一節に、

南北亞米利加の中間なる地峽を開鑿して、從來亞米利加の東岸より太平洋に航するに南亞米利加の南端なるケープホルンを迂回するの遠路を避け、太西洋より直に太平洋に達する捷徑を開くの計畫は數十年來西洋諸國の人々が心を用いたる處にして、一昨年中、半途にて中止したる彼の有名なるパナマの運河の如きも、即ちこの目的を以て佛人レセツプ氏が着手したる所なれども、之より先き北米合衆國に於てもニカラグワ運河の企あり。この企も矢張り中央亞米利加の地峽を開鑿し、東岸より西岸に達する運河を開くの計畫なるが、近年に至りてその計畫愈々熟し、既に米國政府及びニカラグワ政府の許可を得てその事に着手し、今後五年間を期して落成するの見込なりと云う。その詳細は過日來の本紙に記載したる米國カピテイン・テイロル氏が地學協會に於てしたる演説の筆記に徴して、讀者の既に知了する所ならん。我輩は一個人の所説を聞て忽ち之を信ずるものに非ざれども、今回の事たる米人が數十年間の苦心計畫を實にしたるものにして、既に米國ニカラグワ兩政府の免許もあり、米國大統領の教書にも明言したる程の次第なれば、その計畫の確實なるは疑なきものゝ如し。抑もこの運河にして愈々落成の曉には世界の面目を一新して、東西の通商貿易に非常の變化あるは勿論なれども、東洋に於て第一にその影響を受くべきものは我日本國なりと云わざるを得ず。從來西洋諸國と我國との航路は、世人の知る如く地中海より蘇士の運河を通過し、印度、支那等、東洋の諸國を經て始めて日本に達し、又米國の東岸よりするものも多くはこの航路に由るの例にして、日本は東洋重要の地位に在るにも拘わらず恰も航路の極端に位して、西洋諸國と直接の交通なきが故に通商上の不利極めて大なりし事なれども、ニカラグワの運河落成すれば米國は申す迄もなく、倫敦、リバープールおよびハンボルグ等の諸港より東に航するものは、是非とも新運河を利用し太平洋の航路を取るを以て便となすが故に、日本は恰も東洋貿易第一の埔頭たる地位を占めて全く從來の關係を反對するに至り、隨て貿易上の變化も容易ならざる者あれば、今日之に對する我國人の用意は一にして足らざれども、その用意は云々。

右の記事は今日の實際にして、パナマなりニカラグワなり何れにしても亞米利加の地峽を横斷して歐米より東洋の航路を便にし、我日本國が第一の衝に當るべきは疑を容れず。左れば我貿易商賣は單に内に發達するのみならず、外より促す所の勢も亦極めて有力なるを知るべし。航路の變化と共に東洋貿易の形勢を一變して、日本の諸港に外國船の入來はその數を倍し、而して諸港は既に已に無税の自由貿易港なりと云う。歐米諸國の商船が支那その他東洋の國々に向て輸入せんとする荷物も、便利の爲め取敢えず日本の港に陸上げして全面の商況を視察し、機を見て更に日本より諸方に積出すことならん。港口の繁昌想い見るべし。斯く繁昌すれば、その出入するものは唯外船外品のみに非ず、日本品の輸出も共に増加して國内の製産を促がし、或は試に意外の物を持出して意外の利を得ることもあらん。外國貿易の影響は深く内地の隅々にまで染渡りてその利害を被らざるものなく、始めて我開國の眞相を現わして始めてその恩澤に浴することならん。既にこの盛況に至りて人民の富實を致すときは、國庫の需に應じて税を納ること甚だ易し。軍備擴張すべし、軍艦造るべし、砲臺築くべし、豈復た些々たる海關税などに依頼することを爲んや。我輩の目的は唯進んで國の大富源を開き、國民をして一夫も手を空うすることなく、心身あらん限りの力を勞してその勞力に衣食せしめ、以て自から利し又他を利し、世界萬國の人と共に天與の幸福を全うせんと欲するのみ。人或は云く、我國を開て無税港にするは謂れなく外國人に便利を與うるものなり、今や國家の難問題は條約改正の一事に在り、之を改正して居留地の治外法權を撤去せんとするには、勉めて外人の便利を少なくして自から治外法權の不利を悟らしむるに在り、然るに我れより先んじて大切なる税權を放棄しますます彼れの利益を助るは、敵に糧を與うるに異ならず云々と論ずる者もあらんなれども、我輩は今日に至りて條約改正の事を深く意に介せざるものなり。本論に主とする無税港の案は、外國人の爲めに非ずして日本の利益の爲めにするものなり。海關税を置くの利不利は、自國と外國とを比較し製造事業の盛衰如何を詳にして判斷すべきことなり。然かるに近年、我が事業は唯進むの一方のみにして退くの色を見ず。實業全體の規模に於ては我國の今日尚お未だ西洋の先進國に及ばざること遠しと雖ども、事の一局部に就て見れば必ずしも先後あるに非らず。之を譬えば海軍の如し。英佛の海軍その規模大にして日本の企て及ぶ所にあらざれども、軍艦一艘と一艘と相對するときは我が軍艦の力決して彼れに壓倒せらるゝものに非ず。我及ばざる所は唯軍艦の數に在るのみ。故に製造業又商賣法に於ても日本の小規模は固より彼國の大組織に敵すべきに非ず。この點に於ては我輩は甘んじて我小なるを自白すと雖も、之を我國質に訴え我國民の氣風技倆に徴し、局部と局部と相對して競爭恐るゝに足らざるの理由又事實を得たる上は、最早や躊躇すべき時節に非ず。諸港を放開して東洋の貿易國と爲し、入るも出るも自由自在にして、國民は啻に内に運動して衣食を安くするのみならず、外に羽翼を舒して生活を廣くするの道あるべし。兵馬の上に於て外國を侵略するが如きは言うべきことにあらざれども、商賣上には海外の諸國を侵して之を我領分にするこそ貿易國の本意なれ。例えば隣國支那の如き、その通商の權は恰も西洋國人の執る所なれども、我れより進んで之に參じて之と爭うこと決して難事に非ず、我實業家の夙に注目する所にして、今日の實際に着々見るべきものあり。啻に隣國のみならず、我郵船、商船の航路漸く進むに從い、西洋、南洋、行くに易く、我海員にその人多くして我商家にその資本乏しからず。斯の如く貿易の區域を擴張して内外共に自由に運動するに至り、今の所謂居留地は如何すべきや。外國人は尚お舊時の小天地に蟄居し、三十年來の慣手段に從てその本國人と日本人との中間に處を占め、一歩も内地に入らずして坐して仲買の業を營まんとするか、唯是れ籠の中の鳥に異ならず。春天の百鳥は自由にこう翔して香餌を求め、復た他の籠を顧る者なかるべし。居留の外客頑固なりと雖も、獨りこの寂寥無商賣には堪うべからず。即ち彼等が自から進んで治外法權の撤去を求るの時なり。吾々日本國民は外人を惡むに非ず忌むに非ず、共に日本固有の法律に從て共に日本國土に居らんと欲する者なれば、悦んで之を容れて生活を與にすべし。若し或は尚お日本の法律を不便利なり不安心なりとして居留地の舊に戀々するか、百年も千年もそのまゝに捨置くべきなれども、外人愚ならず貿易商賣上の利害を見て忽ち節を改め、我法律を守り我習慣に從うべきは我輩の萬々保證する所なり。既に近年内外取引の次第に増大するに從い、外國品の輸入に付き代金手形の受授法又その裏書の有效無效よりして、日本商人がその品物の買入を拒んで外商の困却する事例などもあるよし。詰り居留地の制は外國人の爲めに商賣上の不利にして、彼等の永久に堪ゆべきことにあらず。居留地を廢すれば治外法權も共に廢して、條約改正の目的は既に達したるものなり。改正論喋々するに足らざるなり。又頃日は條約改正に附帶して外國人の内地に住居するを好まざる者あるよし、至極窮窟なる議論にして我輩の贊成せざる所なり。畢竟この種の論者は我實業の大勢を餘處に見て頻りに人民の不能無氣力を聲言し、身躬から進んで商戰の衝に當るの覺悟とてはなくして、却て他人の爲めに入らざることを心配する者と云うの外なし。尚おその利害論は之を他日に讓る。

實業の發達と共に器械の用法も亦盛なるべきは論を俟たず。日本國民の心優しくして風致意匠に富み、その手穎敏にして細工に巧なるは世界絶倫の長所なれば、ますます之を養うて百般の工藝美術を進むべきは今更ら云うまでもなき所なれども、文明の事業は單に手端の藝術のみに依るべからず。稍や規模の大なるものに至りては、器械を用るに非ざれば及ばざることゝ知るべし。抑も從前の器械に用いたる動力は專ら蒸氣のみにして、一切の作業社會を支配したることなれども、文明の進歩は蒸氣に安んずるを得ずして、時として之に代るに電氣を以てし又その電氣を起すに蒸氣力を用いしものが、近來は蒸氣を廢して水力を代用せんとするに至りしこそ由々しき出來事なれ。電氣應用の細論は之を他日に讓り、西洋諸國にては水力電氣の議論漸く頭角を現わして、既に之を實用に試み又試みんとするもの甚だ少なからず。就中獨逸及び米國の如きはその率先者にして、今日までの試驗に好結果を得ざるはなしと云う。當初は瀑布等の水力を以て電氣を起すも、その起りたるものを遠隔の地に導き移すの法なきに困難したりしかども、學問上の工風を凝らして今はその困難も去り、苟も爰に河の急流又は瀑布あればその水力を利用して非常の電氣を起し、電線に傳えて數十百里の遠方に移し、以て動力を發して器械を運轉すべし、以て光を放て暗を照らすべし、以て熱を起して物を温め物を燒くべし。深山幽谷、一條の瀑布を捕えて人間世界身邊の實用を爲さしむるものと云うべし。今を去ること三十餘年前、日本の一士人が荷蘭に在りしとき、同國の或る學者と談話の語次、日本の地理地形の事に及び、我國の河川は急流多くして船の運送に便ならず、その河源の山々には無數の溪流瀑布、これを詠めて景勝には相違なけれども、更に人間の用を爲さず云々と語りしに、學者先生は荷蘭人のことなれば、生來自國にて急流瀑布など目撃したることもなく唯驚くばかりなりしが、稍や暫くして貴國に左まで多きその瀑布に水車を仕掛け巧に之を利用したらば、蓋し萬を以て計うる馬力を生じて日本全國を動かすに足るべし、瀑布決して無用にあらず、荷蘭人の身に取りては誠に羨ましき次第なりと言いしその想像は、唯尋常一樣の水車にして言う者も是れと定まりたる説あるに非ず、聞く者も同樣、唯一場の雜話に附し去りて仄に記憶に存するのみとのことなるが、今や文明の進歩に從い恰も三十餘年前の雜話を實にするの時節に到着し、水力を水邊に用いずして之を遠方に導くとは近時學問の賜と云わざるを得ず。左れば我國所在の急流瀑布は最早や無用の長物に非ざるのみか天與の至寶にして、永く之を閑却せしむるは天與を空うして人事を怠るものなり。殊に後進の學者中には電氣學に達して能く事に當るべき人物も少なからざれば、實業に志ある人は決して之を輕々に看過すべからず。頃日米國の學者某氏の話に、同國のモンタナ州に於てはミツスリー及びヱツロウストーン二大河の水力を利用して電氣を作り、州内一切の器械を運轉するは無論、從前の鐵道に蒸氣を廢し、馬車に馬を廢し、耕作に用る蒸氣機關車をも廢するのみならず、毎戸の臺所に烹燒するも室を温むるも夜を照らすも都て電氣を用い、一州を擧げて電氣の世界に爲さんとの計畫あり、その果して實行すべきや否や尚お未定なれども、目下差向きの故障は舊來の器械を變じて電氣應用の形と爲すその費用如何の問題に在り、又モンタナの西隣ワシントン州のスポーケンフヲールス府にては既にスポーケン瀑布の水力を變じて電氣と爲し、府内の電燈は云うも更なり、電氣鐵道の車も往來し、又右瀑布の近傍にては印刷器械、裁縫器械等小形のものに至るまでも水力電氣に運轉せざるはなしと云う、又機を見て直に之を捕るは米國商人の常にして、近頃バツフアロー府にて二十哩隔てたるナイヤガラの大瀑布より電力を導いて器械を動かすこと易しと聞込みたる故ならんか、コルネリアスヴァンダビルトは該府近傍の土地を買入るゝ最中なり云々と。日本にても一兩年來多少の企なきにあらず。古〔河〕川市兵衞氏の所有、足尾銅山その他にも水力電氣を利用し、箱根の湯本温泉場にも同樣の仕掛にて電燈を點じ、何れも好成跡を得たるよしなれば、實業界の有志者は決して怠慢すべき時節にあらず。世界の大勢より見て百年の後を想えば、歐洲諸國の中瑞西の如き山國にて、交通不自由の爲めに十分の工業を起すこと能わずして地形の打開けたる他の國人に利益を占められたるものが、水力電氣の一擧を以て利害を逆にし、急流瀑布の天然力を得ずして石炭の火力のみに依頼するものは到底山國の工費の廉なるに叶わずして、百般の作業次第に山邊に集るの日あるべし。我國の前途ますます多望なりと云うべし。尚お是等の事に付き云うべきもの甚だ多けれども、工業の細事情を語るは本編の主旨に非ず。唯電氣の利用論は目下發達の最中、日に月に面目を改めて人の耳目を驚かすその有樣は、在昔蒸氣力の利用を發明したる時に異ならず。殖産社會に於て實に至大至重の問題なるが故に、特にその大略を記して讀者の參考に供し、唯我國人をして世界の大勢に後るゝこと勿らしめんとするの微意のみ。

上來、文の長きを厭わずして開陳したるその大要を概して云わんに、我實業は開國以來久しく人に見捨てられて進歩甚だ鈍く、之を政事、學事等、精神上の運動活溌なるものに比すれば、實に不揃にして遙に前後したりと雖も、日本の國質は實業をして永く暗處に蟄せしむるものに非ず。漸く之に文明の要素を注入して生氣を與え、上流の學者士君子も漸く精神上の空論界を脱して實利益の實境に移り、漸く内の形勢を動かすの折柄、外より迫る世界の大勢はその刺衝殊に劇しく、復た舊時の工商をして日本流に安んずるを得せしめず。その事情を喩えて云えば、開國以來、我國人が西洋の軍艦銃砲を見て弓矢槍劍に安んずるを得ず、物理、經濟の書を讀んで漢書を見るの念を廢し、學醫の法術を聞て古〔方〕法家の藥を服するに堪えざるが如し。唯工商法の改革は少しく後れたるものなれども、既に西洋諸國の人に接し又その諸國に往來して共に世界の實業を與にして日本國中これに影響せられざるものなしとあれば、その改革は兵事、學事、醫事の改革に等しく、事の根底より顛覆して實業の新世界を開くべきは萬々疑を容れざる所なり。海軍の士官にして外國の語に通ぜず外國の地理を知らず、物理、經濟の學者と稱して洋書を解せず洋學者に詢わずとあれば、その用に適せざるは云うまでもなきことならん。然らば即ち商賣の士官たる貿易商人にして、外國の語を語らず、外國の風俗商況を知らず、學者に交らず、新聞紙を讀まざるも、共に實用に不適當ならん。工業家が器械を利用しながら物理を知らず、商人が需要供給の法則に從て手にその集散の事を行いながら、目に西洋の經濟書を見ざるも亦不都合ならん。唯今日までは因襲のまゝに世を渡りしことなれども、その實は漢〔方〕法醫の尚お開業して多少の病家を失わざるに等しく、迚も永久子孫の謀に非ざるや明々白々にして、日一日天下の時勢に迫られ次第に舊慣を棄てゝ文明の實業法に移るは、漢醫の次第に洋〔方〕法に歸するが如くならざるを得ず。即ち實業の世界、顛覆革命の時節なり。元來文明の實業法とて特に奇なるに非ず、その要を云えば、第一、智識見聞を廣くして内外の事情を詳にし、時勢の進退に注意して機會を空うせざることなり。何れも天凜の才能人爲の教育を要することなれども、その教育學問は深くして狹きよりも寧ろ淺くして廣きを貴しとす。商賣人に内外新聞紙の購讀を勸るもこの邊の主旨なり。第二は氣品を高尚にして約束を重んずることなり。約束の性質を云えば單に冷淡なる法律上の事にこそあれば、時としては徳義の範圍を脱し人を欺き人の虚に乘ずるの不義を犯しても違約の名を免かるべき場合なきにあらざれども、唯根性氣品の賤しからざるものありて始めて實業家の約束と云うべきのみ。第三は事物の秩序を正して成るべく規則に由りて進退し、主任者が方寸の謀を運らすその間にも自から犯すべからざるの範圍を設けて、自から之を犯さず又他をして犯さしめざることなり。凡そこの三箇條は決して難事に非ず、之を人に語れば吾々は疾くより心得て之を實行せりと云う者こそ多からんなれども、開國以來の實業社會に徴し、その外國貿易に縁あるとなきとに拘わらず、概して商賣上の風儀を窺えば往々その然らざるものあるが如し。必ずしもその人の罪に非ず。是れぞ所謂遺傳の習慣にして微妙の間に存し、自から卑劣と知らずして卑劣を犯すその趣は、武骨男子が無禮と心付かずして無禮を働く者に異ならず。故に我輩は直にその人に就てその言行を咎めず、唯これに文明の新原素を注入して全體の風儀を改めんことを冀望し、又今日の實際に於て士流學者の一類も既往の非を悟り、空論を去て實に就かんとするの時節なれば、必ずこの冀望の空しからざるを信ずる者なり。左れば實業社會の革命は時勢の約束到底免かるべからずとして、この革命の時に當りこの社會の人々は十分に注意して方向を誤らざるの覺悟こそ大切なれ。今日の事態は恰も足利末葉の亂世の如し。群雄四方に割據して祖先の舊を守る者あり、新に業を興したる大家あり。織田信長の事業漸く成りて甲越の兵力甚だ強く、中國の毛利固より侮るべからずして小田原の北條亦恐るべし。三河の徳川大ならずと雖もその基礎誠に堅くして、羽柴秀吉には竊に野心の大なるものあり。大小無數の英雄互に釁を窺うて暫時の安心を許さず、敵を侵さゞれば敵に侵さるゝの釣合を以て興廢存亡常あることなく、唯能く家政を整理して兵事を改良し、機に乘じて進み時を見て退き巧に勢を制する者にして功名を成したることなり。今我國の商勢も亦これに異ならず。開國の一擧以て實業の舊組織を擾攪して、全面の風光亂れて麻の如し。數百年の舊家にして一朝に亡びたる者あり、無一錢の寒貧より興りて巨萬の大家を成したる者あり。羽翼漸く成らんとして半途に敗する者あれば、死灰再び燃えて正に盛大なる者あり。曾て事えたる主人は既に行く所を知らずして、舊時の下男今日の旦那たる者あり。新舊の交代、群雄の成敗、その劇しくして速なるは、徳川時代の百年間に行われたる事實を數月の間に演じ了ると云うも過言にあらず。從前の事實既に斯の如くにして將來は更にその勢を進め、ますます劇しくしてますます 速なるべきは毫も疑を容れざる所なり。如何となれば、日本の社會に政事、學事等の革命を見ながら、獨り實業をしてこの運命を免かれしむるの理由あらざればなり。實業の革命は少しく後れたれども、時の經過に從てますますその動力を増すべきは自然の命ずる所なればなり。畢竟その然る所以を尋れば、舊組織顛覆の亂世に居て家を保ち業を營むの要は、家政の整理、商法の改良、商機の視察如何に在ることにして、之を忘るゝ者は亡び之を勉る者は興るのみ。優勝劣敗の事跡、粲然として兵馬戰國の歴史に異ならざるを見るべし。我輩の見る所果して誤らずして今日の事態斯の如しとするときは、彼の文明の教育を經たる後進の士流學者輩は、都て是れ亂世の英雄にして功名の心なきを得ず。官途に青雲を求るは專制時代の舊習慣にして立憲國の事に非ざれば、自今立身の法は專ら戰國の武士に傚い、諸豪大家の人物を見定めて主取りするか、或は獨立の大事を企てゝ北條早雲を學ぶも亦不可なし。その邊は人々の志に任していよいよ主取りと決する上は、富豪に舊家もあり新家もあり、既に文明の主義に從て業務を取る者もあれば、依然たる開國以前の桃源に番頭、手代と春を樂しむ者もあり、その家風は何れも專制風にして容易に他人の喙を容れしめず、或は諸會社の如きは一見會議政府に似たれども、その實は長者の專斷を以て事を行うの常にして、その邊は初めより覺悟して、入門直に室に入るの空望を抱くべからず。要は木下藤吉が初めて信長に奉公したるときの如くなるべきのみ。又その奉公の口を撰ぶに、諸會社、銀行、若しくば既に西洋風に化したる大家は自から士流學者の身に適するの趣を存することなれば、之に入らんことを求るは當然のことにして自から雙方の便利なれども、一歩を進めて考れば、古風一偏の舊家に主取りするも亦妙味なきに非ず。この種の富豪は今日のまゝに家道を改めずして歳月を送るときは、天下一般の風潮に後れて自家の内と外と恰も時候を殊にし、世間の實業家は既に蝶化して春風に飜々たるときにも、舊富豪翁は尚お芋蟲にして蠢爾活動するを得ず、戸外を窺うて一聞一見、これも思わざりし事なり夫れも意外なる事なりとて、その驚く度毎に次第次第に衰弱すべき約束なれば、斯る運命の定まりたる家に身を托し、漸く地歩を得るに從て家翁に説き子弟と謀り、畢生の力を盡して商政を改革整理し遂に家運を挽回して、その家と共に身の名を博するも亦男子の事なり。戰國の世の名士が衰運の家に仕えて中興の業を成したるの例少なからず。今世の舊富豪にも必ずその邊に思付く者あるべし。士流學者の實業に身を立てんとするに當り、商政の既に整理したる大家、大會社に仕えて平生の技倆を伸し、文明の利器を利用して間接に古風の家を亡ぼすも功名なれば、その亡びんとする舊家を助けて之を中興せしむるも亦功名にして、兩樣の間に輕重あるべからず。その邊に付ては聊かも會釋に及ばざることなり。唯我輩の目的は日本の實業に文明の要素を注ぎ、その社會の氣品を高くして立國の根本を固くし、内に實して外に爭わんと欲するに在るのみ。

實業論終