「新聞紙上の廣告」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「新聞紙上の廣告」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

新聞紙上の廣告

西洋の新聞紙と日本の新聞紙とを比較するときは其記事論説に優劣はなけれども彼の新聞の規模の大にして紙面に廣告の多きは其特色なるが如し試に歐米の大都會に刊行する新聞紙を見るに何れも紙面の大半は廣告を以て■(つちへん+「眞」)塞するの常にして現に米國紐育市のウオールド新聞の如き昨年中に■(てへん+「葛」)載せる廣告の件數は八十九萬九百七十五にして是れが爲めに費したる紙面は總て二萬二千五百六欄に達したりと云ふ一欄の廣告料を假に百弗と見積るも二百廿五萬弗の歳入なり盛なりと云ふ可し然るに顧みて我國の新聞紙を見れば其廣告欄の寂寥たること實に見る蔭もなき有樣にして西洋諸國の同業者に對して更に顏色なしと云ふ可し我時事新報の如きは日本の新聞紙中最も廣告の多きを以て名あるものなれども尚ほ且、歐米諸國の地方小新聞に比して却て一歩を讓ることさへなきに非ず他推して知る可し之を要するに日本の新聞紙は未だ廣告業の何物たるを知らざるものと云ふも過言にあらず甚だ殘念なる次第なれども元來新聞紙に廣告少なきは強ち新聞業者の罪にあらず其原因を糺せば結局世間の人が廣告の大切なるを知らざるが故なり新聞社の爲めに取りては成る丈け廣告の多からんことこそ利益なれば百方手を盡して之を■(てへん+「葛」)載せんとすれども如何にせん世間に錢を拂ふて廣告する者少なきを以て己むを得ず今日の寂寥に滿足するのみ左れば我國に新聞廣告の盛ならざるは社會文明の程度尚ほ低くして實業家の流が之を利用して自から利することを知らざるの證據なりと斷定して間違なかる可し抑も商賣に廣告の必要なるは今更ら辨ずるまでもなきことにして凡て物品の賣買は廣告に由て始めて實際に行はるるものと云ふも可なり何となれば假令ひ店に何程便利安直の品物を備ふるも世間に廣告して其所在を人に知らしむるに非ざれば到底寶の持腐たる可ければなり商人が市街に店を開きて商品を陳列するは即ち通行の人に之を示さんが爲めにして詰り廣告の一方のみ其證據は凡そ何等の店を開く者にても成る丈け邊鄙の地を避けて繁華雜沓の塲處を撰び是れが爲めに態態高き地代を拂ふことを厭はざるを見ても明なる可し單に日用の自由不自由若しくば運送の便不便等を考ふるときは東京にて日本橋區の中央と本所深川邊とを比較して大なる相違なきにも拘はらず實際その地價に數倍の差あるは何ぞや日本橋區に開店すれば店の品物を多人數に見らるるの利あれども本所深川にては其利に乏しきが爲めに外ならず即ち往來繁き市街に營業する商人が塲末の人通り少なき處に開店する者に比して割合に高き地代を拂ふ其地代は取も直さず店の廣告料なりと云ふも可なり商賣の盛衰は單に店の位置に依て異なるのみならず同一の塲處に在る店にても品物の並べ樣に依て其賣れ方に大なる影響を及ぼすことあり是等は廣告の意匠とも云ふ可きものか、世人若し此邊の事實に就て疑あらば試に其賣らんと欲する所の物品をば悉く倉庫に藏めて店を閉ぢ客の來て訪ふ者あるを待つ可し何年を經るも庫中の物は依然として外に出るの機會ある可らず我輩の固く保證する所なり或は我國の商人なりとて全く廣告の効能を知らざるに非ず往來群集の塲所に引札を散布し又は人目に觸れ易き板塀などに紙片を張付るが如き古來行はるる普通の方法なれ共獨り新聞紙の廣告は聊か事新らしくして是れまでの習慣になき所なれば扨は之を試るに當て躊躇するものにてもあらんか、時勢に迂闊なりと云ふ可し凡そ廣告の方法多しと雖も新聞紙上の廣告ほど効能著しくして且安價なるものなきは事實に爭ふ可らず西洋諸國の商工業家は何れも之を利用せざるものなく中には年々の廣告料數萬弗に上るものさへあり而して彼の地にて廣告と云へば殆んど新聞紙の廣告に限るものの如く引札張紙などを用ふる者は甚だ少なしと云ふ思ふに新聞紙上の文字は最も多く人目に觸るるのみならず之を見る者亦尋常の廣告紙片などよりも注意して讀むの利益あるが故ならん三五年來我國の實業は大に進歩の色を現はし前途の望甚だ豊なる今日に當り廣告の大切なるを知るもの世間に尚ほ少なきこそ遺憾なれ世の實業者は新聞紙面を利用して以て自から利すると共に我國新聞紙の面目を一新して歐米諸國の同業者と伍を爲すを得るに至らしめんこと我輩の偏に冀望する所なり