「新聞紙は贅澤品に非ず」
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時事新報に掲載された「新聞紙は贅澤品に非ず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
新聞紙は贅澤品に非ず
先年米國ペンシルヴエニア州の某地に非常の洪水ありて溺死する者千を以て計へ幸に免かれたる者も道路橋梁盡く破損して交通杜絶したるが爲め忽ち衣服食料に差支へ慘状見るに忍びざるの有樣に陷りしかば遠近の人民は擧て救助に盡力し數日を經て辛うじて衣食の必要品を被害地に運搬することを得たり此時に當て罹災者は既に三五日間殆んど絶食の姿にてありしことなれば救助の來るを見て何はさて置き先づ食物を求ることならんと一行の人人も其心して待設け居たりしに何ぞ圖らん彼の者どもが第一番に請求せしは麺麭に非ず肉に非ずして最近發兌の新聞紙なりしこそ不思議なれ救助者は其求る所の餘りに意外なるに一驚を喫したれども又退て考ふれば假令ひ暫時の間とは云へ一切人間世界の交通を斷絶して恰も暗黒の中に日を暮したる者が頓に浮世の光に接したることなれば喜悦の餘りに飢寒の苦痛をも打忘れて先づ新聞紙を見んと欲したるならん左もある可き人生の至情なりとて救助の人人も一入相憐むの情を催ほしたりと云ふ
右は當時の米國新聞にも掲載したる實事談にしてヤンキー(米人)は新聞紙を以て衣食よりも尚ほ大切なる必要品と認る者なりとて一時世上に評判したることあり國民が斯くまでに新聞紙を珍重することなれば其國の新聞事業も盛ならざらんと欲して得べからず米國の新聞紙が其種類の多き點に於ても又その賣高の大なる點に於ても獨り世界に冠たるは謂なきに非ざるなり盖し米國にては如何なる邊鄙の村落にも必ず新聞紙配達の道ありて我國にて云へば車夫人足の活計を爲す輩に至るまで苟も文字を知る者なれば樂んで之を購讀するの常なり左れば國内至る處として新聞社の設あらざるはなく又隨て相應の購讀者もあり稍や盛なる都會に至ては一市に數十種を發行して其賣捌何百萬の大數に上るの例さへ少なからず畢竟するに米國人には新聞紙を以て文明の利器、人生の必要品と認め之を利用して自ら利せんとする者多きが故なりと云はざるを得ず然るに我日本の事情は全く之に反し國中文字を知る者の多きにも拘はらず新聞紙を視ること甚だ冷淡にして之を必要のものと認めざるのみか恰も一種の贅澤品として弄ぶまでのことなれば之を購讀するは所謂質素儉約の旨に背くとて値の如何に論なく先づ之を家に入れざるもの多きが如し都鄙の新聞に其發兌の寥寥たるも謂れなきに非ざるなり維新以來西洋の文明主義を輸入して政法教育等は長足の進歩を爲し時としては出藍の名さへある其中に獨り新聞紙の一事のみ他に後れて進歩を共にすることを得ざるは其事の新奇にして古來の習慣に適せざるのみの爲めに非ず抑も亦我國人が經濟自利の思想に乏しきが故なりと云はざるを得ず新聞紙を讀んで世の中の出來事を知るも唯これを知るのみにして實際に差したる利益なしと思ふ人もあらんなれども凡そ人間生涯の行路は千差萬別にして其何れの方向に進む可きやを决するは社會の實際に行はるる状况を詳知して然る後の事なり之を知る者は迷はず、知らざる者は迷ふ、其趣は航海者が船を進るに山海嶋嶼の位置を知るの必要なるに異ならず田舍漢は遲鈍にして都人士は活溌鋭敏なりと云ふ兩者の天性に智愚の別あるに非ざれども唯一は社會の出來事に接すること稀にして其所見狹く一は耳目の觸るる所繁多にして知識見聞に富めるが故のみ左れば新聞紙は日夜人間社會に往來する百般の出來事を即時に報知し讀者をして坐して人事の消息を詳にせしむるものにして之を讀む者と讀まざる者と遲速鋭鈍の差は唯に都人士と田舍漢と相異なるの類に非ず或は之を評して人事の地圖、行路の羅針盤と云ふも可なり限りなき社會の波瀾を冒して安身立命の彼岸に達し以て私の爲めにして又隨て國家を利せんとする者は新聞紙に依らずして他に好方便はなかる可し我輩は新聞事業の盛衰を見て國運の如何を卜せんとする者なり