「東京府知事の進退」
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時事新報に掲載された「東京府知事の進退」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
東京府知事の進退
東京市參事會は日本鑄鐵會社に對する水道鐵管購買の契約を隨意に變換したりとて市會より其越權を咎められ會員一同過を引て辭職したり抑も契約變換とは如何なる次第なりやと云ふに最初參事會が市會の决議に據り會社と契約したる示法書の中には各鐵管に云云の十數文字を鑄出するの約束ありしに右の如き文字を鑄出するは實際の手數一方ならざるに付き之に代ふるに徽章を以てせんことを會社より請求したるにより參事會は其請求を尤もの道理として之を許可したるに過ぎず實際に差支なき事■(てへん+「丙」)にして何も非難す可點はなきが如くなれども其これを許すに市會の議を問はざりし一事こそ越權の處置と認められたる原因なれ或は會の議論中には文字を徽章に改めて鑄造の手數を省けば隨て費用も■(にすい+「咸」)ずること勿論なれば其價を引下げしむるこそ當然なるに價は元の通りにて單に約束を改めたるは會社を利して市の經濟を損したるものなり云云の意味もありたるよしなれども畢竟その論點は金錢の損得を爭ふに非ず法律上の手續に拔目あるを付込て之を非難するものに過ぎず如何となれば若しも其事を反對にして最初には徽章を鑄出するの契約なりしを文字に改めて然かも價には差響なしとするも越權云云の非難は到底免れざる可ければなり活眼を開て之を見るときは誠に他愛もなきことにして小兒の戲に似たれども法律上の規定は如何ともす可らず其手續を盡さざりしこそ參事會の手落なれば事、茲に及んでは自から責任を負ふの外ある可らず左れば會員が過を引て一同職を辭したるは斯る塲合に處する至當の决心として我輩に於ても異議なき所なれども唯注意を要するは東京府知事の進退あり或は府知事と等しく市の參事會員に列するものなれば責任を共にして其職を辭せざる可らずとの説もあるが如くなれども我輩は固く其不可なるを信ずるものなり抑も知事は現に參事會員たるに相違なしと雖も本來會員たるが爲めに知事たるに非ずして知事たるが爲めに會員たるものなり即ち知事の職務上自から會員を兼ぬるものなり而して府政と市務との關係を見れば府政の事を知るは其本職にして市務に參するは職務の一部分にこそあれば市務の爲めに府知事の職を動すは恰も枝を切るが爲めに幹を枯らすに異ならず事の本末を誤るものと云はざるを得ず左れば萬萬一知事が徳義上より自から責任を負ふて辭表を呈せんとすることあるも政府の當局に於て斯る處置を許す可らざるは我輩の飽くまでも保證する所なり