「士族の末路」
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時事新報に掲載された「士族の末路」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
士族の末路
日本の士族は廢藩置縣の一事に其常職を解かれ次て世祿に換ふるに公債證書を以てせられ三百年來封建の恩擇に由り其身に有したる一種の特典は既に全く失ひ盡して唯士族と名くる空しき肩書を存するのみ左れば日本社會に於ける士族の勢力は特典と共に消滅して跡
形もなき〓〓〓〓〓と云ふ〓決して然らずして其特典こそは二十年前に失ひたれども實際の勢力はその後に至りても尚ほ見る可きものなきに非ず抑も王政維新の一事は士族の首唱に出でゝ士族の手に成りしが故に維新政府の實權も自から其流の有に歸するは勢に於て免る可らず或は其士流の輩が自から政權を執りながら自から自家の特典を廢して恰も士族征伐を爲したるは解す可らざるが如くなれども是れは社會自然の大勢にして彼輩とても知らず知らずの閒に其大勢に迫られて茲に至りたるのみ自から是れ社會の一奇觀と云ふ可し兔に角に政權は士族の一流に歸して上流の輩が政府當局の地位を占めて意氣揚々たれば末流末波の徒も幅を利して社會に跋扈するは自然の勢にして官海の一面は申す迄もなく凡そ社會の表面に立て事を執るものは士族の一度ならざるはなく其餘澤の及ぶ所或は短才不肖にして獨立の計に難きものと雖も敎員巡査もしくは官職の雇等それそれに職を求めて口を糊するに差支えなき有樣にして維新以來常職は解かれ世祿は失ひたれとも生活に苦しまざるのみか依然その勢力を維持して相應の體面を保ちたるは今日に至るまでの常態にして即ち日本の士族は政治上表面の身分に其特典を失ふたるにも拘はらず實際の勢力は尚ほ少小ならざりしを見るに足る可し然るに恐る可きは社會の大勢にして其赴く所は何物も之に抵抗すること得べからず況んや封建の遺物なる士族の輩に於てをや維新の當初に於ては其大勢の運動も尚ほ緩慢にして士族の流に對しては纔に其特典を剥ぎたるに過ぎず尚ほ社會の表面に跋扈して勢力を逞ふするの餘地を惠みたれども數年來の有樣を見るに大勢の運動は次第に急にして次第に其餘地を蠶食し今日に至りては殆んど古城落日の觀なきに非ず即ち士族の一流が根據の地と賴みたる官海の一面もしくは之に恩故あるの地位も次第には其局面を縮少せられて多數の人を容るゝ能はざるの始末と爲りたるより本來の遺傳敎育官途の外に生活の方法を知らざる其輩の周章狼狽は一方ならず恰も轍鮒の水なきに苦しむの情ある折柄更に其勢をしてますます急ならしめたるものは外ならず政府にて敎育を奬勵したるの結果なり敎育の要は本來人民をして獨立の生計を得せしむるに外ならざるに士族政府の方針は自から一種特別にして官立學校を以て恰も官吏の養成所と爲し幾多の靑年子弟を精神上に士化せしめたるこそ是非もなき次第なれ左れば其學校の卒業生なるものは取りも直さず第二の士族にして官吏一方に身を寄せんとするものゝみなれば左なきだに局面を縮少せられたる官海の門はますます其狹隘を感じて門外に溢るゝ不平者の數を增すに過ぎざるのみ昨今の情態を聞くに十年の苦學、大學の過程の終りたる所謂學士の輩も僅に十五圓か二十圓の月俸を得るに過ぎず夫れさへも百中の五六にして其地位を得るものは登龍門の榮として他の羨む所なりと云ふ況して不才無學の徒に至りては敎員巡査は迚も望む可らず小使門番の地位さへも得る能はずして目下の生活に苦しむもの正に今日の有樣なるが如し即是れ士族の末路にして唯自然の成行に任ずるの外なきが如くなれど社會の大勢は猶ほ大洋の風潮の如し之に逆へばこそ覆沒の患を免れざることなれ、巧みに勢に乘じて之に順ふときは俗に所謂得手に帆を擧ぐるの喩に洩れず一億千里の功を收むるも敢て難きに非ず此種族の人が王政維新以來社會の表面に地位を占めたるは後に乘じたるが爲めにして今日の末路は之に逆ふたるが爲めに外ならず今の社會の大勢は其赴く所甚だ明白にして要は唯空を去り實に就くに在るのみ故に今その身構を一轉して他の赴く所に順へば更に第二の維新を見るも容易なる可し其順逆は則ち運命の決する所なれば我輩はその流の人々が大に勇氣を奮ひ身構を一轉し大勢の赴く所に順て更に新運命を開かんことを勸告する者なり