「・第四回博覽會に就ての聯合計畫」
このページについて
時事新報に掲載された「・第四回博覽會に就ての聯合計畫」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
・第四回博覽會に就ての聯合計畫
來る明治二十八年は桓武天皇遷都の千百年に相當するを以て其記念祭を擧行し及び第四回内國勸業博覽會を開設するに付き此機に乘じて京都の有志者が發起となり東は愛知、三重、岐阜、滋賀、西は廣島、德嶋、岡山大坂、奈良等凡そ海陸旅行の至便なる各地を聯合して風景なり建築なり美術品なり工藝品なり將た舞樂なり都て國の美観として人を樂ましめ又人を益するものは悉く〓回して觀覽の便を與へ一は以て夫の盛身盛擧を配し一は以て我國の風物文明を内外人に紹介表示せんとの計畫にして委員は既に關係地方の人士と交渉して略その趣向を定めたりといふ抑も名古屋以西廣島以東の二府八驛は國土の中心なるのみならず亦我が風物文明の中心にして建國以前より蓬莱瀛州の稱を博したるも此地方なる可く建國以降文華の發達も皆收めて此地方に在りと云ふも不可なければ觀る者をして嘆美せしむるものゝ數多きは固より言ふを俟たず此回の機會を利用して之を發揚せんとの趣向は實に世人の希望に叶ひたるものにして特に外人をして我日本を愛敬せしむるの好手段と云ふ可し是れより先き我輩は毎度日本を以て世界の一大樂園となす可きを論説せしが其意決して好奇にあらず我文藝の美、我風土の麗自から是れ世界の耳目を動かすの引力あること慥かなれば之を吹聽し表示して東洋出色の國柄たるを知らしめ文明國人をして背後に傍若たらしむるは勿論坐して萬國の財を招き一大資源となさんと欲するに在り蓋し文華風土の美麗を愛するは人情の自然なれども中にも西洋人の財力に裕かなる萬里を遠しとせずして遊覽を試るは恰も其習癖なれば之が爲めに年々費やす所頗る大にして現に伊太利の如きは風土の美なる上に古昔羅馬の舊觀を以てし又羅馬法王の膝元なれば遊覽の外人殆んど無數にして隨て金の落るを夥しく統計上如何にしても出入國相償ふ可らざる同國の國計にてありながら依然歐洲の雄國に列するものは海關税にあらず工業税にあらず實に遊覽者の賜ものなりと云ふ又佛蘭西の首府巴里は一名世界の首府と稱せられ華奢風流の中心なれば是亦諸國遊歴者の目指す所となりて其年々の所得は算す可らざる程にして首府の全盛を維持するのみならず醒める佛人は醉える外人をして佛國の富強を助けしむと云ふ唯驚嘆の至りにこそあれ右の如く世界遊覽者の耳目をして專ら伊、佛に注がしむるは從來の状況なれども之に加ふるに我日本の風土文華を以てしたらば恰も天地閒の三美にして之を全備せざるは天賦を欺くものなり全備して利用せざるは我國人の不覺にあらずや交通便利の世の中に之を開發して國富を成さんこと決して望みなきにあらず常に隔靴掻痒の思に堪へざりしに此回前記の聯合計畫こそ我輩の宿論を實にするの先驅なれば其施設の仝くして果して我日本國をして東洋の樂園、世界三美の一たらしめんことこそ願はしけれ幸にして計畫委員の注意能く行屆き神社佛閣の修繕、名區古物の説明は申すに及ばず旅泊人力車等の世話までも箇條に枚擧して殊に本年の米國シカゴ博覽會場に此旨を廣告す可しとはいみじき思付と云はざる可らず施設計畫中大坂の部に「其筋の許可を得れば大坂城の上に望觀臺を造り市内眼覽の用に供すること」とあり勿論城内をも縱覽せしむることなる可けれども是れぞ天下の名城なれば尺度備へ置きて天主臺の高さより彼の大石等を測量するの用に供したらば外人の如きは唯是れのみにても肝を潰すや疑ある可らず又大坂城のみならず各所とも其筋の認可を俟つもの少なからざれば當局者も區々たる規則等に拘泥せずして國の爲めに充分の盡力ある可きは無論斯くして首尾よく施設を遂げたらんには内外人の滿足と共に由て以て永く國光を擧げ國益を收め閒接直接に利する所實に意外のものある可し我輩は其の盛擧を祈りて委員諸氏の勞を謝するものなり