「・論より證據」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・論より證據」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・論より證據

とは人の常に云ふ所にして千百の議論も據る所の事實あるに非ざれば取るに足らずとの意味ならん人言喋々甲論乙駁、殆んど底止する所を知らず動もすれば其論爭に妨げられて人事の澁滯を致すが如きは浮世の常にして毎度我輩の聞見する所なれども其由て來る原因

求れば事實を探究せざるに坐するもの多し左れば世閒幾多の熱心論者も時に或は心事を一轉して前後左右に眼を配り是れまで勢に乘して論し來りし其論據の虚實を吟味することあらば果して大に發明して前論の非を悟り一片の事實能く無量の疑團を氷解せしめて自から釋然たるものある可し在昔英國に學士某あり一問題を掲げて云く器に水を盛りて器と共に先づ其全量を秤り次で眞水の中に魚を游がせて更に之を秤るに毫も重量の增さゞるは何故なるやと時の理學者中に向て説明を求めたりしに理論學説に於ては他に一歩を讓らざる學者輩のことなれば是式の難問を解くに何かあらんとて種種樣々の説明を呈し甲論乙駁囂々沸くが如くにして底止する所を知らず端なく理學社會に一大波瀾を生したる折柄、或る素人が其評判を聞き傳へ獨り試に錘に水を入れて魚を泳がせ秤に掛けて事實の如何を見しに何ぞ計らん前後の重量に變なしなどゝは跡形もなき虚説にして魚を入るれば正しく其魚の重さ丈總體の重さを增すの證據を突留め直に其事實を公けにしければ其當日まで騷がしかりし學者社會の議論は頓に根據を失ひ千萬無量の推理説明も都て是れ無限の空論なりしを悟りて再び口を開く者なかりしとぞ事實を捕へずして漫に空に走るものは學者先生の名論にても當てにならぬことゝ知る可し右は外國數百年前の一笑話にして學童も知る所なれども我國に於ては今日尚ほ之に類似の談なきに非ず殊に古學流の持前として學説と云へば多くは無形の空理を談ずるに止まり事實の探索の如きは寧ろ卑俗のことゝして厭ふ程の次第なれば隨て種々の臆説流言も流行して人を惑はしむるものあるが如し例へば從來内地雜居を非とする者の言に外國人をして自由に内地に入込ましむるときは必ず本國に有り餘れる資本を持來りて以て我國の商圈を奪去り日本商人をして居るに處なからしむるに至らん其證據には今日現に外人が本邦人の名目にて内地の工業商賣に注入したる資本は莫大の額にして單に土地のみにても内實彼等の所有に屬するもの一億何千萬圓に達せりなど稱して頻りに外人外資の侵入を心配する者の如くなれども事の實際に於て外國人が我内地の事業に大資本を卸す可き理由はある可らず或は内々我國人の名譽を用ひて云はば内外人組合の商店を開く者もある可し我輩も竊に其事情を耳にしたることあれども其事たるや外國人の爲めには極めて危險なる金にして一朝その組合の内輪に波瀾を生ずるが如き場合に外國人は權利を保護せんとするも法律の恃む可きものなし斯る危險を冒して莫大の資本を手放すが如きは先づ以て彼等の敢てせざる所にして假令ひ是れあればとて僅々の數たるに過ぎず又或は土地の事に就ても彼の宣敎師の一類が布敎の爲めに都鄙の處々に地面建物を所有し又は商人中の聊か錢を得たる者等が保養の爲めに景勝の地に別莊やうのものを造りたるは事實に掩ふ可らず所謂公けの内證なれども是れとても高の知れたることにして以上一切の實價を總計して何百萬圓に超へざる可し頃日その筋にて内々取調べたる所に據れば外人の所有に係る土地の券面は都鄙合して四五萬圓に過ぎずと云ふ實價を其二十倍とするも百萬圓に足らず彼の世上に噂する一億何千など云ふ數は唯是れ取留めもなき空想を數字に現はしたるものなりと云ふの外なし内地雜居の是非論は別問題として是にも非にも其議論の根據とする所に事實の確なるものなき以上は問題に入りて爭ふも都て無益の沙汰なれば識者は最初より之に取合ふことなかる可し我輩は唯人事萬般の利害に付き論より證據の勢力あらんことを祈る者なり