「國光を輝すの法は實物を示すに在り」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「國光を輝すの法は實物を示すに在り」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

國光を輝すの法は實物を示すに在り

過般布哇國に革命の騷動ありし後閒もなく我軍艦金剛浪遼の二號ホノルヽに入港するや同國の假政府は大に驚て日本は必定英國と同盟して布哇を占領するの意あるものならんなど途方もなき想像を起し米國の軍艦ボーストン號の艦長に請ふて終始日本軍艦の傍を離るることなからしめ以て我國の企圖を妨げんとしたるが如き如何にも周章狼狽の體を現はしたれども事の評判は忽ち世閒に流布して遂には米國の新聞紙までが「日本布哇を覬覦す」「日本は米國と布哇を爭はんとす」等の表題を掲げて頻に布哇に於る我國の近状油斷す可らざるものあるを説くに至りしこそ笑止なれ然るに布哇占領の嫌疑未だ全く霽れやらぬ中に此度は又日本の軍艦が南洋の群嶋にして西班牙の所領に属するペリユー嶋を略取したりとの説を傳ふる者あり是れが爲め西班牙の首府マドリッドにては人心大に激昂し日本政府の處置を非難するの議論一時甚だ盛んなりしと云ふ米國の新聞紙などは此報に接しても毫も疑を置くことなく日本が布哇を占領せしは畢竟するに敵手が西班牙の如き弱國なるが爲めならん今日でさへ太平洋に於ける歐米諸大國の關係は隨分紛雜を極め居る其中に新に又日本の一國を加ふるとありては今後の成行思ひやられて甚だ氣遣はしなど種々の論説を掲げて世人の注意を促したきもの少なからず我輩日本人の身に取りては所謂寢耳に水の沙汰にして抑も何事が種となりて斯る記事の外國新聞紙上に現はるゝに至りしか殆んど之を知るに苦むのみ

日本が布哇の占領を企てたりと云ひペリユー嶋に國旗を樹てたりと云ひ共に素より跡形もなき誤聞にして之を一笑に附し去れば其れまでのことなれども假令ひ閒違にもせよ現に歐米諸國に斯る風説の行はれて之を信ずる者あるは結局西洋人が近來漸く日本の國状を知りその決して一概に輕侮す可らざるの國たるを發明したるが爲めに外ならざれば我輩はこの度我國が端なくも太平洋の二嶋嶼占領の疑を蒙りたるの事實を以て世界に於ける日本國の價格の大に增進せし證據なりとして寧ろ之を悅ばざるを得ず抑も斯の如く西洋人が近來一般に日本に重きを置て其爲す所に注意するの傾あるは何故なるやと尋るに我輩の所見を以てすれば三四年來、本邦より夥多の出稼人を海外諸國に出したる事と又我軍屬の時々、遠洋航海に派遣さるゝ事と此二つの事柄こそ其最大原因ならんと信ずる者なり蓋し近時我文明の著しく進歩したるは今更ら云ふまでもなきことなれども如何に人民の智識發達し國の富源實力、增加するとも外國人をして實際の状況を目撃せしむるに非ざれば素より其心中に我を尊敬するの念を起さしむるを得可らず我國の如き政治敎育等、精神上の文明に於ては歐米諸國に對して決して一歩を讓らず有形器械的の文明に於ても漸く面目を改めて往々出藍の沙汰さへある程の次第なれども是まで兔角に外人の輕蔑する所となりて動もすれば未開國の中に算入せられ歐米諸國と同等の交際を爲し難かりしは他なし彼れ外國人が未だ我國の實況を詳にせざるが爲めのみ然るに移住出稼のこと追々に流行して我國人の海外に渡航する者次第に增加するに從ひ先方の外人は之に接し之に交る閒に知らず識らず其本國の事情を聞知し爰に聊か日本に對して縁故を生ずる其際に適ま我軍艦の來着するあり其

艦内の樣子は如何ならんとて行て之を見れば百般の規律整然として一點の非難す可き所なく流石大英國の軍艦と雖も之には勝る可らずと思はるゝ位にして而も乘組員は艦長より水兵火夫に至るまで悉く日本人にして他國人を交へず其有樣を目撃するときは如何なる者にても日本の進歩の速なるに驚き竊に之を尊敬するの念を起さゞるを得ず布哇ペリユー等に在留する歐米人が日本を以て恐る可き敵と爲して種々の妄想を起したるも其原因を糺せば畢竟するに彼れ等が平素日本の移住人に接し又日本の軍艦を見て其侮り難き國柄なるを知ればなり今日英國人が世界を橫行して誰れ憚る所なく我儘を押通すことを得るも全く地球上至る所に英人の殖民地あり又英女皇の軍艦あり之を見る者をして英國の恐る可き國たるを知らしむるが爲めのみの國の聲名を發揚する爲めに人民の海外出稼を奬勵し又軍艦の回航を數はす可しとは我輩の兼て主張する所なれども此度び布哇ペリユー占領の風説を聞て益す事の必要を感じ聊か平素の意見を述べて以て當局者の注意を求むるのみ