「・海軍」
このページについて
時事新報に掲載された「・海軍」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
・海軍
兼て世人の待設けつゝありし海軍の改革はいよいよ發表したり頃日來の官報を見れば何々官制何々條例など改正の條目頗る多く隨て將官以下の轉任等も少なからざれども我輩の所見を以てすれば其要點は詰り軍政と軍令とを區別したるに在りて他の改正は總て此區別より生じたるの結果なるが如し其區別に關する利害得失の論は兔も角もとして抑も今度の改革は去る二月政府の當局者が議會に對して政府全體の改革を豫約し就中海軍の事は最も着手を急にす可しと明言して乃ち海軍整理委員なるものを設け爾來怠慢なく取調に從事したる其結果なる可し從來海軍に對して世閒に反對の物論少なからざる其次第を聞くに自から種々の原因ある中にも其部内に一種いふ可らざる情實を催ほして隨て經濟上の始末にも自から不信用の廉ありと云ふが如きは攻撃反對の集點にして海軍本來の規模組織如何に至りては假令ひ表面に云々するも内實は第二の問題たるが如し左れば今度の結果は果して其物論の原因を插除して他を滿足せしむるの效能ありや否や自から是れ他人の意志に存することなれば之を擱き爰に竊に我輩の所見を述べんに抑も今の海軍の組織に於て局外者の眼にも不相應に見ゆる所のものは其事務に割合ひして規模の大に過ぐるに在るが如し海軍の役目は陸軍と共に國防の用を爲すものにして決して等閑に付す可らざるは無論この擴張の急務なるは我軍の宿論として一日も忘れざる所なれども其これを擴張するには自から方法順序なきを得ず我海軍が其創立以來幾多の年月を閲して漸く今日の發達を爲したる事實を見れば今後これを擴張して充分の域に達するには亦自から多少の年月を費さゞる可らず而して目下の實際如何を問ふに數を以て計ふれば軍艦三十餘隻(其中戰鬪の用に供す可きものは廿餘隻なりと云ふ)噸數五萬餘噸に過ぎず誠に僅々たるものにして若しも戰艦の數より云へば一の汽船會社にも及ばざるものと云ふ可し現に日本郵船會社の如き六十餘隻の船舶を所有すれども今の世界に於ける汽船會社の中にては左まで大なるものに非ずと云へば今の日本の海軍は一小會社の事と見ても可なる程のものなれども其規模に至りては嚴然たる歐洲の海軍國と同樣の觀を呈し將官の數と云ひ鎭守府の設置と云ひ其他百般の組織、僅々三十何隻の軍艦を取扱ふ爲めには寧ろ過大なりと云はざるを得ず或は海軍の事務は會社の營業に異なり軍艦には兵器機械の設けもあり又戰爭の用意も必要にして汽船會社が商賣の目的を以て單に運送の用を辨ずるものゝ比に非ざれば其事務の如きも同日に論ず可らざるものある可し我輩も素より其然るを認むるものなれども誠に僅々卅餘隻の軍艦を維持運用して其用を爲さしむるに果して今の海軍の如き規模組織を要す可きや否や將た其規模組織は國家理財の點に於て果して當を得たるものなるや否やを觀察するときは之を西洋諸國の例に徴するも又これを我國情の實際に照すも我輩は適當の割合を算出するに苦しむものなり國家事業として海軍を擴張せんとするには軍艦も製造せざる可らず士官も養成せざる可らず何れも急の急なれども其事たるや直に着手して直に實を見る可きに非ず皆多少の歳月を要するものなるに未だ實際の實を見ざる其内より豫め後來の計畫を算して規模組織を大にするは喩へば會社の事業未だ盛んならざるに只將來の繁昌を卜して大に株金を募集し大に役員を任用するものに異ならず智者の事と云ふ可らず左れば今日においては現在の事務に相應して其規模を小にし其擴張進歩に隨て次第に之を大にするこそ適當の計畫にして今回の改革に就ては或は其邊の決斷もあることならんと竊に期したるに實際に其然るを見ざるは我輩の遺憾と爲る所なり