「土耳其貿易」
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時事新報に掲載された「土耳其貿易」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
遠山を眺望すれば只圓き樣なれども近いて之を視れば懸崖絶壁俄に攀ぢ難きを見る可し一
口に海外貿易と云へば容易なるが如しと雖も偖いよいよ實際となれば其間の掛引を諳らん
じ其國の用語に通じ季節を知り需用を知る等頗る六ヶ敷次第にして或實地家の説に三年の
間其國に居て失敗を重ねざれば商賣の佳境に入る可からずと言少しく過ぎたるが如くなれ
ども夫れ或は然らん、今我輩が土耳其貿易の事を云ふも唯これを云ふのみにして實際の成
敗如何は固より之に從事する人の伎倆と經驗とに存することゝ知る可し、凡ろ他國に對し
て商賣を營まんとするものゝ第一に知らんと欲する所のものは其國の貧富如何に在る可し
然るに土耳其は近代の貧國として名高き國なりと云へば此一事を聞て先づ發企の念を斷つ
こともあらんかなれども此點に於ては我輩聊か説なきに非ず如何にも貧は不吉の文字なれ
ども國の貧なるは家の貧なるが如く單純なるものに非ず貧家の玄關に押掛けて商賣せんと
す、其無uなること勿論なれども貧國却て意外の購買力あることあり其塲合を申さんに戰
亂の宿痍深くして癒え難く外に巨萬の負債ありて内に商工業の振ふを見ず國力貧なりと雖
も古來專制君主國の慣例として帝室の費用は減ずるを得ず或は慈善布施と云ひ或は慰勞恩
賜と云ひ買上物と云ひ贈物と云ひ惜氣なく莫大の金を散じて綽々たる其趣は却て他富強國
の企て及ばざる所なり特殊なる國情政體の必要上人物籠絡の手段として大臣其他の高等官
には世界に比類なき高給を給しながら尚ほ其上に邸宅車馬概ね恩賜にして一方には宴會交
際の費用は殆んど絶無なれば孰れも金を遣ふの道なきに苦み或は多くの妻妾を蓄ふて衣服
調度に費を惜まず或は邸宅の美を競ふて器物裝飾に奢を極め僅かに自ら慰むるの姿にして
帝室縉紳に縁遠からざる所謂中等社會の人々も其餘澤に潤ふこと頗る豐なり即ち國の貧と
は門外より詠めたるの貧にして垣破れ軒傾き老僕寒を訴へ下婢飢に泣くと雖も奥の間、離
坐敷の内には變態の花を開て春色洋々たり、若しも今の世に斯る國ネあらば屈竟の花主に
こそあれ貧國の名を以て輕んず可からざるが如し、以上は正しく土耳其今日の現象を寫し
出したるものにして國の貧は家の貧の如く單純ならずとは蓋し此邊の意味なりと知る可し
或は此言を聞て花客の區域狭きを憂ふる者あらんなれども一方に銭に飢ゆる者ある割合に
他の一方に飽く者の多きは疑も無き事實にして其趣は我國の舊幕時代に三百の大名が江戸
に集合して豪奢を逞ふしたるの情に異ならず年貢を納る國元の小民こそ貧なれども江戸の
殿様は其割合に有bネり斯るnメを一都下に集めて商賣したるは江戸商人の仕合せなりし
が今日土耳其に於ては彼の諸大名に似たるものこそ多けれ歐亞境上の名都を今代の江戸と
見て江戸商人の仕合せを再演するも亦妙なる可し尚ほ之を詳言せんに其帝室費は年々凡そ
七百萬圓以上にして時に千四百萬圓に及ぶことあり内閣大臣の俸給に至ては只驚くの外な
く大宰相の月俸凡五千圓各大臣二千圓三千圓の差等あり其他推して知る可し之を要するに
土耳其は縉紳の極樂國にして沈静なる滿嚢の黄金は日本品の新奇を見て或は大に動くこと
なきを得ず尚ほ同國の輸出入並歳出入は左の如し
輸出高 七千七百零二萬圓
輸入高 一億三千七百四十九萬圓
歳出 一億四千九百八十萬圓
歳入 一億二千九百五十萬圓
是等の數を參看すれば大國衰へて貧なりと雖も一〓億萬の國債ありと雖も貧乏の仕方の流
石に大にして其貧富は貿易上左まで懸念するに足らざるが如し運命旦夕に迫れる亡國なり
と云ふ者あれども土耳其を中立の地位に置き何所までも之を守り立てんとは所謂權力平均
の爲め歐洲諸強國の深く心掛くる所にして容易に亡ぶ可き模樣も見えず土耳其は决して亡
國に非ざるなり
右に亞で貿易者の聞かんと欲する所のものは其國産なる可し商賣上肝要の事ネなれば其高
に從ひ順を追ふて左に同國輸出入重要品を掲げんに
輸出重要品
一 干葡萄 二 小麦 三 生〓 四 橄欖油
五 山羊毛 六 珈琲 七 阿片 八 羊毛
九 繭 十 穀物 十一 栗 十二 綿花綿布
十三 無花果 十四 獣皮 十五 鑛物 十六 胡桃
十七セセーム 十八 蠶豆 十九 絨毯 二十 藥品
廿一 玉蜀黍 廿二 棗 廿三 カナリーシード 廿四 蒋麥
廿五生〓菓物 廿六 種物 廿七橙及檸檬 廿八 葡萄酒
廿九 バタ 三十 石鹸 卅一 菓子類 卅二 樹膠
輸入重要品
一 砂糖 二 更紗 三 綿絲 四 珈琲
五 小麥 六 キヤラコ 七 敷物類 八 石〓油
九 毛織物 十 服裝品 十一 麥粉 十二 織物
十三 〓〓 十四麻布綿布 十五カシメル 十六 衣服
十七羊及山羊 十八土耳其帽子 十九石炭 二十 鐵器
廿一 バタ 廿二 木材 廿三 藥品 廿四 絨緞
廿五 絹織物 廿六 火酒 廿七 柔皮 廿八 〓物
廿九 〓玉 三十 生絲 卅一 麻布 卅二 生鳥獸
卅三 鐵工具 卅四 玉蜀黍 卅五 硝子類 卅六 菓子類
以上の表に注意するときは輸出品の重なるものは天産物に多く工藝品は概ね輸入に仰ぐの
實を見る可し抑も土耳其は武を以て名を世界に轟かしたる國にして所謂武士は食はねど高
楊枝の氣風、一般士人の間に存する其趣は我國士流に以て一層甚だしきものあり加ふるに
宗ヘ心の深き世界に其類を見ざる程なれば廉恥、節操、慈善等の心は盛なれども商工營利
の事は多數人の知る所に非ず斯る次第にして實業は古よりして微々たる折ネ兵亂の餘痕は
巨萬の負債となり財政の紊亂となり内政の整理外交の彌縫、國力を擧て之に應ずるに忙は
しく知らず知らず今日を來したる者なれば生産の業微弱ならざらんと欲するも得べからず
近年に至り實業の學校を起し製絲を奬勵し農事を改良する等の事あるにも拘らず未だ大に
見る可きものなけれど同國の氣候順適地味豐饒なるは人の知る所にして輸出品の第一に數
へらるゝ干葡萄の如きは年々凡ろ九百萬圓の高に上り小麥八百萬圓生絲六百萬圓の額に達
せり其他推して知る可し實地商賣の塲合に至らば種々樣々の妙所秘訣もあることならんな
れども取敢ず以上の表にのみ依て之を云ふも頗る見込あるが如し例へば同國の干葡萄は味
美にして永きに堪え價も亦頗る廉なり其絨緞は世界に有名なるものにして一枚の紅氈五十
年、毎日之に坐して破るゝこと無きは一寸を織るに一時間を費す其手工の妙なりとぞ價貴
しと雖も或は之を日本に輸入して富豪社會の喝采を得ずとも限らず其烟草は絨緞と相双び
て世界一の稱あり歐米諸國にても最良の烟草へは故らに土耳其の名を冠して賣捌く程なれ
ば我國喫烟家の好評を得ることある可し橄欖油は同國の名産にして國人が之を日常の食用
に供するは日本の醤油に於けるよりも夥し廉價思ひ見る可く年々四百萬圓内外の輸出あり
其他需用供給を案じて商品を數へ立つれば際限なく又實地商賣の日には思ひ寄らざる賣口
も出ることあれば之を措き我國より同國へ輸入の一方は如何と云ふに日本は工藝に最も巧
なる國にして土耳其は最も拙し例へば年々六百萬圓の生絲を輸出しながら外國の絹布を輸
入すること百萬圓に下らず又土耳其は殆んど米食の國にして外國産を仰くこと少なからず
埃及米の輸入莫大なる上に日本米も西洋人の手を經て入ることあり其他茶と云ひ雜貨と云
ひ我輩が探究せる箇條を詳述するは紙面の許さゞる所にして之を要するに土耳其は我貿易
の相手として將來の見込あるものと云はんと欲するのみ况んや日本に限り一種特得の好都
合ありと云ふに於てをや(以下次號)