「土耳其貿易」
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時事新報に掲載された「土耳其貿易」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
九千哩の海上を隔て未だ通商交際の道も開けざる土耳其の國に於て世界各國民中日本人に
限り特別の好都合ある可しとは如何にも愉快の話にして聊か不思議の感なきにあらざれど
も其由來を聞けば决して不思議に非ず先年同國の軍艦エルトグロール號紀海に沈沒して五
百餘人海底の藻屑と成り比叡金剛の二艦其生存者を護送して土京君士但丁堡に乘込むや日
本人に對する土耳其一般の人氣は實に非常のものにして其盛况は一時歐洲諸國を動かした
り外人に對して斯る厚意を表せしは同國開闢以來の出來事にして斯る國に行て斯る厚遇を
受けたるは又日本開闢以來の盛事なる可し、歴史學者社會學者の眼より觀れば由々敷大事
にこそあれば今も尚一問題として彼の學者社會に考慮する者ありと云ふ其一説として我輩
の聞けるものを擧げんに
第一 人種血統の同一なる事
第二 人情風俗習慣の近似せる事
第三 日本人が義侠を働きたる事
斯く立言する者あれば否々箇樣箇樣なる可しと一層緻密の説を稱ふる者あり一々之を記載
するの煩を省き茲に我輩の所見を云はんに、抑も土耳其はモハメツトヘを以て立國の根本
と爲し所謂政ヘ一致の國にして歐洲の耶蘇ヘ國とは彼の十字軍以來爭闃絶ゆる隙なく耶蘇
ヘ國人はモハメツトヘ者を殺して~の爲めなりと云へば土耳其人は又耶蘇ヘ者と戰ひ討死
するときは~の爲めに天上極樂に導かるゝと云ひ互に~かけて和す可からざるの讎敵にし
て宗ヘ上の執念は如何ばかり深きものなるか此邊に淡泊なる日本人の想像し得べき限に非
ず近世に至りてこそ表面に幾分か殺伐の氣を減じたるが如くなれども心裡無限の敵情は正
に父祖の遺傳にして拔く可くもあらず歐洲人に向て世界中最も憎む可き人種はと問へば十
の七八土耳其人を以て答ふると共に土耳其人が耶蘇ヘ國人を忌むは尚ほ一層甚だしきもの
あり全盛の日、足下に蹂躙したる敵ヘ徒の奴原は今や時を得貌に跋扈して意氣揚々却て我
を弄び苦しむる事頻りなり榮辱地を更へ主客所を異にするの否運に遭ふて遺恨やる方なき
も尤もの次第にこそあれ土耳其人は十九世紀文明の先陣たる耶蘇ヘ徒の重圍に陷りたるも
のにして殆んど氣息の塞がるを覺ゆる折ネ關らざりき日本軍艦の來航するあり遠く之を望
めば勢ひ旭日の上るが如く近く之に接すれば眉目容姿の何となく我に似たるあり其名を聞
けば義侠にして其實を見るも亦眞率なり日頃の不快不平を忘れて日本人を二ツなき我友よ
と叫び空前の景氣を添えて申さば前後不覺の道樂を盡したるものなりしが紅夢端なく覺め
て艦影見れども見えず、逢ひ見ての後ちの心にくらぶれば昔は物を思はざりけりとは正に
土耳其人現時の境界を寫したるものにして其後各新聞は絶えず日本の新事を録して花を添
え父老少年珈琲店に相會するもの尚ほ日本を語りて樂み官民上下擧て日本と再會の日を期
するの有樣なり左ればこそ萬乘の高きに在る土耳其帝さへ同國に遊べる我高等官に向ひ親
しく
君士但丁堡に日本商人無し優美にして且珍奇なる日本品は總べて他國商人の手に依て
賣買せらるゝが故に極めて高價なると共に品質も亦美ならず望らくは日本商人をして直に
此地に來らしめよ然る上は公けの家屋を廉價に貸渡し出來得べき便利は十分に之を與へて
商賣せしむ可し蓋し貿易の端緒是れよりして漸く開かんことを思ひ別に臨て此言を爲すの
み
の勅語も下したるなれ左ればこそ或る日本人が同國人の全く評價し能はざる古陶骨董品を
齎したるにも拘はらず遙々来航したる日本人なればとて義理を立てゝパシヤ貴顯の輩が分
らぬ品をも購ひ求めたるなれ眇然たる日本の一新聞記者が國賓の優禮を受けたるも怪むに
足らざるなり今の世の中に日本に取りて斯る都合好き國ネありと聞くからには其貧富國産
などは先づ孰れにても宜しとして兎に角に其國に向て貿易を試みんこと我輩の敢て勸告す
る所なり(以下次號)