「南洋の土人學ぶ可し」
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時事新報に掲載された「南洋の土人學ぶ可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
南洋の土人學ぶ可し
南洋カロリン群嶋の酋長弟サミ同妻弟ウヰリスの二人は頃日來東京に在り高樓大厦、衣香
扇影、大都繁華の樣を見て只驚くの外なく歸嶋一年程は語る話も盡きまじとて大に喜び居
ると云ふ實に彼等の身に取りては都べて是れ生來未だ曾て見ざるの奇にして尚ほ文明國、
人情の信切なる生活の安穩なるは有形なる事物の外に深く心を動かせしものならんか心中
思ひ遣らるゝ次第なり昔米國の土人を英京倫敦に連れ來りたることあり土人は兼て聞居た
る倫敦へ行くことなれば一世の思ひ出に逢ふ人の數をかぞへ見んと先づ一振の棒を用意し
一人に逢ふ毎に一點づゝ棒に印を附けて國元への土産にせんものと身構油斷なく偖英京に
到りしに滿目の人雲霞の如く到底數へ得べき限に非ず棒を抱いて空しく歸りたるの日、倫
敦の人は如何にと問ふ者ありしに彼の天上の星の如く無算なりと答へたりと云ふ今の南洋
の土人は歸嶋の節にも如何なる譬を引き何を比較として日本の話を爲す可きや我輩の想像
に堪えざる所なり、兎にも角にも彼等は一生にして殆んど二生を得たるに均しく人生無二
の幸福にして事物の新奇に接し胸中無限の喜は傍より察するに餘あり蓋しカロリン群嶋廣
しと雖も一對の仕合者はサミ、ウヰリスの二人ならんのみ
抑も人壽に長あり夭あり定めなきは世の習ひなりと雖も人間の幸不幸は固より長夭を以て
云ふ可からざるのみか眞實壽命の長短は年の長短を以て論ず可きに非ず薪水の外に用なく
數里の外に旅せざる山村の老婆九十にして老ひたりと雖も足跡五洲に普く知己東西洋に多
き三十の若者よりは智淺く樂少なきもに若しも壽命の量を目方に掛くることを得ば三十の
人長老にして九十の人却て若きの實を見ることならん左れば俗事紛々の間に自から餘裕を
存し廣く人に交際し遠く四海を周遊するは正に長壽の秘法にして即ち學問財産の必要なる
所以なり西洋文明の士人を見るに能く此道理を實にするものゝ如く多少の財産あれば他國
へ旅行せざる者とては殆んど之れ無き有樣にして瑞西伊太利の名勝佛蘭西英吉利の繁華は
云ふに及ばず遠く大西洋を越えて米の人は英に遊び英の人は米を訪ひ婦人小兒と雖も之を
爲して更に驚かざる其趣は日本人の避暑温泉行などと敢て異る所なし尚ほ多くの財産を有
する者は日本支那絶東の異風を察し或は大に世界週遊を試ること珍らしからず已に斯る氣
風なれば其志望事業の上に於ても範圍世界に廣く運動活溌ならざるを得ず政治上に商賣上
に覇勢を世界に振ふも故なきに非ざるなり顧て日本人の有樣を思ふに四邊海に取巻かるゝ
地理上の關係もある可しと雖も古來鎖國の根性こそ一大原因なれ萬金を蓄へ閑暇を有する
にも拘らず海外の壯游を試る者割合に甚だ少し移住貿易、國威振張などの談は別にして兎
に角其人の爲めに計るに壽命長久の道を忽せにするものと云ふ可し、初物に七十五日を生
き延びるとは俗諺にして深き意なきが如くなれども能く之を味ふときは决して然らず新奇
なる事物に接する者は之に接せざる者よりも夫れだけの生命を延ばしたる理にして現に南
洋の土人は日本の新風物に接して一生に二生を得たる者なれば豈七十五日の比ならんや、
今や新聞紙上南洋の土人が嬉々として歡天樂地に逍遙する趣を見て傍らより其幸福を祝す
ると共に國内蟄居の舊習を去て時に新奇の壯遊を試み以て其壽命を長ふせんことを我國士
人に勸告するものなり