「米露石油の競爭に就て」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「米露石油の競爭に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

米露石油の競爭に就て

從來我國にて使用する石油は殆んど米國産のものに限り絶へて他國の供給を仰ぐことなか

りしが四五年前始めて露國より少許の石油を輸入せしより以來、露油の販路年々に增加し

て漸く米油の市塲を蠶食し今は既に容易ならざる競爭者となれり現に昨年の貿易表を見る

に北米合衆國より我國に輸入したる石油の總量は二千四百八十八萬ガロン(原價二百五十

三萬圓)にして露國より輸入したる分は七百八十一萬ガロン(原價八十萬圓)なり即ち露

油は殆んど米油の三分一に當るの勘定にして僅々數年間に斯る多量を賣弘るに至りしは實

に驚く可き進歩と云はざるを得ず然のみならず近來露國より石油を輸出するには一々小箱

に詰込むことを爲さず多量の油を其まゝ油槽船に積み入れ船の港に着するや直にポンプを

仕掛けて之を海岸の大油槽に注ぎ込み斯くて爰に溜りたる油をば需要に從て漸々に賣捌く

の方法を取るが故に是が爲め運賃、荷造費等に非常の削減ありと云ふ我國にても既に神戸

には右の油槽を設置して實際の効能少なからず又橫濱にも同樣の設計ありて最早近々に出

來する筈なれば旁々以て今後露油の相塲は益す下落して其販路は益す增大するに相違なか

る可し露國よりの輸入いよいよ盛なれば是れが爲め第一に利害を〓ずる者は米國にして今

日の處にて米國より我國に輸入する物品は石油の外、殆んど記す可きものなき程の有樣な

れば我國の商人は有らん限りの力を盡して露國の競爭を防〓するは勢に於て止む可らず其

結果として米油の價格も今より大に下落することゝ豫想して相違なかる可し殊に彼のニカ

ラグワ運河開通の曉には米國東部と本邦との往來交通に非常の便利を增す可ければ或は米

國よりも亦油槽船を以て盛に輸入し來ることゝもなる可し兎に角に米國と露國とは共に石

油の産地として全世界に比類なき國抦なれば兩者の競爭愈々盛なるに至らば日本に於ける

石油の價格に大變動を生ずるは我輩の疑を容れざる所なり左れば石油は我國にて今後益す

需用の增加す可き物品なれば其價の下落するは甚だ悦ぶ可き事抦に似たれども茲(玄+玄)

に我輩の大に掛念する所のものは米露の競爭愈よ劇しきを加へて愈よ油價を引下ると共に

或は互に相競ふて品質粗惡なるものを輸入するに至ることなかる可きやの一事なり抑も石

油は天然のまゝにては揮發性の甚だしきものにして少しの熱に遭ふも發火し易くその危險

なることは火藥に異ならず之を日用に供せんとするには種々の方法を以て其揮發性を減殺

し大概の熱に堪ゆるまでの程度に達せしむること必要なり即ち石油の精製方にして其手續

には隨分費用を要することなれば發火の危險いよいよ減ずるに從て其價格はいよいよ高か

らざるを得ず品質粗惡なる石油とは取りも直さず發火の危險多き石油のことなりと了解し

て間違なかる可し此故に歐米諸國の政府にては石油條令を設けて嚴重に其取締を施し漫に

粗惡の品を賣買することを禁止せざるはなし然るに顧みて此事に關する我國の法律は如何

と云ふに去明治十四年始めて石油取締規則なるものを發布したれども曾て之を實施したる

ことなく同十六年に至て改正規則(即ち現法)を發布し同年七月より之を實施することに

定めたる處何故にや其後間もなく前議を改め同規則の施行期限は追て布告するまで延引の

旨を公布して爾後今日に至るまで十年の間更に何等の布告なきを以て目下我國の石油取締

規則は有名無實にして實際に毫も効力なき者なれば今後外國より如何なる粗惡危險品を輸

入するも日本政府は之を制止するの路なきものにして實に不都合千萬の次第と云はざるを

得ず今日世界の國々にては何れも石油條令の嚴重なるものを實行しつつある其中に日本の

み獨り何等の制限を設けずとありては向後米露の競爭益す盛なるに從ひ互に先を爭ふて我

國に粗品を賣り附けんとするは鏡に掛けて見るが如し遂には日本は惡油の市塲、他に相手

なき持餘しものの捌所と評せらるゝに至ることなきを期す可らず誠に恐る可きことなり今

にして速く取締規則を實施して災を未前に防ぐにあらざれば他日必ず臍を噛むの悔ある可

し或は現に今日輸入しつゝある品の中にも隨分危險のもの少なからずと聞く當局者は决し

てこれ等の事實を輕々に看過することなく速に之に處するの法を講ぜんこと我輩の切に勸

告する所なり